菅君に告ぐ、会議からは何も生まれないよ

ある意味で、自分が特異な人間かもしれないとは思います。
27歳の時に、サラリーマンを辞めて会社を作りました。
それ以来、自分がやることに関して他人に相談したことはありません。
所詮他人は他人で、私ではないからです。
私の利益は、私が生み出さないと、誰も与えてくれません。

そして、おのれのやることに関しては
その結果については100%自分の責任だと思っていました。
ぐだぐだと言い訳をしても意味がないし、醜いだけです。
そもそも、私は何かをやるにしても、
他人とグチャグチャ話し合うのが嫌いです。
要は、それをやるのか、やらないのか。
YESかNOかということだけです。
「先延ばしは」は、今やらないからNOと同じ。

そういう考え方と価値観を持っている私にとって、
もっとも苦手なのは「会議」と「打合せ」。
日本国中のサラリーマンの仕事の内の2割以上がコレではないでしょうか?
人によっては7割8割かもしれません。

はっきりいって、日本のあらゆる組織で行われている
「会議」や「打合せ」の95%以上は、単純な時間の浪費だと思います。
高い給料をもらって何も富を生み出していないオッサンたちが、
自分の存在というものをパフォーマンスしているだけです。

何をやるか、やらないか、を決めるのに会議や打合せは必要ありません。
責任者が判断すればよいだけです。
その「何」かについては、それぞれの担当者が「提案」すればよいのです。
責任者は「提案」の内容を吟味し、必要とあれば疑問を問いただし、
あるいは調査して、最後は自分で判断すればいいだけ。
どうして、会議や打合せが必要なのでしょう?
私は、そのことが疑問で仕方がありません。

私は、小さいながらも自分の会社を20年ほど経営していました。
社員は、多いときでも8人くらいです。
その間、業務上遂行上で会議を行ったことは一度もありません。
朝礼や定例や、その他ワケのわからん名目の会議も一切なし。
なぜなら、その必要をまったく感じなかったからです。

要は、何をやるのかが決まっていれば、会議や打合せは必要ないのです。
何をどうするかは、責任者が決めればいいだけの話。
小さい組織だからこそ、軍隊式の効率的な運用が必要です。
そこに会議や打合せを持ち込めば、社員の拘束時間が長くなるだけ。
私は、社員の労働時間の逓減こそ経営者の手腕の見せ所と考えていました。

社員からどうしたい、ああしたい、という提案があれば、
それは個別に聞いて判断すればよいだけ。
私の優秀なスタッフたちは、実に様々な提案をしてくれ、
随分と思い切った仕事ができたと思っています。

でも、こういう考えはかなり特異なのでしょうね。
世間では、あまりにも多くの会議や打合せが行われています。
私も、自分の会社の中では行いませんが、
クライアントが主催する会議や打合せに呼ばれれば、
行かざるを得ない立場でした。
本当に「馬鹿馬鹿しい」と思える会議が、全体の8割以上でしょうか。
例えば、2時間グダグダと話あって決めた内容を、
もって帰ってきて誰かに伝えると5分もかからないことが大半。
結局は、時間を無駄遣いしているだけなのです。

私は、もちろんお金にケチです。
でも、お金に対するよりも何万倍も時間に対してケチです。
なぜなら、お金は増やすことができても、時間は増やせません。
宝くじに当たると、お金は増えます。
そういうラッキーに巡り合わなくても、
広告屋をやっていればアホな不動産屋をダマくらかして
お金を稼ぐことは、割り切ってしまえばカンタンです。
でも、いくらお金を稼いだところで、時間は増えません。

私の人生の残りの時間はそれほど長くはありません。
といってガンで余命を宣告されているのではないので、
健康に生きたとして、せいぜい30年か40年です。
その間、うまい物を食べるとか、海外旅行をたくさんしたいなんて全然思いません。
悟性が得る歓びなどはたかが知れています。

もっとたくさん本を読みたいし、知的な人々と交わりたい。
そのために、アタマのあったかい連中と分かち合う時間は、
なるべく少なくしたいと願っていました。
そういう私にとって、ああいった会議や打合せは・・ほぼ拷問。

今はほとんどなくなったのですごい解放感なのですが・・・
私の周りでは、まだまだそういう会議に嵌っている人がいます。
はたまた、ニュースを見ていると菅君が震災対策の
「・・・・会議」なんてのをいっぱい作っています。
アホかいな? といいたくなります。

湾岸警察署の青島刑事のセリフではないのですが
「事件は会議室で起こっているのではない」のです。
それに、日本人は議論のやり方さえ知りません。
なんて・・・私も日本人ですがw。
日本のあらゆる組織で行われている会議や打合せの大半は、
「決定」に対する「責任」の曖昧化、分散が目的ではないでしょうか?
つまり、誰も責任を取らないために行われるのが「会議」。

アホらしいですね。
私の知る、昔のカッコイイ日本人らしくないですね。
我々は、サムライの子孫です。
江戸時代の武士には、究極の「責任の取り方」がありました。
何を隠そう「切腹」です。

武家のならいとして、切腹の作法を伝授された方は
今ではどれくらいいらっしゃるでしょう?
私は出来ますよ。
子どもの頃、映画を見ながら真似をしていたら、
大正5年生まれの親父がキチンと作法を教えてくれました。
私の生涯では、決してやりたくはありませんが(笑)。

でも、そういう気概は必要だと思って生きています。
最後は「俺が腹を切ればいいのだろ」という気持ち。
実際に腹を切って死ぬわけではありませんが。
しかし・・・会議に出ていると、百姓面のアホどもが
自分の責任を逃れるためにアレやコレやの言い訳を弄する醜態を
イヤというほど見せ付けられて、ホトホト辟易します。

でも、こういう日本人のグダグダ無責任体質は直らないのでしょうね。


2011/5/14 2:45 Comments (0)

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