公開講座4 「区分所有」という異文化

「マルサの女2」という映画が公開されたのは1987年ということなので、
今からだと24年も前のことになります。
私はまだサラリーマンのコピーライターでした。
今よりたんまり時間はあるし、実家から送ってくる株主招待券もあり、
話題作はほとんど劇場で観ていました。

伊丹十三という方は、まあ天才ですね。
私は妙に斜に構えていて分かり難い北野武の映画なんかより、
伊丹作品の方がよっぽど好きです。
まあ、それは置いておいて・・・・

あの映画の中でいくつか興味深いシーンがあったのですが、
今でもよく覚えているのはマンションの地上げ。
ゴミが散らかり、建物も荒れ放題の外廊下を
ドーベルマンを2匹連れた怖いお兄さんが闊歩していました。
まあ、そんなマンションは誰も住みたくありません。
「買っていただけるのなら、おいくらでも」と売りますね、普通は。

今の時代、土地の値段は「右ナデ肩」にダラダラ下がっています。
こういう時に「地上げ屋」というのは、ほぼ商売になりません。
ほんの一部の例外を除いて、
マンションの住民を追い出して更地にしたところで、
「それでどうするの?」という物件ばかり(笑)。

しかし、わざわざ怖いお兄さんがマンションを荒らしにやってこなくても、
自分たちの管理がまずくて同じ状態になる可能性はいくらでもあります。
また、すでにそうなってしまっているマンションもあるでしょう。
つまり、マンションというものは建物も管理も
しっかりケアしなければ加速度的に「劣化」してしまうのです。

ほんの100年ほど前まで、日本人のほとんどは農民か漁民で
しかも「村」という共同体の住民でした。
海も川も山も、いってみれば共有物。
そこを利用(不動産用語では「用益」)するのは
それぞれの村によって決まった「掟(今風で言うと“規則)」がありました。

しかし、そんな農民漁民の子孫は田畑も漁場も捨て、都会へ出てきました。
彼らの大半は「田舎の付き合いは面倒臭い、都会はドライでいい」と、
近所付き合いやの慣習や掟に縛られない都会の暮らしを喜びました。
そして「戸建だといろいろ面倒臭いから」という理由・・・
だけではないのでしょうが、多くの方がマンションを買います。

ところがドッコイ。
彼らは再びマンションと言う共同体(村)の住民になり、
再びその掟にしたがった暮らしをしなければいけないのです。
でも、マンションの掟(規則)は昔の村とはかなり違います。
まずもって、ご近所づきあいなど「あいさつ程度」。
冠婚葬祭なんか、ほとんど関係なし。

最大の違いはルールが明文化されていて、誰でも読めば理解できます。
「分からないことは村の古老に聞く」なんて曖昧さがありません。
それに、お金で雇った管理会社という「使用人」が、
共用部分の掃除やお手入れをやってくれます。
泥棒や不審者の侵入は、同じく金で雇った警備会社の仕事。

「なーんだ、ぜんぜん違うじゃん」
みなさん、最初はそう感じられるはずです。
でも、根本のところは同じです。
むしろ、それぞれの個人資産がある程度明解に分離されている
昔の「村」の住民よりも、法的には強くつながっています。

なぜなら、マンショ内の住民(所有者)同士は、
ひとつの資産(敷地・建物)を民法上「共有」している間柄なのです。
そして、各オーナーは「区分所有者」と呼ばれます。
その資産(マンション)の価値が上がれば全員が利益を受け、
下がれば全員が損失を蒙ります。
いわば「利害を共に」している運命共同体なワケです。

この「建物の区分所有」という関係・・・
実は日本人には馴染みが薄いかもしれません。
前々回の項目で述べたとおり、日本人は伝統的に木造住宅に住んできました。
だいたいが1世代使えばスクラップ&ビルド(建替え)。
せいぜい、2世代ですね。3世代も使えばボロボロ・・・
最低でも3世代は使う欧米の石造りの家とは
根本的な「住宅観」が異なります。
当然、長期使用を前提とした「区分所有」関係は生まれませんでした。

ところが、今や都市住宅の主流は鉄筋コンクリート造のマンション。
日本で「区分所有法」という法律が出来たのが1962年。
これは民法の「共有」概念を基本として、
耐久建築物の区分所有関係をさらに踏み込んで規定したものです。

ただし、区分所有法には根源的な問題があると私は危惧しています。
それは、この法律は区分所有者というものは、
自らの資産を守るために管理組合の活動に前向きに参加するであろう、
という前提で成り立っていることです。

条文では、区分所有者全員で管理組合法人を結成し、規約を定め、
集会を定め、日々の運営事項を決めていく・・・みたいに決められています。
しかし、集会に参加しなかったり(管理総会に欠席)、
管理運営に協力しない区分所有者へのペナルティは、何も定められていません。
そのくせ、「共用部分の用途変更」などの重要事項については、
「議決権の4分の3」以上の賛成がなければいけない、なんて書かれています。

例えば、1000戸のマンションにプールがあったとします。
竣工後10年、誰も使わなくなったので維持費負担の少ない体育館か
総会にも使える集会室に「用途を変更」しようといたとき、
単純に考えれば750戸分の賛成がなければ、
誰も泳がないプールを、そのままにしておかざるを得ないのです。

ところが、竣工後10年もたてば賃貸にまわっている住戸もあり、
管理費を滞納している区分所有者もおり、
ローンが払えず「売りに出されている」住戸もあり・・・
総会開催の定足数である半分、1000戸なら500戸の参加者と委任状を
集めるのさえままならぬのが現実でしょう。
4分の3なんて夢のまた夢です。

はっきりって、この法律は現実に適合していません。
それに、多くの区分所有者は「管理」に対する自らの責任を自覚していません。
多くの日本人は“one of them”でありたいと思っているので、
自ら積極的に管理組合の活動に参加したがりません。
また、積極的な方を「でしゃばり」として白い目で見がちです。

こういったように、残念ながら管理総会の活動の意味を
理解していない区分所有者はたくさんいます。
マンションの「管理総会」は、「学級会」とは根本的に異なるのです。
それは、自分たちの資産について協議する場であり、
その決議の方向性により財産的な価値が左右されるのです。
よりよい方向へ導くため、よく話し合い、議論し、
時には相手を説得する必要があります。
そして、最後は投票によって決まります。
いってみれば、民主主義制度の縮小版のようなもの。
これって、多くの日本人は苦手ですよね(笑)。

民主主義が、「国民の賢明な選択」を期待しているように、
マンション管理は「区分所有者の賢明な判断」が前提。
民主主義が正常に機能する国で選挙を棄権することは、反社会的行為です。
オーストラリアでは、棄権には罰則があるので
投票率は常に95%前後だといいます。
ところが、日本は「生まれてこの方、選挙なんか行った事がない」と
嘯く愚か者がいても、誰も非難さえしません。
住んでいるマンションの管理総会に「一度も出席したことがない」、
という方が多いのも、こういう土壌があるからです。

日本人にとって、民主主義への積極的な参加が未成熟なように、
「区分所有」という概念も、いまだに「異文化」です。
しかし、現実はどんどん進んでしまっています。
これから「区分所有関係」の複雑な機能を発揮しなければならない
数多の老朽マンションはいったいどうなるのでしょう?

さて、マンションレポートの更新情報です。

「京都市」
マンション市場に異状あり
【2011年3月改訂版】
価格 3,980

「大津市」
やや落ち着きを見せるマンション市場を分析
【2011年3月改訂版】
価格 2,490

「京都市」は、半分以上の物件が入れ替わりました。
京都らしいというか・・・ユニークですね。
地元のデベががんばっているのか、幅効かしているのか?

取り上げた物件は以下の通り

サンクタス京都山科
パラドール嵯峨野三条通 ミッド・イン・ピース
ライオンズ四条烏丸セントマークス
アトレ西院エルステージ
ファインフラッツ京都西院
パデシオン藤森グランデ
ブランズ京都御池通り
パデシオン京都十条
ザ・パークハウス 二条城
リソシエ 岡崎 冷泉通
リビオ四条大宮
グラン・コート西京極II
THE RESIDENCE 京都 東洞院四条
ウィズフィール京都山科

「大津」は顔ぶれがほとんど変わりませんね。
もとの「落ち着いた」市場に戻りつつあります。
取り上げた物件は以下の通り。

サーパス柳が崎湖畔公園
ビジュール琵琶湖京阪浜大津
アークレジデンス大津中央
プラウド大津におの浜
ルネ大津膳所
サンクタス大津石山
ベリスタ大津駅前

共に、ページ数の減少に伴い価格を下げています。


2011/3/9 18:52 Comments (0)

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