勝手に・・・歴代総理の通知表

私は16歳から20歳頃まで、ごく真面目に
「将来は総理大臣になろう」と思っていました。
今から思えば、青臭い以前の少年の夢想みたいなものですね。
でも、将来の自分の「職責」だと思っていたので、
その頃から歴代総理の動向は、新聞テレビやモニターでできる限りは
注意深く追いかけていました。

クソ暑い上に、クーラーもろくに効かない特殊な夏の戯言として、
「歴代総理の床屋談義的総ナメ」というのをやってみようかと思います。
ごく真面目に私のブログを読んでくださっている方は、
悪いことは言いませんのでスルーしてください。
真夏の夜に酔っ払った与太話ですので。

●佐藤栄作(1964年11月9日- 72年7月7日)
このお方が、記憶にある最も古いソーリダイジンです。
「ブルドッグみたいな顔したオッサンやなー」というイメージが残っています。
沖縄返還で騒いでいたニュースを覚えていますが、それ以外はあまり記憶になし。
後に、高名なジジイの政治評論家が「あいつは高等文官試験に最低の成績だった」とか、
ノーベル平和賞を取って浮かれすぎたせいで寿命を縮めた、という話を聞きました。
長命政権だったそうで、マスコミには相当評判が悪かったようですね。
●田中角栄(1972年7月7日-74年12月9日)
死んだオヤジが「ワシよりも若い」と言っていたのが印象的。
調べてみると、当時54歳。今の基準でも若いですね。
なんかダミ声の下品なオヤジという記憶が残っています。
でも、印象としてはすごく「精力的」。
支那に行ったり、ブラジルに行ったり・・・
「日本列島改造論」という本は、我が家の店(古本屋)にも
うずたかく積まれていました。ベストセラーだったのでしょうね。
でも、立花隆が文藝春秋で金脈問題をすっぱ抜いたことで退陣。
その後のロッキード事件もあって「すごーく悪い奴」という印象でしたが、
彼の目指したもの、やったことを冷静に見ていくと中々のものです。
昔の田沼意次みたいに、再評価される可能性が高いと思います。
●三木武夫(1974/12/09 – 1976/12/24)
「バルカン政治家」とか「クリーン三木」とか言われましたが、それだけ。
なんかコムヅカシイことばかり喋っていた印象ですね。
ロッキード事件で田中角栄の逮捕に影響を及ぼしたのもこの人だった記憶があります。
自民党内から攻撃ばかりされていた印象ですね。
●福田赳夫(1976/12/24 – 1978/12/07)
コイツにはいい印象は何もありません。
総理大臣に選出されたときに、満面の笑顔を浮かべていました。
「そんなにソウリになりたいんかいな、お前は?」と、子供心に思いました。
見た目に貧相でしたね。
東大法学部出の大秀才らしいですが、そういった人々の評価を一気に下げました。
日本赤軍が人質を取って仲間の解放を要求したときにも
「人の命は地球より重い」という戯言を吐いて刑務所から囚人を解放。
世界中の失笑を買った罪は万死に値します。
はたまた、今の財政赤字の出発点は、実にコイツの時代にあるのです。
●大平正芳(1978/12/07 -1980/06/12)
このお方は、中々の人物だったようですが、総理としては印象が薄い。
ユーゴスラビアのチトー大統領の葬儀に出席したのが唯一の記憶。
あとは、総選挙の途中でぶっ倒れて死んでしまいました。
おかげで自民党は息を吹き返しましたが・・・それだけのような感じ
●鈴木善幸(1980/07/17 – 1982/11/27)
この人も印象が薄い。
総理よりも農水大臣の時に、ソ連に行って粘り強い交渉をしたことが記憶に鮮やか。
実直そうな印象が残るだけで、アピール度は低かったですね。
典型的な自民党のたたき上げ政治家ではなかったでしょうか。
いわば、農村の長老タイプ。際立った能力はないけど、調整力はある。
悪い印象は何も残っていません。
●中曽根康弘(1982/11/27 – 1987/11/06)
この御仁は、先に出ていた田中角栄とタメ。
「満を持しての登板」といえば聞こえはいいけれど、
長らく小派閥の長にして「風見鶏」と揶揄された「日和見」的な行動をしてきた人。
でも、一旦登板なるや歴史に残る業績を残したのは隠れなき事実。
自民党の「利権」的な闇にも度々顔を出していて、そういうブラック度も大物。
しかし「不沈空母」や「青年将校」「青嵐会」など、
自民党右派としての「骨」のあることころも垣間見せていました。
サッチャー、レーガンとの「保守3巨頭」を演出して
ソ連崩壊、東欧共産制瓦解に導いた功績もそれなりに評価できます。
●竹下登(1987/11/06 – 1989/06/03)
私は嫌いです。
「言語明瞭、意味不明瞭」などという政治家としてはあるまじきことを公言する
その精神の根底を卑しみます。
政治家ならば、堂々と言葉で勝負すべきです。
この御仁は、いつもそういう言葉のあやで誤魔化していました。
ごまかし、ごまかし、消費税を成立させています。
コイツが曖昧なままに成立させたおかげで、消費税は未だに「悪者」です。
田中角栄を裏切って、東京佐川の連中に「褒め殺し」され、
最後はズタズタになって総理を降りました。
支持率はヒトケタ・・・3%くらいだったと記憶しています。
今の菅君の比ではないですね。
政治家は、言葉を上手に操る能力がなければいけません。
自分の言葉を「言語不明瞭」と明言する人間に、総理の資格はない。
●宇野宗佑(1989/06/03 – 1989/08/10)
特に言うことはありません。
シベリアでの抑留体験にご同情申し上げます。
安らかにお眠りください。
●海部俊樹(1989/08/10 – 1991/11/05)
このあたりから、私が実際に肉声を聞いた人々になってきます。
このひともねー・・・・湾岸戦争で醜態を曝しました。
自民党を出て行く去り際もかっこよくなかったですね。
「サイフ落としてもカイフ落とすな」なんて、ダジャレはうまいけど。
ただそれだけの人物でした。
日本の歴史にとっては、総理にならなくてよかった人だと思います。
●宮澤喜一(1991/11/05 – 1993/08/09)
遅れてきたプリンスの登板、といった感じでしたね。
特に目立った業績はなかったと思います。
元が秀才の大蔵官僚ですから、際立ったことを期待するのは無理かもしれません。
まだ、田中、福田、大平、鈴木の時代は「英語が喋れる」というのが
大きなポイントでしたが、今やそれは当たり前です。
1980年代は「自民党英語番付」などというのがあって、彼は「横綱」でした。
クリントン大統領が来日したときも、
寿司屋のカウンターでサシの談判をしていましたが、そんなのも今や・・・
総理を辞めた後も、高橋是清よろしく大蔵大臣になったりしたけどみるべき実績なし。
秀才の限界でしょうか。
●細川護煕(1993/08/09 – 1994/04/28)
首相就任時55歳。期待しましたね。
でも、実績はゼロに等しいと思います。
ただ、混乱を招いただけ。今も同じです。
「あれは何だったのだろう」という虚無感を残して去りました。
この方は、私の「総理Jr政権ブン投げの法則」について、
決定的な材料を提供してくれました。
なんといっても近衛文麿の孫です。
その後、安倍、福田、麻生、鳩山・・・みんなブン投げました。
大事なときにブン投げるのは近衛文麿以来の伝統。
生半可な政治のお遊びならば、やって欲しくはなかったですね。
●羽田孜(1993/08/09 – 1994/04/28)
ちょっと弱さが目立ちました。
先日、さる音楽会でお見かけしましたが、好々爺状態。老後をお健やかに。
●村山富市(1994/06/30 – 1996/01/11)
人は悪くないと思いますよ。
でも、ただの左巻きのボケ爺さんでした。
阪神淡路大震災の日に、のうのうと昼食会に出ていた御仁です。
明治大学から学徒兵で出征。陸軍少尉で終戦。
ちいとは危機管理の要諦を弁えて欲しかったですね。
いさぎよく引退したのは認めます。
●橋本龍太郎(1996/01/11  – 1998/07/30)
このあたりで、自民党を盛り返す使命を帯びていたわりには、
たいしたことができずに終わりました。
やはり2世3世の弱味でしょうか。
クリントン大統領の前で、堂々と煙草を吸ってみたのはいいのですが・・・
支那の女スパイの姦計にはまったのも命取りでしたね。
こういう脇の甘い人は早く総理を辞めるべきでした。
●小渕恵三(1998/07/30 – 2000/04/05)
「ボキャ貧」を自ら名乗っていた総理でした。
いくら早稲田大学出身とはいえ、そこまで自分を卑下することはなかったと思います。
娘さんは、そのうち総理候補になるかもしれませんね。
とりたてて事跡はないと思います。
青木というインチキおじさんが総理代理を騙ったことが印象に残ります。
「ビッチホン」とか「インパク」とか、今や過去のはやり言葉もありました。
ああいう去り方をしたので「いいおじさん」というイメージが強いですね。
上州が選挙区で、福田と中曽根に挟まれて
「米ソの狭間で堪えている日本が私であります」といったそうな。
よくぞ総理になられました。
●森喜朗(2000/04/05 – 2001/04/26)
この人は、総理の事跡よりも、次の小泉さんが「郵政解散」をする直前に
総理官邸に乗り込んで直談判で思いとどまらせようとした印象が強いですね。
小泉さんは、その後で反対を押し切って杉村クンまで当選する大勝利。
この森喜朗という方の政治センスのなさを満天下に曝してしまいました。
まあ、そんなお方ですから、在任中は不人気の嵐。
私に言わせれば、ただの政治屋オヤジ。
座談はうまくてもおのれの考えなんか、なーにもなし。
ただ、状況に合わせて何か喋っているだけ。
オヤジラグビーでもやっとけや、とう田舎ジジイですね。
●小泉純一郎(2001/04/26 –  2006/09/26)
最近では出色の首相でしょう。
まずまず、やりたいことはやりました。郵政改革が好例です。
国民に対する「説明責任」もそれなりに果たしています。
外交関係も、支那以外は上出来。
支那にしても、在任中に特に悪化することはありませんでした。
その後の弱虫政権の方が、むしろ悪くなっています。
昨年の尖閣事件も、小泉政権では起こらなかったのではと愚察します。
ただ、本人の気力がイマイチでしたね。
あと2,3年でも・・・菅君の半分でも気力があればできたのに。
そのあたりが残念です。
他の凡百首相が持っていなくて、彼が持っているのは
おのれの考えがたとえ不人気でも貫き通す信念の強さです。
あとは、政治家としての使命感でしょうね。
「やめる」といって、本当に議員まで辞めました。
鳩山君、聞いていますか?
●安倍晋三(2006/09/26 – 2007/09/26)
長期政権を期待されながら、1年でダウン。
ちょっと弱すぎました。
保守派としては最も期待した政権だけに、残念ひとしお。
ただ、もう再起はないでしょう。
●福田康夫(2007年9月26日- 2008年9月24日)
うーん・・・よくわからない1年でした。
そもそも、この人にとってはすべて他人事。
こういう人は総理になるべきではないと思います。
「他人の嫌がることはしない」という、まるで頓珍漢な外交方針。
オヤジが「人の命は地球より重い」と迷言を吐いただけのことがあります。
自民党を政権から追い落としたA級戦犯の一人ですね。
●麻生太郎(2008年9月24日- 2009年9月16日)
この御仁は、不運ながらがんばったと思いますよ。
前任の福田氏に比べたらはるかに多くの仕事をしています。
特に、外交面ではそれなりの事跡を残しています。
しかし、自民党の退勢を跳ね返すほどの政治的センスはありませんでした。
タイミングも悪かったけど、運もなく・・・・
もっと仕事をしてもらいたかった人物ではありますね。
●鳩山由紀夫(2009年9月16日- 2010年6月8日)
自衛隊の最高指揮官が内閣総理大臣である、ということも知らずに総理大臣になったひとり目の首相ではないでしょうか。二人目がいるとすれば、菅直人。まあ、語るに足りません。歴代最低を菅君と争うのでしょうね。
●菅直人(2010年6月8日―・・・・)
ご承知の通りで何も言うことがありません。日本の憲政が始まって以来の愚かなる宰相になる道をひた走っています。


2011/7/20 3:44 Comments (1)

1件のコメント

とてもいい内容でした。スルーなんかしませんよ。政治の榊淳司ここにあり。今までて一番の傑作です。

てかこれぐらいシャアシャアと言える世の中じゃなきゃダメだろ。

どいつもこいつもテメーは何もしないで他人はああ言っただのこう言っただの。バカでケチで小さい奴ばかり。しょうもないね。この世。

2011/07/20 19:53 | by -

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