私が戦記物を読む理由

実は私、大東亜戦争の戦記物を読むのが好きです。
ブックオフに行くと、だいたい文庫の108円コーナーで
光人社のNF文庫を探しますね。
まだ読んでいないものなら、必ず買います。

最近読んだもので、面白かったのを紹介しましょう。
「Gパン主計ルソン戦記―戦場を駆けた一青年士官の青春」

著者なる人は、千葉県の外房がご出身。実家は地元の名家。
東京の商業学校に通っていた1944年に、学徒出陣。
陸軍の第一師団に入営なさいます。第一師団ですよ!
ハハハ、これは私みたいなマニアにしかわかりませんね。

今の自衛隊にも「第1師団」はあります。練馬駐屯。
これは帝国陸軍で言えば近衛師団。帝都東京を守る役割です。
ところが、旧軍時代の第一師団は近衛師団に継ぐ精鋭、
とされていたのです。何といっても「第一」ですから。

どこの会社でも1局1部1課が主流でしょ。
政治家はよく「1丁目1番地」なんて言いますね。
それと同じで、帝国陸軍でも第一師団は一番強くなければ
いけないとされていたのです。

ところが、著者が入営した時の第一師団はソ満国境の孫呉
というところに駐屯していたのですよ。
いやはや、これにはビックリ。というか、私は不明を恥じました。
孫呉というのは、私の大好きな日本映画「兵隊やくざ」の舞台。

勝海舟の「大宮」と田村高廣の「上等兵殿」が繰り広げる、
痛快無比の戦争映画。といっても戦闘シーンはほとんどなし。
日本陸軍の陰惨ないじめや兵営生活を描いたものです。
でも、ちっともジメジメしていません。かなり痛快。
彼らの属していた部隊は第一師団だったのですね。
どうりで大宮も上等兵殿も東京の出身という設定でしたね。
第一師団は、主に東京で招集された兵隊で構成されているのです。

その師団がどうしてまた極寒の孫呉なんぞに駐屯していたのか?
それは1936年に起きた2.26事件で「反乱」部隊を出したから。
まあ、そのペナルティとして満州の最北端にやられたのです。
「Gパン主計」の著者も、その孫呉で新兵教育を受けます。

「反乱」師団とはいえ、当時の陸軍最強を謳っていましたから、
新兵訓練も猛烈を極めていますね。まあ、それはいいとして。
ところが、1944年にもなると日本軍は南方戦線でかなりの苦戦。
虎の子の第一師団も南方へ転出とあいなるわけです。

みな、南方へ行けば生きて帰れないと気が付いています。
転出直前になると孫呉の慰安所はもちろん芸者のいるお店などは
毎日毎日大盛況。孫呉が糊の海になるほど・・が放出されたとか。
しかし、この著者の表現力は中々のもの。感心しました。

中国大陸を移動して上海へ。そこから輸送船にぎゅう詰めにされて
フィリピンはルソン島へ。まあ、当時にあっては奇跡的に無事上陸。
この間、「兵隊やくざ」では南方に送られる直前に、
大宮と上等兵殿は営巣に入れられていて輸送船に乗れません。
まあ、そっちはフィクションですけどね。

この著者さんは、物資の輸送中にゲリラに襲われて重傷。
入院加療中に第一師団は米軍が上陸したレイテ島に転戦。
そこでほぼ全滅してしまいます。まあ、悲惨な戦いでした。
しかし第57連隊などは米軍をさんざん悩ましています。
レイテに渡った第一師団13000人の内、生還者は30名だとか。
この戦いについては大岡昇平の「レイテ戦記」に詳しいですよ。

一方「Gパン主計」の著者は、野戦病院で日赤看護婦と恋愛模様。
この著者さん、よほどお人柄が良いと見えて、
あの悲惨な戦場にあっても様々な人々から援助を得ます。
また、主計将校としても優秀。乏しい物資をうまく調達。
自分の部隊をなるべく飢えさせない様に計らいます。

とはいっても、ひどい負け戦です。
とうとう在留の日本人とともに奥地への逃避行。
これがまた悲惨。次々と日本人が死んでいきます。
この本には書かれておりませんが、人肉まで食ったとか。

実は、大東亜戦争でもっとも日本人が多く死んだのがフィリピン。
兵士だけではなく、在留の民間人が多数亡くなったのです。
戦前は多くの日本人がフィリピンに渡って仕事をしていましたから。
兵士が34万人、民間人が5万人以上で合計40万人以上です。
天皇・皇后両陛下も昨年はフィリピンをご訪問されました。
そして、戦争の犠牲者を慰霊されましたね。

しかし、民間人などは米軍占領エリアに残す方針だったら、
もう少し犠牲は少なくできたのではないでしょうか。
そういうことを考えながら、最後のあたりを読みました。
読後感は悪くありません。当時の様子がよく分かりました。

多分、小さい頃からも合わせると、フィリピンでの戦については
20冊以上の戦記を読んできたと思います。
まあひどい負け戦で、日本軍が勝つシーンはほとんどありません。
陸上での負け戦で、最も悲惨なのはフィリピンとニューギニアでしょう。
私の叔父も、ニューギニアで戦病死しています。

もちろん、この「Gパン主計」の著者は無事に日本に帰りつきます。
送り出したご母堂はさぞかし嬉しかったでしょうね。
しかし、この著者は生きておられれば今92歳です。
兵士として戦争を体験した方は、かなり少なくなりました。
でも、私はひとつひとつ丁寧に読んでいきたいと思います。
このような実際の戦争体験者の回想記は、いつも
「日本人とは何か」ということを考えさせられるのです。

戦争というのは愚かしいものです。
でも、日本は多くの戦争をしてきました。
これからも、戦争を仕掛けられる可能性があります。
「平和」という呪文を唱えているだけでは戦争を避けられません。
せめて、次に戦争に巻き込まれるときには、
負けないようにやるべきですね。
つくづくそう思います。


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2017/4/27 0:37 Comments (2)

2 Comments

まろたんさん、こんにちは。

今日の東京はいい感じですよ。
こういう春の日が大好きです。

コンバット、私も観てましたがな。
毎週土曜はコンバットを楽しみに家に帰りました。
実際の場面では銃剣を付ける場面なんてないのに
テーマ曲が流れるときにはそのイラスト・・・
でも、、何となく猛々しい感じは伝わりました。
ああいうドラマ、今はなくなりましたね。

サンダース軍曹、確かに何かを背負っていましたね。
私はヘンリー少尉(中尉?)の聡明な感じも好きでした。
たしかフランス語に堪能な兵隊もいましたね。

私はMASHも好きでした。
あまり日本では受けなかったみたいですが。

五木さん、今も書いていますね。
ビックリしますよ、本当に。
青春の門が再開していると、知っていますか?
時々掲載誌を送ってくる週刊現代だったと思います。

「酒場」というのは居酒屋でしょうか。
それともスナックでしょうか。
私は最近、外飲みは月に2,3回。
ほとんどはメディアさんからのお呼ばれ。
仲間内で飲むのはたまに開く事務所飲み会でしょうか。
酒場的なところからは足が遠ざかりました。
だから、かなりの勉強不足です(笑)。

麗らかな日和、快適にお過ごしください。
今日はこれからH氏と会います。

それでは、ごきげんよう。

榊淳司

2017/04/27 14:12 | by Sakaki Atsushi

榊さま。

テレビ放送黎明期のころ、「コンバット」なる
アメリカのドラマが放映されていました。
もちろんモノクロでした。
私は小学生でしたが、かぶりつきで観ました。

ドラマの初めにナレーションが流れました。
>スターリング、リックジェイソン、エーンド、
>ビッグモロウ・・・。
今でも鮮明に覚えております。

サンダース軍曹を演じるビッグモロウ。
カッコよかった。
軍人というよりも文士のような相貌。
その顔には憂愁があった。陰影も。
そして厭世観も。

あの時代のドラマは文学的だった。
懐かしいレトロです。

夜明けが早くなりました。
ごきげんよう。

2017/04/27 08:16 | by まろたん

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