私は、最初に入った大学で「教職課程」を取っていました。
アレは、本来の卒業単位取得の他にいろいろと講義に出て
試験も受けなければいけないので、結構面倒臭いもの。
別に教師になりたかったワケでもないのですが、
物臭な私がなんでそんな面倒なことをしていたかというと、
「教育実習」というのをやりたかったからです。
ついでに「先生の免許」は、一応国家資格ですから
「履歴書に書けるかいな」なんてスケベ心も多少。
教育実習と言うのは4回生(4年)の時にあるのですが、
3回生の段階で出身高校に「お願い」して
「内諾」をもらう必要があります。
ただ、そんなものは「書類だけ」の話だと思っていました。
ところがところが・・・・
書類を出してしばらくたった頃、なぜかその出身高校から
「一度来校されたし」というハガキが来ました。
「なにかいな」と思いながら、授業の帰りに寄りました。
私の出た高校は京都御所の東隣にあり、当時通っていた大学は北隣。
歩いても10分。ミニバイクなら5分の距離です。
「君はそもそも本気で教師になろうと思っているのか?」
と、元担任に聞かれました。
「なぜ、そんなことを聞くんですか?」
私がそう尋ねると、
「君が教育実習に来るということで、職員会議は大揉めに揉めたんだよ」
職員室で堂々と「新聞 赤旗」を読むことで有名な
元担任は実に迷惑そうな顔でそういいました。
つまり当時の母校の教師どもは職員会議で口々に、
「あんな奴は受け入れられない」と騒いだそうです。
自宅謹慎5日、無期自宅謹慎(約40日)、生徒部長訓戒・・・
高校3年間で私が食らった「処分」です。
生活指導の教師から、机にバーンと「退学届」用紙を叩きつけられて
「学校をヤメロ!」といわれたこともあります。
「次回問題を起こした場合は、自主退学します」という
一筆を入れて何とか退学を免れたこともありました。
そういった「艱難辛苦」を乗り越えて、何とか3年で卒業。
現役でご近所にある私立大学に入学しました。
ちなみにその大学、私の出た高校では当時「4.0」以上の成績で
「1名」の推薦枠がありました。
私の知る限り、それも含めて同学年では4人しか入ってなかったはず。
当時の私の成績は平均以下の「2.6」くらいだったと記憶しています。
まあ、あの教師どもから見れば「箸にも棒にかからない」レベル。
私より成績のいい同級生も、多くは大学に進めませんでした。
出席日数も卒業できるギリギリ。
日ごろから、教師たちに対する罵詈雑言、悪口の類は限りなし。
それでいて、何か自分に不利な事態が起こると
「権利」は法律条文の字義通りに主張。
実家は古本屋ですから、六法全書など
本棚から抜くだけで手に入ります。
憲法、学校教育法、教育基本法などから、
利用できそうな条文は何でも覚えました。
さぞかし可愛げのない、ヤな生徒だったと思います(笑)。
でも、あの卑劣で驕慢な教師どもから身を守るには
それくらいのことはすべきだったと、今でも確信しています。
私の様に手に負えない「生徒」の場合、
親を攻めるのが彼らの常道。
あの当時、たいていの親は教師に責められると、
平身低頭で唯々諾々、ご無理ごもっとも。
ところが・・・・
校長に「親の顔が見たい」と呼び出されて「出頭」した父は
「ご覧になりたいという親の顔を見せに来ました。いかがですか?」
と言って、相手の顔を覗き込んだそうです。
子も子なら、親も親ですね(笑)。
そういったわけで、私は連中にとってかなり「厄介な存在」。
当時の連中のやり方は、自分達の仕事を
増やすような問題児は「極力排除」。
同様のワル仲間どもはたいていよくて「留年」。
ちょっと運が悪いと「退学」の憂き目に合っていました。
ところが、どういうわけか私は3年で卒業できたのです。
自分でもそれは「奇跡」に近いと思っていますし、
当時のワル仲間たちの大半も、
私は留年か退学したはず、と今でも信じ込んでいます(笑)。
みんな、留年や退学で学年や卒業年次がバラバラになったので、
誰がいつ卒業し、いつ退学したのか記憶が錯綜しているのです。
いつか書いたように、高校卒業後20年ほど
「あ・・・俺は卒業できないかも」という高校時代の夢を見続けました。
寝汗をびっしょり掻いて目覚め
「ああ、もうとっくに卒業しているし、大学へもいったもんな」と
安心してまた寝ます(笑)。
それまでの私の人生で、最大の苦難は受験でも就職でもなく
「高校卒業」だったのです。
一方、教師達の側からすると私が卒業したことは
「やっと出て行きやがった」と、
厄介者を追い払った気分だったと思います。
ところが、わずか3年後・・・
その高校ではかなりの優等生しか進学できない
有名私大からの「教育実習生」として
舞い戻って来ると言うのです。
実現していればさしずめ
「ヤンキー母校に帰る」ではなく
「帰ってきたモンスター小僧」でしょうか(笑)。
生徒の前で高校時代の経験談でも話されたら、
奴らの面目は丸つぶれになったでしょうね。
法学部でさらに鍛えた法律知識をもってすれば、
高校生時代に奴らから仕掛けられた
数多の人権侵害や違法行為も全部指摘・論難できたはず。
だから連中にとっては、まさに悪夢。
「戦々恐々」だったのだと思います (笑)。
大人になってから考えれば、連中が私を「拒否」した理由を
ある程度は推測できるのですが・・・当時の私は21歳。
曲がりなりにも「母校」に対する愛着があっただけに
かなりのショックを受けました。
教師などと言うものは表ではエラそうな事をいいながら、
内心は浅ましい小心者だらけだということを
分かってはいたつもりでしたが、実際にそんなことがあると・・・
その高校、いつかも書きましたが、
今では救いようのないほどの5流校に落ちています。
例の推薦枠もとっくになくなっているはず。
私の頃から、大学に進む方がかなりの少数派でした。
まあ、そういう姑息な教師たちが好んで赴任する
日教組の巣窟みたいな学校でしたから
「落ちるべくして落ちた」といえます。
多分、二度と浮上することはないでしょうね・・・残念です。
結局、私は「教員免許」を手にすることが出来ず、
楽しみにしていた「教育実習」にもいけませんでした。
今思っても残念。
その後の人生で、専門学校の特別講師などをしたことがありますが
大勢の方々を前にしてお話しするのは「榊淳司」の活動を始めてから。
マンション購入に関する様々なことをお話しするセミナーも
始めてからすでに3年目になりました。
次回の開催は2月の27日、日曜日。
場所はいつもの「市ヶ谷ルーテル」。
今回のテーマは「値下がりしないマンション選び」。
私は80分くらいお話しさせていただく予定です。
ここのところ、みなさんに「買えそうな」マンションが
数多く市場に出てきたと思います。
でも「買える」ということと「買ってもいい」は
必ずしも一致しないのが悩みどころです。
35年ものローンを組んで、
もし途中で「売却」しなければいけなくなった・・・
売れる価格が、ローンの残高よりも高ければ問題ありません。
でも、マンションを売ってもローンだけは残る・・・
そういった事態は何としても避けたいですね。
そのためには、やっぱり「物件選び」が大切です。
どういうマンションを選べば「値下がりしない」のか?
業界での常識、私なりに考えていること、交渉のやり方・・・
そんなことを分かりやすくお話させていただき、
希望者には私や大友さんの「無料相談」を実施いたします。
例えば、不動産取引の契約や法務でお悩みの方は
ぜひ大友さんに相談してみてください。
その辺の弁護士よりもはるかに詳しくて、大いに頼りになります。
また、会場では各種レポートプリント版(モノクロ)の廉価販売も実施。
受講料はお一人3000円です。
前述の事情から「教員免許」こそ持っていませんが、
多分そこいらの教師よりも分かりやすくお話しできると思います。
どうぞみなさん、ご参加ください。
「値下がりしないマンション選び」セミナー
2月27日(日)午後3時30分より
参加費 お一人様 3000円
好評受付中
昔から卑屈だったんだね。
安心したよ。
榊さんの偏屈さは昔からだったんですね。
生きにくい世の中かも知れませんがこれからも
世の中に噛みついてがんばってくださいね。
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