この原稿、実は3月11日にグラグラグラッ・・・
と来る直前まで書いていました。
ほとんど出来ていたのですが、地震関係の更新をしているうちに
もうひと月もたってしまいました。
ちょっと付け足して出させていただきます。
公開講座「マンションって何だろう」9
日本人の「新築信仰」を疑う
ちょっと大仰な話から始めましょう。
文明の歴史をマクロの視点で眺めてみると、
ここ2000年ほど、人類は「宗教」のせいで大きな厄災を蒙ってきました。
今もそれは続いています。
このあと何百年も続くことは確実。
イスラムとキリスト、そしてユダヤの
互いに絶対相容れない対立がもたらす厄災です。
共産主義、というのも私に言わせれば一種の宗教です。
イスラムやユダヤなど、排他的な一神教に近いものがあります。
これは20世紀に猛威を奮い、人類に大いなる厄災をもたらしました。
おそらく、共産主義のお陰で寿命をまっとうできなかった人の数は
数億人という規模になるはずです。
このことは、あと百年もしたら歴史の常識になると思います。
ただ、この共産主義という擬似宗教は神を持たなかった故に
そのインチキ性が白日の下に晒されることで急速に消滅しつつあります。
菅君や仙石君の脳裏の一角には、未だに生息しているようですが。
宗教と言うのは、私からすれば不要なものです。
特に、一神教や共産主義は「百害あって0.5利」もありません。
では、なぜ人はかくもこの害毒の強い宗教と言うものに毒されるのでしょう?
それは「人はパンのみによって生きていない」からです。
人の心というものは弱いものです。
何かに「頼って」「導かれる」ことで安寧を得ます。
確かな何かを求めて、さまよっているのが人の心。
そこに、宗教と言う悪魔が忍び寄るわけです。
そして、人の心を支配し、思うままに操ります。
ただ、それは人間がこの世のことをあまり知らなかった時代には
「仕方がなかった」のではないかと思います。
でも、いまや人間が月にも行ける時代です。
かといって、今の人間がこの世のことをほとんど分かっている、
なんて言う気はサラサラありません。
人間は、この世のことを0.02%も分かっていないと思います。
でも、300年前は0.0001%くらいしか分かっていなかったと推測します。
つまり、科学は未だ世の中のことをほんの少ししか解明していませんが、
ここ300年程だけ見ると長足の進歩を遂げているのです。
いまや、「神様が自分のカタチに似せてアダムとイブを作った」なんて、
本気で信じている人はほとんどいないはずです。
でも、ユダヤ人は未だに神と契約しているし、
イスラム教徒はアッラーのために自爆テロを厭いません。
創価学会の会員は、あの油ギッチョンチョンの名誉会長のことを
本気で尊敬しているのでしょうね。笑ってしまいますが。
それはやはり人の心の弱さを補うために、宗教が必要だからだと思います。
冷静な視点で見れば、擬似宗教の共産主義も含めて、
全ての宗教にはインチキが含まれています。いってみれば、ウがあるのです。
神様はもちろん、キリストやアッラーや阿弥陀如来が
現世に出てきて我々の誰かを救済してくれる、
ということは、検証できる過去には一度もなかったし、
これからも起こりそうにありません。
ホモサピエンスという種は、200万年ほど前に今のカタチになり、
今やその個体数は60億余り。
生物としての生態活動の他に、様々な資源を変形費消することで、
この星の自然環境を癌細胞のように蝕んでいいます。
やがて滅亡するか、他の種に変態進化するはずであり、
そこに超次元の恣意的な意志が働くはずなど、まずないでしょう。
こういう平易な事実を受け入れずに、
肉眼で見る事のできない虚構を信じさせているのが宗教なのです。
まあ、今の世の中で普通にモノが考えられる人間にとっては
宗教というのは限りなくインチキなものと捉えられるはず。
しかし、それなりの教養を備えた人が
何らかの宗教に帰依しているケースも少なくありません。
やはりそれは、「安寧を求める心」のせいか、あるいはその方が
理論的にその宗教の教理に共鳴しているのでしょうね。
誤解なきようにもう一度書いておくと、私は全ての宗教は
根源的にインチキが含まれていると思っていますが、
だからと言って「今すぐやめろ」なんてことはいいません。
私は何よりも「自由」を重んじる人間です。
誰が何をしようが「公共の利益に反しない限り」自由です。
ただ、やたらと人を殺したオウム真理教などは言語道断。
不必要に政界に進出し、また日常的に嫌がる人間を
引っ張り込もうとする創価学会も
「公共の利益」を損なう反社会性を帯びていると思います。
さて、そうはいっても宗教はなくならないし、
無宗教な人でも知らず知らずに「宗教的」な価値観を持っていたりします。
例えば、おそらく日本人特有の現象だと思うのですが「新築好き」。
住まいは、何が何でも「新築」という方がかなり多いのです。
これは、私にとっては理解に窮することです。
確かに、誰も住んだことのない「まっさらな家」が
古びて薄汚れた住居よりも魅力的であることは事実です。
でも、中古マンションなら「フルリフォーム」すれば
ほぼほぼ新築と同じ状態になります。
費用だって、上手に業者を選べば200万円くらいです。
なのに・・「中古は絶対イヤ、新築でなきゃ」という方の多いこと・・・
私の感覚では、男性よりも女性にこの傾向が強いような気がします。
なぜだかさっぱり分かりませんが。
そして、この「新築好き」は欧米諸国と比べてみても
かなり特異な傾向ではないかと思います。
比較的「新しいもの好き」のアメリカでさえ、
新築住宅着工数は人口比率で日本の3分の2。
ヨーロッパなんて、軒並み日本の「何分の1」という状態です。
私は、かねがねこの日本人の「新築好き」は宗教のせいだと思ってきました。
仏教ではありません。神道です。
仏教はどちらかといえば「古いもの好き」。
でも神道は「清らかなる」状態を良しとします。
ご近所のお寺と神社を思い浮かべてください。
お寺は、それこそ創価学会系でもない限り、古いお堂が多いはず。
それに比べて、まずまずの大きさの神社は白木の新しい社だったりします。
神社の総本山ともいうべき伊勢神宮は、20年ごとに「遷宮」を行います。
内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)の二つの正宮の正殿、
14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷すのです。
つまり、20年に一度、主要な建物をぶっ壊して「新築」するのです。
お伊勢参りをした方はご覧になったことがあるでしょうが、
あそこはいつ行ってもまっさらみたいにきれいでしょ。
一般の日本人も、これにならっているのかどうか・・・
木造住宅の資産価値評価は、築25年でゼロとなります。
街を歩けば分かる通り、築50年なんていう家は非常に珍しいですね。
京都や奈良ならいざ知らず、東京の木造住宅の中で
築50年以上なのは1割にも満たないと思います。
親が建てた家に住み続けて、自分の子供に引き継ぐ・・・
などということは、まずめったにないことです。
しかし、イギリスでは普通のことだそうです。
老朽化して建て直さざるを得なくなると
「なんで自分の代に・・」と、不運を嘆くそうです。
それに比べて、日本人は「家を建てて一人前」みたいなところがありますね。
そうやって一生懸命建てた家も、25年で資産価値ゼロ。
どうしようもない安普請ならいざしらず、
しっかりと造られている家は、木造であっても50年や100年は住めるはず。
もちろん、鉄筋コンクリートのマンションもしかりです。
新築住宅を買って住んでも、サラっとしていてきれいなのは最初だけ。
「新築気分」を味わえるのは、せいぜい数か月から2年程度。
そのためだけにマンションなら2割以上、
木造一戸建てなら3割以上高くなるのが住宅の市場相場です。
しかも、新築の場合は欠陥があるかどうか、不明の状態。
でも、多くの日本人の場合「新築だから大丈夫」という
変な先入観で安心しきっている傾向が見られます。
それって、私に言わせれば「ほとんど宗教」。
なんの科学的根拠もないことです。
今回、地震で多くの家屋が滅失しました。
ツイッターでも書きましたが、推定で20万戸くらいかと思います。
しかし「20万戸がなくなったから20万戸を新築する」
という安直な発想は避けるべきです。
それ以前に、日本全体で800万戸の住宅が余っているのです。
「一軒も新築する必要はない」などと乱暴なことをいうつもりはありません。
しかし、何が何でも「建て直さなければ」と考える必要はないはずです。
住む場所や条件に制約はありますが、
範囲を広げ、あれこれ文句を言わなければ、
ある程度の選択肢は見つかるはずです。
また、政府や各自治体、業界団体などが「余っている住宅」を
被災者に提供できるシステムを早急に構築すべきです。
そして、日本人は全体として「新築信仰」から脱却すべきです。
限りある資源や資本を「スクラップ&ビルド」で無駄に費消するより、
きっちりと「ストック」化すべきでしょう。
少なくとも、私たちの子供の世代は「家を建て」なくてもいいはずです。
それをしない分、もっと違うことに時間やお金を使うべきだと思います
多くの人が、住宅ローンや家賃を払うために働いているのが今の日本社会。
これは、ちょっとおかしいと思います。
「住宅」に人生の収入の何分の1かをつぎ込まなければならないのは
ある意味で「新築信仰」という呪縛にはまっているからです。
ここから脱却すれば、人生はもっと豊かになります。
この話題・・・実は拙著「年収200万円からのマイホーム戦略」に詳しく書いていますので、ここではこれくらいに。
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長持ちするのは良い面もありますが、50年、100年持つ家が増えていけば、再生修復とちょっとリフォームするばかりで新しい技術を試す機会がなくなり、職人も減ってしまいます。材木の使用量も減るので山を管理する人もいなくなるでしょう。
また、そんなに永いこと持つことを目指すというのは、この地の自然環境(地震や台風、高温多湿)に逆らっているんだと思います。戦乱で同じ場所に永く住むことが叶わなかった西洋と同じに考えるのはちょっと無理があります。東京で築年がいってる木造がないのは空襲を受けてみんな燃えてしまった後に良質な材木がないなか安普請で乱造した結果であって、やりたくてそうしたわけでもないでしょう。
今の子供が建物を新たに作る必要はないんでしょう。それは合理的ですが、その子供が住む家を作る必要に迫られた時に作る技術が継承されていませんでしたでは迷惑な先祖になってしまいます。使えなくなって、スクラップ技術も失われて建て替えもできない高層マンションなんかどうするんです?
2011/04/11 11:42 | by CooRSS feed for comments on this post. TrackBack URL