イギリスは戦争に勝ったのか?

マンションに関係ないことを書いた方が、なぜか「拍手」が多いので、
もう1回だけ調子こがせていただきます。

前回に関連して、今日はイギリスの話です。

大英帝国には、「対日戦争記念日」というのがありあす。
英語では「VJ DAY」というそうです。
1995年は、その50周年。日本ではあまり報じられませんでしたが、
イギリス国内では、その1年間は大騒ぎだったそうです。
VJデーについては「イギリス発・私的日本人事情 (朝日文庫)」
という本に詳しく書いてありますので、興味のある方はお読みください。

イギリス人というと、日本では「ジェントルマン」というイメージですね。
あとは・・・年配者にはビートルズでしょうか。
今の人はベッカム? ダイアナ妃はもう古いですね。
ただ、イギリス人の90%以上はジェントルマンとは程遠いただの庶民。
ビートルズはウェールズの出身で、一般的なイギリス人のイメージに近い
アングロサクソンではありません。ケルト系です。
つまり、アイルランド人やスコットランド人のお仲間。
日本人には、ほぼ区別はつきませんが、
支配―被支配の歴史的な背景があります。
本題とは関係ありませんが。

一般日本人に意外なことを申し上げると、イギリス人はオランダ人と共に、
ヨーロッパの中ではかなり反日的色の濃い連中です。
その理由は、第二次大戦中に日本軍と戦った方が多いから。
英軍将兵は約6万人が日本軍の捕虜になって、
そのうち4分の1以上が死にました。

戦争中のありがちなことに思えますが、彼らにとっては大変な屈辱。
1941年当時の大英帝国は、今のアメリカみたいな大国。
そこの栄光ある軍人が、易々と極東のチビ助国に負けて、
捕虜になって、こき使われた上で、仲間が大勢死んだのです。
それはもう・・・恨み骨髄です。

もっとも、最終的にはアメリカの助けがあって、日本に勝ちました。
だからヴィクトリー・ジャパン・デーを盛大に祝うのです。
そして、その当時の日本の所業を、昨日のことのように罵るのです。
気持ちは十分に分かります。

さて、戦争の経緯と推移を見てみましょう。
そもそも、日本と大英帝国は、日露戦争の時には同盟国でした。
それがワシントン条約でアメリカに同盟を解除させられ、
最終的には矛を交える関係へと進んだのです。
日本が大英帝国に宣戦布告したのは、1941年の12月8日。
真珠湾攻撃と同じ日です。
「帝國陸海軍は、西太平洋上において米英と戦争状態に入れり」
という大本営発表を高らかに読み上げるニュースフィルムを
資料映像としてご覧になった方は多いと思います。

ところが・・・・
この時、日本とイギリスの間には、深刻な外交問題は無かったのです。
というか、日本とアメリカの二国間でさえ、
解決しがたい問題は無かったと思います。
日本は、「南方資源地帯」と呼ばれる、
インドシナとインドネシアに進出したかった。
そのために、イギリスに邪魔して欲しくなかった・・・ということはあります。
あと、日独伊三国同盟という、厄介な縛りもありました。
でも、なぜこの「南方資源地帯」を手に入れたかったかというと、
それは石油などの資源を、お金を払ってさえ買えなかったからです。
いわゆる「経済制裁」。今、北朝鮮やイランがされていることです。
なぜ、経済制裁を受けたのか?
表向きは、日本が支那大陸で戦争をしていたからです。

支那で戦争をすると、どうしてアメリカやイギリスが怒るの?

実は、客観的に見て怒る理由はほとんどありません。
当時の日本は、米英が支那大陸に持っていた権益を犯さないように
細心の注意を払い、配慮をしていました。
間違いをしたときにはキチンと謝罪をしていました。
それでも、彼らは支那との戦争を理由に、日本に経済制裁を課したのです。

その目的はひとつです。
日本を自分達との戦争に追い込みたかったから。

なぜ・・・日本と戦争をしたかったのか?
誰もがそう思うでしょ。

その理由もはっきりしています。
1939年からヨーロッパで始まった第二次世界大戦。
ナチスドイツは破竹の勢いでヨーロッパを席巻しました。
フランスは降伏し、イギリスは土俵際まで追い詰められていました。
大英帝国の首相はチャーチル。彼は考えました。
「この戦争に勝つには、アメリカを引き込むしかない」
ところが、時のアメリカ大統領フランクリン・D・ローズベルトは
4回目の大統領選挙のときに国民に公約していました。
「あなた達の息子を戦場に送るようなことはしません」
だから、ローズベルトとしては戦争に参加する
大義名分が無い限り、参戦できなかったのです。

ここで、スケープゴードとして浮かび上がったのが日本。
日独伊三国同盟というのがあって、日本とアメリカが戦争を始めると、
ドイツとイタリアもアメリカと戦争しなければいけないのです。
つまり、日本からアメリカに戦争を仕掛けさせれば、
イギリスは自動的にアメリカという強力な同盟国を得られる。

チャーチルは様々にアメリカに働きかけ、
日本をアメリカに噛み付かせるように工作しました。
彼は戦後「第二次世界大戦」という回想録を書いて
何とノーベル平和賞ではなく、ノーベル文学賞を受賞しています。
ノーベル賞はアメリカのオバマ大統領や
金大中韓国元大統領に平和賞を授与して
かなりその「いい加減さ」を世間にさらしていますが、
それは今に始まったことではないのです。
彼はこの本の中で「日本犬をアメリカに噛み付かせる」と表現しています。

工作は成功します。
元々、ローズベルトも本心ではイギリスを助けたがっていました。
日本は米英が直接利害関係の薄い「支那問題」で窮地に追い込まれます。
最終的には、ソ連のスパイだと後に発覚したアメリカ国務省の役人が作った
「ハルノート」によって開戦を決定。
12月8日(日本時間)にハワイの真珠湾に海軍機を殺到させました。
その報を聞いたとき、チャーチルは小躍りして叫びました。
「これで、戦争に勝った」
まさしく、その通り。
第二次世界大戦は、アメリカの参戦によって
勝敗が決まったといっていいでしょう。
チャーチルは、日本など易々と打ち破れると考えていました。
ただ、彼はその数日後、ひどく落ち込みます。
イギリスの「戦艦大和」ともいうべき「プリンス・オブ・ウエールズ」と
最新鋭の巡洋戦艦「レパルス」が、マレー沖で
日本海軍機の攻撃によって撃沈されてしまったからです。
チャーチルの落胆は、さらに続きます。
「東洋の真珠」と呼ばれ「難攻不落の要塞」とされたシンガポールが
帝国陸軍の攻撃であっけなく陥落しました。
そして、マレー半島、タイ、ビルマが次々に日本軍の手に落ちます。
ただ、最終的にはチャーチルの目論見通りになりました。
3年半かかりましたが、日本軍は敗北し、
大英帝国が勝利したからです。しかし・・・・

第二次世界大戦の終了後、
アジアにおける大英帝国の植民地は次々に独立。
イギリスにとっての最大の「宝石」であったインドも、終戦の翌々年に独立。
その発端は、戦争中に日本に組して独立を図ったインドの英雄、
チャンドラ・ボーズの扱いについてのインド大衆の感情を、
統治国イギリスが読み違えたことが大きかったといわれています。

結果として、大英帝国は第二次世界大戦で領土を拡張していません。
それどころか、アジアにおける植民地をほぼすべて失い、
その流れの中でアフリカの植民地も失い、
「帝国」ではなく、ただの「イギリス王国」になってしまいます。
チャーチルがローズベルトをたきつけて日本を追い込み、
戦争を起こさせなければ、世界史は違った展開になっていたかもしれません。

イギリス人は大戦中、かなり苦しみました。
ドイツ軍の空襲、枢軸国に捕らえられた大量の捕虜、
物資の不足による窮乏生活・・・・・・・
それは、敗戦国である日独の比ではありませんが、
書物で読む限り、これが戦勝国かと思えるほどです。
でも、なんとか勝ちました。
しかしその結果、大英帝国が「帝国」である素のほとんどを失ったのです。
私は、その一因は日本の「大東亜共栄圏」構想だったと思います。
日本の思い通りに実現しなかったにせよ、
大戦中にこの構想を掲げてアジア人を鼓舞し続けたことによって
インド、インドネシア、ビルマなどの国が
独立への道を開くキッカケになりました。

チャーチルの回顧録を読むと、人種差別主義者の臭いが漂っています。
彼は日本を見くびっていた、と私は思います。
今は日独に勝った英雄として祭り上げられていますが、
いずれ歴史は冷静な判断を下すでしょう。
彼は、イギリス衰亡の道を開いた宰相であったと。

参考図書
第二次世界大戦(河出文庫) ウィンストン・S. チャーチル
ローズベルトは戦争中に死んでしまったために、回顧録を残していません。でも、チャーチルは戦後も長く生きました。戦争指導者としては卓越していましたが、政治家としてあまり見るものはなさそうです。ただ、ノーベル文学賞を受賞しただけあって、この本はまずまず読ませます。

イギリス発・私的日本人事情 (朝日文庫)
イギリス人は、本当は日本人が嫌い? そういう疑念をたっぷり味あわせてくれる一冊。イギリスに留学するお人よしの日本人は、ぜひ読んで欲しいですね。こういう本を。

両大戦間の日米関係―海軍と政策決定過程 麻田貞雄
これは、私の学生時代の恩師が書いた学術書。私が言うのもおこがましいことですが、麻田先生は学者の割には文章が無茶うまい。この本もかなり難しいことも書かれていますが、読みやすいので普通の人でも十分に入っていけます。何といっても、ノーベル賞にも匹敵する「吉野作造賞」を受ける元になった書物です。

真珠湾―日米開戦の真相とルーズベルトの責任  ジョージ モーゲンスターン  錦正社
ローズベルトは戦争中の日本で「ユルフン」と呼ばれていました。つまり「ゆるんだふんどし」。ベルトがルーズになっていることの略称。しかし、こいつはちっともルーズではなく、かなりの策士。あの戦争は日本が仕掛けたのではなく、アメリカが仕掛けさせたことが良く分かります。

アーロン収容所 (中公文庫) 会田 雄次
実は、私の父は戦争中に軍属としてシンガポールにいました。敗戦でイギリス軍の捕虜に。餓死寸前のエライ目にあわされた話を良く聞きました。イギリスは、復讐のために日本人捕虜を虐待しています。そういう事実を日本人はよく知ってから、彼らと付き合うべきです。

それでもぼくは生きぬいた―日本軍の捕虜になったイギリス兵の物語  シャーウィン 裕子
こちらは、日本軍の捕虜になったイギリス人の話。これもかなり悲惨。日本は別にイギリスと戦う必然性がなかったことを考えると、チャーチルやローズベルトの罪に深さに改めて思いをいたす次第。日英の戦いは悲劇であり、その残滓は今もしこりとなっています。

 大英帝国衰亡史 中西輝政 PHP
イギリスの近代史入門書としてはコレ。ギボンの「ローマ帝国衰亡史」向こうを張っている題名が、著者の心意気を示しています。興隆から衰亡まで、日本人に分かりやすいのがいいでしょう。


2010/3/16 13:37 Comments (0)

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