民主主義というシステムは選挙民がある程度賢明な
判断をする、ということがうまく機能する前提になっています。
選挙民がアホな指導者を選んだ場合、
そのことによる不利益は自分たちに還ってきます。
先日、都議会議員の選挙があって、小池党首(当時)の
都民ファーストたらいう団体が第一党になりました。
小池知事は就任以来、なにをやったかというと
ほとんど何もせずに都のお金を数百億円浪費しただけ。
そして今後は何千億円ものうべかりし利益を、
逃そうとしているように見えます。
しかし、何百万人という都民はそのことが見えませんでした。
一方、お隣の国では「平壌とはまず話し合いを」とほざくお方が
大統領に当選して、ほぼその通りの言動を続けています。
お隣の国は、平壌に幾百度と騙された上に、
時々大砲の弾を撃ち込まれたり、何百人と人が攫われたり、
闇夜に魚雷を喰らわされたりしているのに、
今さら何の「話し合い」ですか。
まあ、あの国の人々が不都合な現実から目を背けるのは、
いつものことです。しかも他人の国。アホで結構。
しかし、東京都民が何百万人も都民ファーストに投票し、
小池都知事の豊洲築地問題のあのアホみたいな両立案を、
世紀の愚策と見抜けないのには情けない。
私に言わせれば、書物を千冊くらい読んだ人なら、
あの愚案のアホ臭さを即座に理解できたはず。
つまり、東京には数百万人単位でロクに本を読んでいない
アホがいる、ということですね。情けない。
私の死んだオヤジはようゆーてました。
「世の中10人おったら8人まではアホや。残りの1人が普通で、
あと1人がやっと賢いかどうかやな」
オヤジがそういう時は決まって私が
「世の中、アホばっかりや」と憤慨しているとき。
つまりは「そんなことで怒ってもしゃーない」と宥められたのです。
55年ほど生きてきましたが、この事実は変わりませんね。
「世の中、アホばっかりや」と、今でも思います。
「ほな、お前は賢いんか?」突っ込まれそうですね。
まあ、私もアホのひとりかもしれまへんなあ。
55年も生きてきて、大したことでけてまへんし。
このブログによくコメントをくださる
「まろたん」さんという方は1年ちょっと前に、
本州の西の彼方にある街に移住なさいました。彼こそ
団塊の世代のハッピーリタイヤ―、と私は思っています。
その彼からいただくコメントの中に最近、
「老人たちはみな自分の人生を恨んでいる」
というようなフレーズを時々見かけるようになりました。
まあ、誰しもが思い通りの人生が歩めるわけではありません。
自分の望む職業につく人ですら1%もいないでしょう。
そして多くの人が思っても見ない不運に遭遇するはず。
または自らの責任でない不遇を囲うことになっています。
そういうものを跳ね返して勝ち進める人も1%いるかどうか。
結局のところ、ほとんどの老人の思い出は禍根に満ちています。
たったの55年しか生きていない私の人生ですら、
禍々しい思い出が山のようにあります。
また、日々それを増やしているようにも思えます。
世の中、自分の力で前途を切り開けるのはほんの少数派。
大部分の方は流れに沿って生きるしかありません。
特に一生サラリーマンであることを良しとする方は、
自分で自分の人生が切り開ける、なんて思わない方が無難。
さらに言えば、40までに独立しなかったお方は、
なるべくずっとサラリーマンを続けるべきだと思います。
しかし、誰もが「自分はもっと・・ができる(できた)はずだ」
といった忸怩たる思いを胸に秘めています。
ハッハッハー。それはねえ、ただの思い上がりですよ。
やりたいのなら、やったらええやん。私はそう思います。
できひんのやったら、おとなしいしてような、とも。
そう言ったことをイジイジと考えている人ほど、
お酒の席で誰かに絡んだり、弱いものに説教をしたり、
部下をいじめたり、SNSのフォロワーを必死に増やしたり、
いつも誰かの悪口を言いまわったりしているのですよ。
「自分はこんなはずじゃない」といううっ憤を、
どこかではらそうとしているのですね。
そして、いつしか気が付いたら自らの人生を恨む
醜い老人になっているのだと思いますよ。
顔は貧相。目には濁りを宿し、物言いは剣呑。
口を開けば不平不満と人の悪口、他人の良からぬ噂話。
そういう老人にはなりたくないなあ。
まあ、私の場合はあまり心配していませんが(笑)。
私は最近、人間というのは齢を重ねるほど賢くなる、
という無邪気な観念を捨てることにしました。
それを否定したくなる事象にいくつも出くわしたからです。
歳をとっても、俗物は俗物ですね。下衆は下衆。
涼しげに時を過ごす老人になるためには、
今から訓練をしておかなければなりません。
何をするのか? カンタンです。
まずは、たくさん本を読んで知性と教養を身に着ける。
ただし、身に着けても下手にひけらかさないように(笑)。
そして、なるべく涼しげに振る舞う。
「涼しげ」って何ですか? と聞かれそうですね。
カンタンに言えば、論語の中の次のフレーズに尽きます。
己の欲せざることを人に施すなかれ
それだけで十分ではないでしょうか。
ただ私には遠い彼方にある目標のように思えます(笑)。
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まろたんさん、こんにちは。
本日、こちらは幾分過ごしやすい感じです。
確かまろたんさんのお住まいの街は
「小京都」のひとつだったかと。
私は訪れた記憶がありませんが、
風情のある街かとうかがっています。
全然関係ありませんが、
イギリスが2040年にはガソリン・ディーゼル車の
販売を中止するとか。
それでよーく考えてみたのですが、
私の人生設計ではその頃はもう生きていません(笑)。
最近のニュースは、そういう視点で見るようになりました。
リニアモーターカーの開業も関係なさそうです。
平成が終わりますね。
昭和も遠くなりました。
我らはただの旅人ですね。過ぎるだけ。
昭和枯れすすきのように、
枯れてしまいたいでは有馬温泉。
それではまた ごきげんよう 榊淳司
2017/07/27 11:49 | by Sakaki Atsushi榊さま。
当地は京都と同じく盆地ですから、
まあ、暑いのなんのって。
発狂寸前ですよ。(笑)
今日は、フリーランスのIT技術者のが当家に。
身に付けたいことあって。いろいろと。
まあ、地方はトキオと比べ「競争がない」。
トシヨリにとっては、これ、有り難い。
ニッポン人よ。タミ草よ。
こんなに豊かに成ったのだから、さ。
我が過去を、人生を恨むことなく、ね。
小生、やっぱり機嫌のイイ人が好きですわ。
所詮、人生、行き当たりばったり。
所詮、人生、ドンブリ勘定。
晩節には「達観」こそ。今のいま。
だれの言葉でしたか、
「置かれたところで、咲きなさい」と。
そして、これを受けて、作家・五木寛之さん曰わく、
「置かれたところで、散りなさい」
そうですよ。
「涼しげな老人」で、散りましょうや。
あとに続く子ども達は、涼しげな眼で見てますよ。
見苦しい老人どもを。何も言わずに、じっーと、ね。
まのなく平成は終わるようです。
そう、全ては終わる。
が、バカモンは終わらない。
どころか、ますます繁殖する様相かと。(笑)
ごきげんよう。
2017/07/26 20:06 | by まろたん今後、国政政党になられる際には、ぜひ「愚民ファーストの会」に名前を改めたら、いかがでしょうか?
日本全国津々浦々、愚民の方々は、沢山おられるでしょうから。
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