久々に「あと2000冊の読書」カテゴリーで書きます。
最近、読書をサボっているわけではないのですが、
以前ほど「貪るように」は読まなくなりました。
もう人生の後半期に入っていますから、
今さら深い教養を身に着けても仕方ないか、という気持ちです。
それでも、この人生最強の娯楽は捨てがたく、
ブックオフやアマゾンで買っては、ツラツラ読む日々です。
最近「今年の一番」と確信した本はコレ。
自分で見つけたのではなく、櫻井よしこさんの「明治人の姿」
という新書で、この「武士の娘」が紹介されていたのです。
私はまず「明治人の姿」を読んで、その内容に感動。
「これは、種本である『武士の娘』を読まねば」と、
アマゾンから取り寄せて早速読んだという次第です。
この杉本鉞子(えつこ)という方は、明治6年のお生まれ。
昭和25年に日本でお亡くなりになったそうです。
題名の通り、武家にお生まれになりました。
それも、越後長岡藩・家老職の家柄である稲垣家の次女か三女。
長岡藩と言えば、戊辰の戦いの中でもとりわけ激しい
北越戦争の旧幕側の主役。かなりの善戦をしましたが、敗北。
河井継之助を描いた司馬遼太郎の「峠」が有名ですね。
その他、真珠湾攻撃を立案・指揮した連合艦隊司令長官・山本五十六も
この越後長岡藩の出身。彼は高野家の出身。
この著者の父親も、戊辰戦争の折に官軍に捕われます。
その父親が江戸に送られる、ということを
ある日、見知らぬ若い侍が知らせに来ます。
20歳を超えたばかりであった著者の母親の心は揺れます。
母は使いの者を見つめ、もしや何かの計略をかけられているのではないかと疑いました。
「御身は武士か」と問いました。
その男は重々しい態度で刀の柄に手を置いて答えました。
「仰せのとおり武士でござる」
「味方にせよ、敵方にせよ、御身が武士ならばその言葉を信じましょう」
こうやって、著者の母は覚悟の装束で夫に会いに行きます。
暗闇に待っていると明かりを掲げて進む囚人護送の隊列。
やがて、母の前に来た時に行列が停まって、網籠が開きます。
紛れもない夫の姿。彼は、妻を見て一言いいます。
「奥か、刀を預けるぞ」
夫はそれだけを言い、妻は頭を下げました。ただ、それだけ。
この場合、「刀を預ける」とはいかにも武士らしい言い回し。
つまり「後は頼む」ということなのですが、武士にとって刀は魂。
最も大切な自分の子どもたちを頼んだ、とも解せます。
著者の父は、結局処刑寸前で赦されて帰ってきます。
そして、明治6年に著者・鉞子が誕生。
彼女が13歳位の時でしょうか、嫁ぎ先が決まります。
兄の友人で、アメリカで貿易業を営む青年。
鉞子は長岡から兄とともに人力車に乗って東京に向かいます。
そして、アメリカ人の教師がたくさんいるミッション系の学校へ。
そこで数年勉強してから、いよいよアメリカへ。
アメリカではヴァージニア貴族の血を引くという、
優しくて親切な夫人の家で暮らすことになります。
これが、著者のアメリカでの「お母上」・ミス・ウィルソン。
生涯、著者の先導者であり、良き友となるのです。
その後、著者・鉞子には二人の娘が生まれますが、夫が急死。
日本で数年をすごしたのち、娘とともに再びアメリカへ。
ミス・ウィルソンに励まされながら、生活の糧を得るために
新聞や雑誌への投稿を行います。
それが文豪クリストファー・モーレンの目に留まり、
雑誌「アジア」に連載されたのが、この「武士の娘」。
これがベストセラーとなり、ドイツ、フランス語など
7か国で翻訳出版されたということです。
鉞子自身も、数年間コロンビア大学で日本文化史の講義を行ったとか。
さて、この本の素晴らしさの第一は、高雅な日本語です。
私は、これほど嫌味なく上品で、品格のある日本語で
書かれた本を読んだ記憶がありません。
読んでいると、著者が上品に私に語りかけてくるのを
そばでずっと聞いているような気分になります。
また、幼い頃の越後長岡での様々な出来事や風景を、
人びとの気分の陰影までも映しながら、見事に再現しています。
初めて東京へ向かう旅での出来事や、
表情豊かなアメリカ人教師との鮮烈な出会い。
そして、アメリカと日本の女性を比べながら、
それぞれの持つ特徴について深く考察した記憶。
それら著者の精神的な葛藤や成長を、
実に上品な表現で伝えてくれます。
きっと、この方は言葉では言い表せないくらいに
人間的な魅力をたたえていらしたのでしょう。
明晰な頭脳はもちろんのこと、何よりも「武士の娘」としての
高雅な人格がその背景にあったのだろうと想像します。
「読んでいて心が洗われる」といえば、
ちょっとオーバーかもしれませんが、そんな気分。
また、同じ日本人として嬉しくなります。
櫻井よしこさんが書いているように、
明治の人間の素晴らしさは日本人の誇りですね。
司馬遼太郎氏は「明治という国家」を書きました。
大正生まれの司馬さんは、ずっと明治に憧れていたのですね。
私は最近、この他に「北京籠城日記」を読んで、
改めて柴五郎の活躍ぶりに感嘆しました。
こちらは「ある明治人の記録」という著書もあります。
これも素晴らしい明治人の実話ですね。
さて「武士の娘」に話を戻します。
この本は、もともと英語で書かれたものです。
なのに、「この素晴らしい日本語は何だろう」と
不思議に思いながら読みました。
最後に「訳者あとがき」を読んで納得。
なんと、著者本人に「手を取らんばかりに導いていただきました」。
原稿ができると、お互いに音読して推敲したとか。
だから、あれだけ的確な言葉づかいや単語の選定、
そして洗練された上品な日本語の文章になっているのでしょう。
これは訳者の文章力もさりながら、ご本人の品性・知性が
この書物の隅々に宿っている、ということなのでしょう。
スラスラ読める今風の本ではありませんが、
日本人の精神の原風景に出会える好著です。
さて、俗世界に戻りましょう。
レポートの更新情報です。
世田谷区と港区関係を最新情報化。
港区は物件が減りました。
これは外国人と相続税対策の買いが原因。
世田谷区は、タワーマンションがほとんどないので
そういった「実需外」のニーズが出てきていません。
しかし、価格だけは上がっています。
だから、全体的に見ると市場は停滞的。
■ヴィークコート三軒茶屋、■ザ・パークハウス 学芸大学四季の杜、■ローレルコート世田谷上馬、■サンパレス世田谷若林、■パークホームズ駒沢 ザ レジデンス、■ジオ等々力、■ラフィーネ深沢サクラテラス、■(仮称)用賀一丁目計画、■シティハウス二子玉川、■パークホームズ二子玉川ヒルトップ、■シティハウス用賀砧公園、■ヴィークステージ桜新町、■リストレジデンス桜新町、■レリアモード豪徳寺、■クラッシィハウス上北沢、■ナイスブライトピア世田谷千歳台、■世田谷千歳台ガーデン&レジデンス、■エクセレントシティ成城学園前、■ザ・パークハウス 成城彩景、■デュフレベース成城八丁目、■ザ・パークハウス 経堂翠邸、■ザ・パークハウス 経堂プレイス、■桜上水ガーデンズ、■ヴィークグラン世田谷千歳船橋、■グランドヒルズ三軒茶屋、■パークホームズ世田谷代田、■ディアナコート用賀翠景、■ザ・パークハウス 二子玉川ガーデン
■オープンレジデンシア南青山、■アークヒルズ仙石山レジデンス、■パークマンション三田綱町 ザ フォレスト、■グランドメゾン白金の杜 ザ・タワー、■グランドメゾン白金レジデンス、■プラウド白金台三丁目、■シティタワー麻布十番、■ウェリス有栖川、■シティハウス南麻布一丁目、■麻布台パークハウス、■東京ベイシティタワー、■クレストプライムタワー芝、■インプレストタワー芝浦 エアレジデンス、■ハーバーテラス品川、■GLOBAL FRONT TOWER、■クラッシィハウス芝浦、■ベイクレストタワー
■パークマンション三田綱町 ザ フォレスト、■プラウド白金台三丁目、■グランドメゾン白金の杜 ザ・タワー、■グランドメゾン白金レジデンス
■GLOBAL FRONT TOWER、■クラッシィハウス芝浦、■東京ベイシティタワー、■クレストプライムタワー芝、■インプレストタワー芝浦 エアレジデンス、■ハーバーテラス品川、■ベイクレストタワー
■セントラルレジデンス南麻布,■グランスイート広尾,■ブランズ麻布狸穴町,■麻布台パークハウス,■ウェリス有栖川,■パークナード南麻布,■シティタワー麻布十番
こちらは現在申込6名、確定6名という状態です。
定員は10名ですので、まだお席はございます。
バリ島不動産投資セミナーは、
現在、キャンセル等により若干名のお席がございます。早めにお申し込み下さい。参加費は当日会場にて申し受けます。
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夕刊フジの公式サイト zakzak
に榊淳司の連載コーナーが設置されています。
まろたんさん、こんにちは。
私やまろたんさんはあの新聞が嘘八百を書いて、
恬として恥じないことを知っていました。
それがたまたまあからさまになっただけで
なぜに世間はここまで騒ぐのか・・・
と、私はちと不思議に思っています。
何を今さら、という感じ。
でも、世間には朝日を信じていた無辜の民が多いのでしょうね。
自分のアタマでモノを考えられない、悲しい大衆。
最近、夕刊フジに小池百合子が書いていた話。
「嫉妬」というのは、二字ともおんな扁ですが、
永田町においてはおとこ扁がふさわしいと。
内閣改造で大臣になれんかったスタカン議員が
「俺もスカートを履いていればよかった」などと嘆息しているそうです。
明治人に聞かせると悲嘆に暮れそうな台詞だと思います。
この国は、あの戦争で精神の基盤を失いました。
残っているのは、靖国神社のまわりだけ(笑)。
大の男が嫉妬に狂ってブタになっても、
気がつけばまわりもブタだらけ。
アッハッハと笑って見なかったことにするしかありません。
こんな日本に誰がした?
と、恨んでみても、結局は同じ日本人のブタども。
次に世間にお詫びすするのは、河野洋平ですね。
あのブタは村山ボケ爺や鳩ポッポと並ぶ、真性勘違い。
素直に出てくるかどうか・・・・
また、辛子の効いたコメントをお待ちしています。
ごきげんよう。 榊淳司
2014/09/16 14:09 | by Sakaki Atsushi榊さま。
明治6年に武士の娘として生を受け、
激動の時代に佳く生きられた日本の女性の生涯。
「読んでいて心が洗われる」と。
わかりますよ。
なんというか、幸福感にみたされる、と言うか。
佳き人に出会ったあと、ふと浮かぶ「ほほえみ」のような。
雨上がり、ふと見上げた西の空に架かった「にじ」を見たような。
なんという、なつかしさだろうか。
めったにはないことですが。
さて。
朝日城は大炎上。日本国中に延焼、もう火の海。
目的のためには手段を選ばず。
確信のニヒリズムです。
それにしても、なぜ、多くの日本人は信じてしまったのか。
朝日テキな「偽善」が心地よかったから?
「悔恨共同体」の一員としてザンゲの涙の心地よさゆえ?
先日、榊さまにもコピーを回送しました論文の指摘にあった、
戦後の日本人の心の奥底に巣くった「偽善と感傷」。
その中核に在ったのが、左翼かぶれの朝日新聞。
抱きつくには、もってこいの存在だったのですね。
従軍慰安婦だけでなく、出てくる出てくる、ねつ造の記事。
初めにイデオロギーがあって、つまり、まず結論があり、
その完遂のためには手段を選ばずという、左翼的ニヒリズム。
その朝日を、或るジャーナリストが指弾する。
「第二の敗戦」だと。
いや、敗戦などという生易しいことでは、ない。
先の敗戦の翌年、昭和21年に太宰治は戯曲を発表。
その中で、太宰治は次のように書いた。
=
負けた、負けたと言うけれども、
あたしは、そうじゃないと思うわ。
ほろんだのよ。滅亡しちゃったのよ。
それをまあ、恥ずかしいとも思わずに、
田舎の人たちったら、馬鹿だわねえ・・・。
=
負けたのならば、日本国自体は残る。
今回の朝日のばあい、朝日自体は残る。
違う。
そうじゃない、と。
負けたんじゃない。
ほろんだのだ、と。
滅亡しちゃったのだ、と。
だから、
日本国自体が「無くなっちゃった」のだ。
朝日のばあいは、
朝日自体が「無くなっちゃった」のだ、と。
ああ。
日本人として、泣きたい気持ちですね。
トシガイもなくですね。
ごきげんよう。
2014/09/16 01:03 | by まろたんRSS feed for comments on this post.