「龍馬」のように、世の中が「見えている」か?

NHK大河ドラマの「龍馬伝」がえらく評判のようです。
残念ながら、私は見ていません。
また、今は「歴女」なる歴史好きの女子がブームになっているそうな・・・
私も、ネが歴史好きなのでまことに結構なことだと思います。
ただ、どうも違和感を覚えるのが「史跡めぐり」というもの。

例えば、龍馬が活躍したのはおおよそ150年も昔のこと。
当時の面影なんぞというものは、今の日本にはほとんど残っていません。
だから、ここで「龍馬が・・・をした」などいう場所に行って、
もうしわけ程度に立っている石碑かなんかを眺めて、
いったい何の意味があるのか、私にはトンと理解できません。

それでも、我が家の子どもの一人が妙に歴史好きであり、
私も休みごとにあっちこっちに引き回されています。
まあ、中にはそれなりに感慨を抱かせる場所もありました。
1年ほど前に行った下総大多喜城もそのひとつ。

1回前のブログ更新でチラリと書いた家康の江戸入府のとき、
この領地をもらったのは徳川四天王の一人、本田忠勝。
初代大多喜城主にして、その知行10万石。
今に復元された城の天守に登り、
山間の小さな盆地を眺めてつくづく思いました。
「家康と言う男は、ホントに吝嗇(ケチ)だなあ」

本田忠勝というのは、あの武田信玄をして
「家康に過ぎたるものがふたつあり、唐の頭に本田平八」
とまで言わしめた勇猛果敢な侍。
生涯に五十七度戦に出て、一度も不覚を取っていないとか。
いってみれば、家康を天下人たらしめた功臣のひとり。
家康が関東七国を得た時、
その所領は優に200万石を超えていたと思います。
なのに、一番の功臣に与えたのは、たったの10万石。
それも、下総の山奥の僻地。

一方、家康が関が原で戦うことになる石田三成の逸話。
秀吉から初めて1万5千石という所領をもらったとき、
三成は新たな家来を召抱えようと、ある浪人を訪ねます。
「手前、未だ若輩ながら秀吉様から1万5千石をいただいております。ぜひ、みどもにお仕え下され」
その浪人、年若い三成を見るなり、鼻で笑ったかどうか・・・
「お手前に仕えよとな・・・して、禄はいかほどいただけるのか?」
「はい、1万石でいかがでございましょう?」
彼に1万石を与えると、自分の分は5千石しか残りません。
その浪人は目をギラリと光らせた・・・かどうかは知りませんが
「しからば、お仕えいたそう」
後に「三成に過ぎたもの二つあり。島の左近と佐和山の城」と言われた
島左近こそが、その浪人。知る人ぞ知る、戦国末期の有名人です。

家康に仕えた三河以来の股肱の臣である本田家や大久保家は
徳川時代を通じてだいたい10万石程度の小大名。
国持ち大名はほとんど見かけません。
まあ、「冷遇」といっていいでしょう。
さて、家康のケチ話は、またいつかゆっくりいたしましょう。
今日の話題は「歴史の深い楽しみ方」について。

いつか関が原に行ったときの話しもこのブログに書きましたが、
当時を偲ばれるようなモノは何もありませんでした。
確かに、400年の時を経ていますから、
何も感じられなくて当然でしょうね。

私は京都に生まれて、今は東京に住んでいます。
京都にいる頃は、そこら中が「史跡」だらけ。
なーんにも珍しくありません。だから、「ありがた味」もゼロ。
この原稿を書いているのは東京の「中央区新富」にある事務所ですが
そこは「築地」や「八丁堀」の近く、といった方が
歴史好きの方には分かりやすいかもしれません。
「築地」といえば今は「市場」ですが、
明治初年の頃は外国人居留地があったり、海軍の学校があったり・・・
慶応大学その他多くの大学もこの地から生まれています。
でも、今は当時の面影は何もありません。
道端に「○○大学発祥の地」などいう小さな石碑が残されている程度。

司馬遼太郎氏は、「街道を行く」というシリーズで
各地をめぐりながらいろいろな文章をお書きになりました。
ただ、その中で名所旧跡はおろか、史跡を訪ねているところさえ
ほとんどなかったと記憶しています。
そこに行って史跡を眺めたからと言って、
ムクムクと構想が湧き出てくるものでもないのでしょう。
その地の空気を吸い、風光に接し、人と話し、時の彼方に思いを馳せる・・・
そういった心象風景を文章にしたのが「街道を行く」なのです。

「龍馬伝」に触発されて、史跡めぐりをするのも悪くないでしょう。
でも、龍馬と言う男が、なぜに今も好かれているのかを考えると、
歴史に対する面白みが深まります。
テレビは、歴史の中の「ドラマ性」を強調しすぎるきらいがあります。
おりょうさんと新婚旅行をしたとか、暗殺者に襲われて間一髪で逃れたとか・・・
そういうことは、ただのエピソードでしかありません。

いつかもチラと書きましたが、龍馬という人物は、
あの時代に生きていた中では数少ない「世の中が見えていた」男なのです。
「見えていた」から、彼は同郷の武市半平太のように
京の町で派手な政治運動をしませんでした。
仲間を集めたのは「海軍」と「貿易」のためであって、
「政治」はそれをサポートするための「手段」として利用する程度。

そもそも、あの幕末騒乱の時代・・・なぜ京が騒がしかったのか?
それは、ひとえに「天皇」を動かすためなのです。
黒船来航により、日本はひとつの「国」として外国と対することになりました。
「さて、この国を代表するのは誰?」
という、基本的な問題に人々が気づいたのです。
確かに、江戸の将軍は日本国中の武士の頭領です。
でも、法的に彼をその地位(征夷大将軍)に付けているのは天皇。
「だったら朝廷(天皇)を動かして、幕府を困らせようぜ」
という連中が京に集まって騒いでいた、というのが、
言ってしまえば幕末と言う時代の基本的構図。

そして、朝廷側にもそういった「幕府を困らせよう」と考える
「尊皇攘夷の志士」というやや胡散臭い連中に付け入られるスキが、
ありすぎるほどありました。
そのスキとは、すなわち「金」。
朝廷は公家も合わせて2万石の貧乏所帯。
特に公家なんぞは赤貧洗うが如き暮らしを二百数十年続けてきました。
そこへ、潤沢な金をもった諸国の志士が入れ替わり立ち代り現れては
自説を滔々とまくし立てて、最後に金を置いていくわけです。
貧乏公家はその金に目がくらみ、彼らの「説」を天皇に取り次ぎます。
長州が三条家に食い込めば、薩摩はゆかりのある近衛家に。
さらに徳川慶喜が乗り込んできて・・・
もう、各藩&幕府こぞってグチャグチャの公卿籠絡工作を展開。
受ける公家も公家。金に目がくらんで、言うことがコロコロ変転。
ある時、そんな公家どもにキレた慶喜が、中川宮に
「薩摩は貴殿にいくら金を積まれた? お教えいただければ、明日にでもその倍の金子をここに積んでご覧に入れる」
なんて凄む場面さえあったのです。

一方、京の巷ではもう少し低レベルの議論に行き詰った連中が、
刀を抜いて斬り合う事件が日常茶飯事に起こります。
そこで、単純な「剣士集団」の新撰組が登場して・・・・

とまあ、幕末期というのは様々な事件とドラマの連続なのですが、
その構図は割りあい単純で、
冷静に眺めれば「アホみたい」な所も多いのです。
そういうところを、斜め横から冷ややかに眺めて
自らは決して渦中に飛びこまなかったのが、坂本龍馬。
つまり、この馬鹿馬鹿しい構図が「見えていた」のでしょう。
それよりも、彼の眼は「その次」に日本をどうするのか、
という「現実」の問題が大きく映っていたのだと思います。

その龍馬に、世界の中の日本がいかにあるべきか、
という大構想を吹き込んだのは、勝海舟。
この人物も、この時代には珍しく世の中が「見えて」いました。
彼は維新後、ちょっと喋り過ぎたせいで評判はイマイチですが、
その構想力、行動力には驚嘆すべきものがあります。
西郷隆盛なんて人気はありますが、意外と「見えて」いませんね。
幕末騒乱期の「指揮官振り」は見事なものです。
権謀術数にも長けていました。
ただ、彼の倒幕後の政治の構想は「堯舜の世ごたく・・・」などという、
非常に曖昧で無邪気な理想主義でしかありませんでした。
そういった「非現実性」が、のちの西南戦争につながっていくのでしょう。

歴史と言うのは、小説を読み、ドラマを見る以上に
楽しむ方法がたくさんあります。
読んで、考えて、調べて、また読んで、考えて・・・
その内に時代の全体的な構図が見えてきます。
別に「史跡めぐり」をする必要はありません。
「時代」というものが理解できれば、
単にヒーローの物語だけを表面的に追いかけるよりも
数十倍の深さで「歴史」が楽しめるはずです。

最後に
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
         オットー・フォン・ビスマルク

ご参考
「女難の一平」


2010/11/4 15:56 Comments (2)

2 Comments

ちょっとまって 様
毎回、ご丁寧な感想をありがとうございます。
出版してくれるところがあれば、歴史エッセイなどいくらでも書くのですけど・・・・
まあ、これからもちょくちょくここで書きますので、読んでください。

2010/11/05 23:38 | by 榊淳司

おもしろい!
一気に読める。

「歴史の斜め読み」とかのタイトルで一冊かいたらどうですか?

十分いけますよ。

2010/11/05 00:07 | by ちょっとまって~

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