囲碁や将棋に「大局観」という言葉があります。
局面の有利不利ではなく、全体的にどういう流れにあるのか、
ということをザクっと掴み取る感覚とでもいいましょうか。
これが優れていると、部分的な敗北を重ねても最後には勝てます。
因みに、私は将棋がちょっと怪しい初段。
その昔、日本将棋連盟から三段をいただく資格を得たこともあったのですが、
お金がかかるし、免状があると強くなるわけでもありません。
囲碁は・・・せいぜい8級くらいでしょうか。
これも新聞広告の「次の一手」クイズに答えて
関西棋院から初段を貰えたのですが、当然やめました。
実力8級なのに、初段の免状なんかあっても飾れもしません(笑)。
私はこの「大局観」というのは、囲碁将棋に限らず
世間よろずのことに使えると思っています。
ちょっと物騒な言い方を言えば、軍事上な「戦略眼」みたいなもの。
「戦略的思考」などいう言葉もご同類。
実はコレ、日本人にはかなり苦手なことのようです。
なぜそうなのかはよく分かりません。
「与えられた問題」を解くことばかりさせられる受験教育が原因?
その延長線上にある、明治以降の学校秀才尊重主義のなれのはて?
お上の意向に唯々諾々と従う農耕民族の特性?
出る杭は打たれる「世間」重視の国民性?
従順な性格のA型が4割という血液型のせい?
まあ、いろいろ原因はあるでしょうが苦手なことはどうやら歴史的事実。
ツイッターにも書きましたが、72年前のノモンハン事件の時、
ソ連側の司令官であったジェーコフ将軍がスターリンに報告しています。
「日本の下士官兵は優秀、現場将校は普通、指揮官は愚劣」。
67年前のインパール作戦では、イギリス軍の将校が不思議がりました。
「日本軍はバカを選んで指揮官にしているのか?」
そして今回の大震災。
翌日にわざわざ現場作業を邪魔しに出かけたり、
役人や東電を怒鳴りあげることしかしていない
我らの「最高指揮官」を見れば、
日本人はちっとも進歩していないことが分かります。
「そうだよねー」と頭でナマ返事をしているアナタだって・・その一人かも(笑)。
先日、如月さんと酒飲んだ時の与太話に出たエピソード。
彼は小さな会社の社長が集まる「戦略会議」にブレーンとして出席しています。
テーマを決めて「戦略」を話し合うのだそうですが、いつもいつも
部分的な話題で盛り上がって、ちっとも本題が話し合われないそうです。
例えば、「・・・の目標数値を8.2%から9.5%に高めるのにどうすればよいか?」みたいな話題になると、がぜん話が白熱するそうです。
「おれんところでは、こういうことをやってみたけど」
「いや、この前・・社の奴がいっていたことには・・・」
みたいな感じです。シーンが目に浮かびませんか(笑)。
今回、震災後の様々な動きを見ていると、
国民全体として戦略的なことよりも局面局面の些事にかまけ、
そこに一喜一憂しているような面が見られます。
特に原子力発電所の問題。
確かに大問題です。
今のところ、東電の賠償額は10兆円以上と見積もられています。
金額で測れない被害・損害・心の傷も見逃せません。
「だからこそ、原発はすべて廃止すべきだ!」
そういってしまうのはカンタン。
小学生でもできる議論です。
今、日本中が小学生になったみたいに思えます。
私は、はっきりいって原発推進派です。
ただ、「原発は安全」などというつもりはサラサラございません。
あのように、実に危険極まりないものです。
今回の賠償推定総額である「10兆円」という金額はおそらく、
あの原発4基がこれまでに発電した電力すべてを
電気料金に換算したよりも大きな額だと思います。
つまり、「福島第一原発」自体は、巨大な赤字だったのです。
「だから、そんなもの最初から作らなければよかったのだ」
こういうのも、単純すぎる議論です。
それは、あんな危険なモノが「なかった」に越したことはありません。
でも、すでに存在し、危険な放射能を漏出させているのです。
「そらみたことか」と責め立てるのは、女子供が騒ぐのと同じ。
そこからは何も生み出せません。
さて、私はなぜ原発推進派かというと、
現実問題として原発に代わるものが無いからです。
現状で日本社会に十分な電力を安定・安価に供給するためには
原発のリスクを「致し方ない」と考えるしかありません。
つまりは「必要悪」。
ちなみに、同じ「必要悪」でもタワーマンションは
他に代えられるものがあるので、推進も賛成もしません。
あんなものは作る必要も存在する価値もないと思っています。
それで、電力を安全に安定供給するための代替案があれば
あんなに危険なモノは廃止すべきでしょうね。
私は「推進派」の看板を潔く下しましょう。
でも、現状では原発に代わる電力供給の決定打がありません。
原発は確かに危険ですが、人間の制御下に置くことができます。
今回の事故も、地震で原子炉が損傷したのではなく、
非常用電源が津波で損傷したために起こった、と私は理解しています。
つまり、東電が津波の到来を予測し、必要な措置を講じていれば
防げた可能性がきわめて高いのではないでしょうか?
この点、マスコミの東電非難でいわれる「人災」論に賛成です。
人間は一定割合で必ずミスをするものです。
ミスを減らすのも大切ですが、もっと大切なのは
ミスが起こった時にどう対処するのかを幾重にも想定し、
常に「最悪」に対する準備を怠らないことです。
ミスが起こったら冷静に対処し、まずは被害を最小限に。
次にやることは、ミスが起こったことを責めるのではなく、
なぜ起こったのか、どうすれば防げるのかを考え、実行すること。
責任者の追及など「3の次」でいいのです。
だから、今の時点で東電を非難しても得るものは何もありません。
私たちが文明社会を維持するのに電力は必要不可欠です。
個人的に言えば、必要以上に煌々と電気に照らされた都市より、
ちょっと控えめな今の状態が好みです。
パチンコなどは社会的に百害あって一利なし。
その利権に寄食する警察官は、俸給のみで慎ましく暮らすべきです。
自動販売機も今の3分の一くらいでもいいでしょう。
冷暖房などは最低限に抑えるべきです。
でも、電車の運行本数を減らしたり、
生産工場が業務を縮小することは避けなければなりません。
それは、日本経済にとって極めて重要だからです。
私はかねがね考えていたのですが、
建築基準法を省エネと小発電重視に大幅改定すべきです。
例えば、マンションは外断熱を基本とすべきでしょう。
やたらとハイサッシなどを採用させないために開口部面積を制限、
断熱性の高いガラスの使用を義務化すべきです。
さらに、100戸以上のマンションには緊急用の発電装置を設置。
そして、すべての新築建造物の屋根には、
その水平投影面積の50%以上の部分について
太陽光発電装置の設置を義務付けます。
そうなれば、瓦屋さんの多くは廃業せざるを得ないでしょう。
その代り、京セラとシャープあたりが大いに潤います。
そんな細かな業界や企業の盛衰よりも、もっと重要なことがあります。
もし太陽光発電装置の設置が義務化されれば
日本のこの分野における技術は世界一を走り続けるはずです。
太陽光発電の効率は未だに30%程度。
つまり理論的にはまだ3倍以上も効率化できる分野なのです。
そして、クリーンエネルギーとしてこれに勝るものはありません。
それに、小規模でも設置可能。
また、世界のほとんどの場所で使えるはずです。
ただ、この分野では今、日本の優位が脅かされています。
これを機会に、一気に世界の最先端をぶっちぎる優位を
確立すべきではないでしょうか?
さて、もしこの「新建築物への太陽光発電装置の設置義務化」が
実現すれば、日本の原発の半分くらいは廃炉にできるかもしれません。
そして、あと10-20年もすれば、これから最も期待されている
ハイドロメタンが実用化できる可能性もあります。
そうなれば、原発すべてを廃炉にすることも可能でしょう。
そこまでいけば「素晴らしい」ことだと思います。
その時には、私は堂々と原発廃止論を唱えます。
しかし、まだどれも実現していません。
今の段階では「必要悪」として原発を作るしか
我々には選択肢がないのです。
「必要悪」を許容しつつ、次世代にはそこから脱却すべく
営々とした努力を惜しまない・・・
日本のエネルギー「戦略」はそうあるべき、と私は考えます。
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