先週、また東京の港区をひと回りしてきました。
私はいつもセミナーで申し上げるのは、
「買うのだったら山手線内側の港区にしておきなさい」ということ。
なぜなら、いちばん価格が下がらないと思われるからです。
これは何度か書いていることですが、
大阪には東京の「港区」みたいな住宅地がありません。
まあちょっとよさげなところはあるのですが、
青山や赤坂、麻布などの持っている、
なんとも上品な住宅地の空気が漂う場所が見当たらないのです。
また、港区だけでなく文京区的な街もなさそうです。
大阪というのは、元は豊臣秀吉が作った街です。
中心部の町割りは京都に似せて碁盤の目のようになっています。
どちらかというと都市機能を中心に考えた感じで、
住宅は二の次に回されたような気がします。
豊臣家が滅んで後、大坂城には幕府の城代が入りました。
しかし「商いの街」としての大坂は、江戸期以後も栄えます。
一方、江戸は家康が入府した頃から武士の町でした。
最初に大量に移り住んだのが徳川家とその直参家来衆。
幕府ができて以後は、大名とその家来たち。
江戸期、武家の人口は全体の7%と言われていますが、
こと江戸に限っては半分以上が侍とその家族ではなかったかと想像します。
その武士たちが主に住んだところが、今で言えば港区と文京区、千代田区。
まあ、中央区も日本橋や銀座以外なら武家地といっていいかもしれません。
例えば、有楽町というのは信長の末弟である有楽斎の屋敷があったところ。
江戸時代が終わって明治に入ると、江戸の住人が一旦はガラリと入れ替わります。
徳川本家とその家来(旗本など)は、駿河に移住してしまいます。
大名たちも家来を連れて国元に戻ります。
その跡地は、明治政府の役所になったり役人の住まいにあてられたり。
あるいは、加賀藩邸のように今の東京大学に変わったり。
そして、江戸期の武家地のいくつかが今、感じのいい住宅街になっています。
特に、港区や文京区の一部は「屋敷町→住宅地」への転換がうまくいきました。
一方、町人たちが多く住んだ神田や日本橋、深川、浅草などは、
その名残を今にとどめて、多くが「下町」風の発展を遂げました。
大坂の場合、江戸から明治に変わったところで、住んでいる人間は同じ。
街の造りもあまり変わっていません。
ただ、各藩の蔵屋敷がなくなって、今の中之島となりました。
この東京と大阪の街の組成の違いが、今に至っているのです。
大坂の環状線の内側に、東京の港区みたいな街がないのは非常に残念。
港区を回っていて思うのは、やはり
「街は人間の頭の中で作るモノではない」ということ。
街とは、そこに集まってくる人々や集団の個性で出来上がっているのです。
最初から「こんな街を作ろう」なんて誰かが考えて
街の線引きをしてその通りに作り上げても、
けっして思惑通りにはならないものだと思います。
多摩ニュータウンやつくば市を見ていると、何か空々しさを感じます。
幕張ベイタウンやみなとみならいも、それなりに楽しめるのですが、
何かテーマパークにいるような虚構感を抱いてしまいます。
港区や文京区のマンションを見て回るのは、
そういった街に触れて何かを感じる楽しさがあります。
本日も、ある方が事務所へ相談に来られました。
最後にお仕事のことをお聞きしたら、かなり高度な有資格者。
自己資金も収入も十分だと思われるのに、
郊外型の住まいを検討しておられました。
もちろん「それだったら少し予算を上げて、港区になさった方が10年後、20年後の資産価値を考えたら有利になるはずです」と申し上げておきました。
いろいろな面で、ご納得いただけたと思ったのですが。
榊マンション市場研究所・春の不動産セミナー
「アベノミックス後のマンション購入は?」
日時:2013年4月20日(土) 午後1時15分より(午後1時開場)
場 所:ルーテル市谷センター 第1・第2会議室
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