先日、とあるデベのエライさんと会食していたら、
このブログの「池上彰の真似っこシリーズ」を、
やけに褒めてくださったので、調子こいでまた一発。
お題は、久しぶりに「朝鮮」。今回は日本との関係史。
アメリカと北朝鮮がややこしいことになっていますね。
私はかねて米朝の首脳会談が実現する可能性は5割、
みたいなことを書いた覚えがありますが、
本当に残り5割の方が一瞬本当になってしまいましたね。
この先、本当に中止になれば軍事行動の可能性も高まります。
まあ、三男ブーはそこまでアホではなさそうですが。
朝鮮半島は日本にとって実に厄介な存在です。
これは西郷どんの時代からそうなのですよ。
日本は古代の白村江の戦いや秀吉の朝鮮出兵以外で、
明治維新まで朝鮮半島のことで悩まされる
ことはほとんどありませんでした。
両者の間には日本海が横たわっていたからです。
日本が明治維新で政体の大変革を成し遂げた時、
朝鮮は李氏朝鮮の末期でした。
それがどういう政治形態かというと・・・・
古代王朝そのままなのですよ。
といってもピンとこないでしょ。
まあ、日本で言えば飛鳥時代みたいな感じ。
まず、王がいます。その取り巻きの貴族がいます。
宮廷には中国に倣って宦官もいます。
科挙があります。だから秀才官僚もいます。
ちなみに、日本には貴族がいますが宦官も
科挙による秀才官僚もいませんでした。
統治機構といえば、それだけ。
地方には知事のような役職である長官を派遣します。
彼らが税金を徴収するのですが、だいたいは腐敗しています。
軍隊はいません。治安を守る警察程度の武装集団はいます。
軍隊を作らないのは、反乱されると困るから。
ただ、李氏は反乱によって王権を簒奪しました。
それだけに、武力が怖かったのでしょう。
朝鮮の王宮では常に派閥争いが行われていました。
王族や貴族、役人はそれに持てるエネルギーの120%を
注ぎ込んでいる、といった感じ。年がら年中、何代にも渡り。
あの人たちって、つまらないことで口を極めて
罵り合っているでしょ。まあ民族性ですね。
日本も散々罵られていますが、まあ気にしないこと。
李朝時代の産業は、ほぼ農業だけです。
布は白の綿布しか作れなかったと言われます。
韓流の歴史ドラマでは色鮮やかな衣装が見られますが、ウソ。
あとは陶磁器などをかなり上手に作っていました。
でも、それだけ。
首都は今のソウル。漢字で「京城」と表します。
そして、朝鮮国は清朝の属国です。
清の皇帝から使者がやってきたら、朝鮮の王は
京城の街を取り囲む城壁の外まで出迎えて
土下座をしてお迎えします。そういう国が李氏朝鮮。
日本は一度もそういう時代を経験していません。
また、首都といっても産業がない国なので
商店が並んでいたりしません。
硯や筆を扱うお店が何軒かあったと言われています。
大店小店がひしめいていた同時期の江戸と大違い。
日本が明治維新で騒いでいた頃の李氏朝鮮はそんな感じ。
それで、日本もようやっと幕末維新の騒動が落ち着いたので、
その朝鮮に使者を送ります。天皇の親書を持たせました。
そしたら、釜山あたりで朝鮮の小役人が
「こんな無礼な書は受け取れない」といって
突き返します。そして散々に日本の使者を罵倒します。
「お前ら野蛮人は礼儀を知らない」
その理由は、親書の差出人が「天皇」になっていたから。
朝鮮の人にわせると「皇」の文字を使えるのは、
中華の「皇帝」だけだというのです。アホみたいでしょ。
今でも韓国の新聞は天皇陛下のことを「日王」と
表現しているようです。アホが150年も続いていますね。
だから今でも国際情勢音痴。まあ、それはいいとして。
明治初期、こういうやり取りを何度か繰り返します。
それで、明治の新政府もカンカンになって怒ります。
「あの無礼な韓国を討つべし」 これが征韓論。
先頭に立ったのは、他ならぬ西郷隆盛。
もめにもめます。結果はみなさんご存じの通り。
その後、朝鮮のアホは治りません。
時あたかも帝国主義時代。アホな国はどこかの
列強の植民地にされてしまいます。
朝鮮もさすがにそういう空気は察したようで、最初は
宗主国である清の保護に頼ろうとします。
そこで起こったのは1894年の日清戦争。
日本が勝ったので、そのまま日本に頼ればいいような
ものなのですが、その頃から連中は大の日本嫌い。
というか、自分たちは「中華に属する文明国」だけれども
日本は礼儀を知らない野蛮な国だと思いたがっていました。
まあ、そういうアホぶりも今と変わりません。
それで、次はロシアに頼って1904年の日露戦争。
結果はもちろん日本の勝利。朝鮮の生殺与奪は日本次第。
もうどうしようもないので、その後は日韓併合。
当時の日本政府は、日韓併合に賛成する人たちばかりでは
無かったのですよ。だって、そんな古代国家を
引き受けてしまったら、負担が大変なのは見えていました。
例えば、初代朝鮮総督の伊藤博文なんて、
実情を知っているだけに大の併合反対派。
でもアホな朝鮮人はそういうことも知らずに
伊藤博文を併合前に暗殺してしまいました。
やったのは安重根。ただのテロリストですよ。
伊藤が死んだので、併合への道は強まったとか。
聞けばハルビンには安重根の銅像が立っているそうな。
テロリストをあがめたたえている今の中国と韓国。
まあ、この両国の文明のレベルが押しはかれますね。
その後、朝鮮は正式に日本に併合されました。
「植民地支配」なんて言いますが、正確には違います。
朝鮮半島は日本の正式な領土となったのです。
イギリスにおける北アイルランドのようなもの。
あそこは正式な英国領で、植民地ではありません。
日本は朝鮮を領土とすると、過剰なくらい投資をしました。
小学校を全国に何千と作りました。
ハングルを復活させて初等教育に入れたのも日本。
朝鮮全土に鉄道を敷き、港湾を整備。
土地の登記制度を導入して所有権を明確化しました。
工場をたくさん作って、商業を奨励しました。
その結果、併合前に比べて人口は倍増したと言われています。
そうして併合から36年の年月を経て、運命の1945年がやってきます。
日本は敗戦。連合国は日本の要請を蹴飛ばして朝鮮半島の
日本からの分離を決定。北緯38度線を境に
アメリカとソ連が南北をそれぞれ占領することになりました。
なぜ38度線かというと、米軍とソ連軍の進撃速度。
というか占領へのキャパシティだったと推測します。
ともかく、この時点で南北が分断されました。
やがて、南には今の韓国。北には今の北の国家が成立。
まず、南側はアメリカに亡命していた李承晩という
キチガイ老人を連れてきて大統領に据えます。
こいつが竹島を占領した張本人です。大の日本嫌い。
北には、ソ連軍の朝鮮人部隊「大尉」であった金成柱というのを
ボスとして据えました。こいつが今のブタの爺さん。
名乗りは「金日成」でした。その理由は、
当時の朝鮮半島の人にとって「金日成」は
満州南部や朝鮮半島北部で日本軍と戦った英雄だったから。
ただし、そういう抵抗運動は1920年代にはほぼ終息。
本物の金日成は多分、金成柱のひと回り年上だったはず。
でも金日成という名前なら、かなり通りが良かったのでしょう。
ちなみに、朝鮮半島では同じ一族の同世代は同じ漢字を
使う風習があります。例えば、「金日成」である金成柱の弟は
金英柱でした。ブタの親父の金正日の弟も金平日。
ところが、金日成の息子が金正日、その子が正恩なので、
北ではこの風習が崩れていますね。南では今も続いています。
分断当初、北の方が経済的には豊かでした。
その理由は、日本統治時代に北を工業化していたから。
北には鉱物資源が豊富です。化学や金属など、それを加工する
いろいろな工場を北に作っていたのです。
南はただの農業地帯でした。
1950年、朝鮮戦争が起こります。
これは「金日成」がソ連のスターリンの承諾の元に
南に攻め込んだことで始まりました。
当時、軍隊はソ連の後押しで北の方がかなり強力でした。
その後、国連軍(アメリカ)が参戦して北へ攻め上りました。
すると今度は中国が介入。ソ連も秘密裏に空軍を投入。
結果、膠着状態に陥って1953年に終結しました。
その終わり方が「休戦」というカタチになっています。
「休戦協定」に署名したのは南北と中国と国連。
国連といっても、実質的にはアメリカです。
休戦は、終戦ではありません。
日本は1941年からアメリややイギリスと戦いましたが、
1952年に発効したサンフランシスコ平和条約と、
1956年の日ソ共同宣言で、戦争を正式に終えています。
しかし、朝鮮半島では休戦しているだけ。
法的には戦争が続いているのです。
北の三男ブーは、これを終わらせてアメリカと正式に
平和協定を結びたいと考えています。
平和協定を結べば、自分の独裁体制が覆されて
リビアのガダフィみたいに怒った民衆に殺される
ようなことはないと考えているのです。
さて、日本。
1965年に韓国との間で日韓基本条約を結びました。
これによって、日本と韓国の間のWW2以前の問題は、
政府民間の別にかかわらずすべて解決したことになっています。
だから売春婦(彼らの言い方は慰安婦)とか徴用の問題が
あるとすれば、それは韓国政府が国内で解決すべきことです。
そのあたり韓国はちっとも分かっていないので
国際社会の笑いものになっています。
この先、日本と北の間で国交を結ぶとすれば、
またぞろ賠償と請求権の問題が発生する可能性があります。
望ましいのは南による北の併合でしょうね。
そうすれば、法的な問題は発生しません。
1965年の基本条約ですべて解決済み、になりますから。
朝鮮半島は日本にとって本当に面倒くさいところ。
いつまでたっても拗ねて甘えて駄々をこねるおバカさん。
日本にはどんな大人げない要求をしてもいいと誤解しています。
それはこれからも何百年、変わらないと思います。
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開催日時:6月30 日(土)13時~17時
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6月30日土曜日の13時から17時まで、
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とくにご予約などは不要です。
ただし、順番におうかがいしますので、
ちょっと待っていただくかもしれません。
ちなみに、前回の参加者は2組様。
待ち時間が多少はございました。
次回も同じようになるかどうかは分りません。
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