先週末から京都、大阪に出張していました。
ブログの更新が遅れて申し訳ございません。
大阪の街にも衰退の兆しが見られました。
膨張する東京はどうなるのか・・・・・
ここのところ、週刊ダイヤモンドの巻頭特集で早く
「不動産・マンション価格高騰」みたいなのをやってくれないか
ずっと待っているのですけど、中々出てきません(笑)。
そういうのが出た時、というのは過去の経験からして
バブル現象が周知されてきた、というタイミング。
つまりは、ピークかすでに過ぎたか、という場面なのです。
まだ、出ませんねえ(笑)。
6年後にオリンピックが開催されます。
建築現場での人手不足は解消の気配を見せません。
建築費の高騰は沈静化の見通しがない、ということ。
とどのつまり、新築マンションの価格も上がってしまう。
それを市場全体が受け容れるかどうかは不明。
ただ、都心では十分に受け容れていますね。
ここ最近、世田谷区をぐるっと回ってきました。いいところです。
それに、世田谷区というのは広いですね。23区で一番だとか。
広い世田谷区は、その9割がたが住宅地ですね。
ほんの100年前は、ほとんどが田んぼと畑だったそうな。
その変貌ぶりの激しさに驚きます。
その昔、世田谷の某所にある旧家を取材したことがあります。
そのあたりにできるマンションの広告のネタにするためです。
いかにも「戦前から建っています」という家の古い応接間。
会議室くらいに広いので「なんで」と思っていたら・・・
その家のご当主が若い頃の選挙ポスターが貼られていました。
出てこられたのは、もう70代半ばのご主人。
「都会議員をなさっていたのですか?」
「おお、4期ほどな。そのあと○○党から出て、参議院も1期つとめたよ。得票率は全国で1位だったんだぞ」
「ヒエー・・・・」
そういえば、そういう方がいたような・・・・
不明を恥じて、お詫び申し上げました。
その方の祖父にあたる方が、明治の文豪・徳富蘆花の
著書に登場する場面を解説してくださいました。
蘆花がそこに越してきた時、家は16軒しかなかったとか。
その16軒のエリアに、今は多分数万人が暮らしています。
世田谷の何たる変貌ぶり!
明治維新の頃、東京には100万の人間が暮らしていました。
今、東京と神奈川、埼玉、千葉の通勤圏の人口ってどのくらいなのでしょう。
いわゆる首都圏の人口は3700万人だそうです。
山手線から電車で50分以内の人口は3千万人を超えるかもしれません。
明治維新から約150年、凄まじい膨張です。
谷根千には江戸の情緒が残っていると評判です。
嘘でしょ。それっぽい感じがうっすらするだけ。
ディズニーランドのシンデレラ城とドイツの古城が違うように、
谷根千に江戸なんて残っていませんよ。
私の生まれた京都というのは、人口が147万人。
不思議なことに、これは私が子どもの頃とほぼ同じ。
つまり40年以上も変化がないのです。
江戸期の京の町には50万人くらいいたそうです。
ほんの3倍程度。東京圏とはえらい違いますね。
だから、京都の町にはまだ江戸が残っています。空襲もなかったし。
未だに観光都市として人気があるのは、そういうところです。
東京23区内の人口は、この半世紀大きく変化していません。
ただ、住まいの形態が大きく変わりました。
木造の小さな戸建に住んでいた人が多かったのが、
今はマンションで暮らす方が多数派ではないでしょうか。
マンションというのは集合住宅です。
限られた土地に多くの人が住めます。
東京という街にはうってつけの住まいですね。
だから、これほど多くのマンションがあるのでしょう。
今、このブログを読んでおられる人で
「マンションで育った」という方がかなりの割合でしょう。
ひょっとしたら、半分くらいいらっしゃるかもわかりません。
それくらいメジャーな住居形態になりました。
でも、それはここ半世紀くらいの出来事。
マンションが日本の経済成長期、そして
人口膨張気に果たした役割は大きいと思います。
限られた土地で多くの家族に住居を提供できます。
管理の手間暇は、管理費や修繕積立金を払えばOK 。
お仕着せ「パッケージ」商品が好きな日本人にはピッタリ。
でも、その出口戦略はまったく出来ていません。
今回の「ミニミニバブル」は、もしかしたら不動産価格が
仮にでも上昇した最後の場面ではないか、と考えています。
もちろん、日本経済が成長軌道に戻れば不動産価格も上昇します。
しかし、そんなことが本当にあるのか私は強く疑います。
今、景気が良くなっているそうですが、私には実感なし。
一部の業界・業種が潤っていますが、その他大勢は・・・・
ただ、東京の都市エネルギーは衰えているように思えません。
少なくとも6年後のオリンピックまでは
目に見えるほどの大きな変化はないと思います。
不動産の価格も大きく下落する場面があるかどうか・・・
でも、近未来のいつかストンと下がる時期がくるでしょう。
それは間違いないと思います。
新作レポート情報
今回、品川区のレポートを作ってみました。
現状、大崎・五反田エリアと大井町エリアに
ちょっと供給が偏っている感じがします。
確かにいい住宅地もあるのですが、
「エエ、こんなところに」というマンションも・・・
そして、価格はやや上昇気味。
それでも売れてしまえば新・市場価格ですが。
まず、私のレポートを読んで、
現状を把握してみてはいかがでしょう。
■ブランズシティ品川勝島,■ルネプレミアスカイ品川中延,■ザ・パークハウス南大井,■プレシス大井町,■クレヴィアタワー目黒不動前,■パークシティ大崎ザ タワー,■オープンレジデンシア目黒花房山,■パークホームズ大井町ベルヴェデーレ,■ドレッセ武蔵小山プレヴィ,■シティインデックス大井町,■クレストラフィーネ旗の台,■クレストフォルム南大井,■大崎ウエストシティタワーズ,■クレストタワー品川シーサイド,以上の14物件を収録
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まろたんさん、こんばんは。
私は京都と大阪に行き、たくさんの懐かしい人と会って
多くのことを語り合い、いっぱいお酒を飲んできました。
20年以上会ってない人はもう、容姿も生活も多くが変わっていますね。
この歳になると「今の内に会っておかねば」という方が多くなります。
何人かは間に合わずに亡くなりました。
確かに、今の日本は過去最高の幸せ国家かもしれません。
何よりも飢え死にの心配がほとんどありませんから。
そんなこと書きながら、まわりには幸せそうな人の少ないこと(笑)。
せいぜい自分が幸せになりたいものです。
出張帰りで、ちょっと疲れ気味なので、今日はこんなところで。
ごきげんよろしからんことを。
榊淳司
2014/06/10 19:45 | by Sakaki Atsushi榊さま。
雨もどしゃ降りは困りもんですが、しとしとくらいなら、
しっとり趣もあり、街並みも優しげに見えます。
雨降って地かたまる。また、たのしからず也。
どっと一都三県に3700万人も、ですか。
戦前はともかく、戦後は大膨張・大激変の70年でしたね。
「トノ殿中でござる」と言いたくなるような、大乱開発で。
なにもここまで、とポツリ。
そんな文学的詠嘆なぞ、なんのその、
誰が言い出したのか「今しかない」が合言葉。
五輪まであと6年、とばかりの血走った気合いで、
何を言われても聞く耳もたず、手がつけられない。
ああ我ら首都東京は「不眠の微熱少年」でございます。
まことに、誠に。
戦後の大激変と言えば、やはりひとこと語りたくなります。
切れ目のなく構築・整備された通信網と交通網。
ひと、モノ、カネ、情報が、まさに時間・空間を超えて、
東西2000キロに延びるこの国を、ほぼ同時的に流れる。
今を生きる我らは、もはや当たり前のように、
この夢のような郷に生きています。
が、日本はもちろん世界のどこにも、
かって存在しなかったなかった「理想郷」。
そこにある、ある種の突き抜けた快感と幸福感。
ですが、
山高ければ谷深し。光芒強ければ闇ふかし。
と、ポツリ。
「いいじゃないの、幸せならば」
1960年代に流れていた歌が、ふと、よみがえり。
ま、そんな時代ですか。
南信州の山あいの郷で、深呼吸して来ました。
ごきげんよう。
2014/06/10 09:04 | by まろたんRSS feed for comments on this post.