ここんところ、真面目にマンションを語ってきたので、少し脱線させてください。
鳩山政権は、どうやらこの5月がヤマ場のようですね。
例の普天間基地の移設問題で、「5月中に決着」などという大見得きって、
おまけにオバマ大統領に「トラスト・ミー」なんて言っちゃっていますから、
これは日米間にかなりの不信感が生じるでしょうね。
まあ、時局についてあれこれ言うのは私の専門ではないので、
ここではいつもの通り、
マスコミや評論家諸氏一般が取り上げない視点で語ります。
まず、そもそも「なぜアメリカ軍が日本に駐留しているのか」という
原点から考えてみましょう。
その始まりは、いうまでもなく1945年の「敗戦」です。
彼らは当初「占領軍」として日本にやってきました。
当時の日本人は「進駐軍」などと呼び変えていましたが、
これは紛れも無く戦争に負けた結果です。
「敗戦」を「終戦」と呼び変えているのと同じ。
その後、日米安全保障条約というのが締結されて、
「日本は軽武装でよい。アメリカが守ってやる」という基本構造が出来ました。
これはソ連というバケモノ国家に対処するための方策、
そして、アメリカが再び日本を「仮想敵国」にしたくないという思惑、
さらに「もう戦争はこりごり」という日本人の心情、
という3つの要素が絡まって出来上がった「方便」みたいなものです。
国際社会というものは、基本的に「弱肉強食」です。
弱い国は強い国に簒奪されて悲哀を味わうのが当たり前。
ちょっと前の東欧・バルト諸国はソ連の奴隷国家でした。
今のチベット、内モンゴル、東トルキスタンは支那政府によって
民族的なアイデンティティーまで奪われようとしています。
独立する前のインドやインドネシアはイギリスやオランダに
莫大な富を毟り取られ、その民は塗炭の苦しみを味わっていました。
日本にしたところが、1945年の敗戦によって、
満州にいた60万人もの人々がシベリアで長期間の奴隷労働に従事させられ、
6万人以上が死亡。婦女子はソ連兵の陵辱に合いました。
日米安全保障条約というものは発効当初、
「何かあったら、アメリカが日本を守ってあげる」
「その見返りは『友好関係』のみ」
という世界史上まれに見る片務的な軍事同盟でした。
日本側負担は、「米軍基地用地を提供し、その活動領域を設定する」
ということに限られていました。
ただ、駐留アメリカ軍人の裁判権の問題があり
これは「地位協定」の改定で、現在は「まあまあ」の状態です。
大きく変わったのは「お金」の問題。
当初は、駐留米軍の費用はすべてアメリカ側負担でした。
敗戦直後は、日本は相当の貧乏ですから、
むしろ「アメ公」が落とすお金で基地周辺の人々が潤っていたくらい。
ところが、日本が豊かになってからは
駐留米軍の費用は、ほとんどが日本政府負担になっています。
いわゆる「思いやり予算」というもの。
実は、日本の防衛予算のかなりの部分が、駐留米軍への「援助」です。
冷静に考えて見ましょう。
日本にいるアメリカ軍は、基本的に「日本を守る」ために存在します。
だから、彼らが日本に駐留する費用は、
ほとんど日本国民の税金によって賄われています。
言ってみれば、彼らは日本の「傭兵」のようなもの。
ただ、昨今のイラク戦争などでは、
沖縄のアメリカ軍基地は主要な出撃拠点となっています。
ベトナム戦争時代も、当然ながら日本はアメリカの兵站基地でした。
アメリカ軍は、日本を守るためだけではなく、
連中の勝手な世界戦略に日本の基地を利用しているのです。
ケシカラン、といえばケシカランですね。
日本国内のアメリカ軍基地の費用は、
日本国民が負担しているわけですから。
「日本の基地は、日本を守るために使えよな」
「そうでなければ、アメリカ軍なんか出て行け」
そういう風に考えてしまいますね。
ここで、我々にとって「在日米軍」そして「米軍基地」が
どういったものなのかを、整理する必要があります。
例えば、社民党という政党は
「平和というのは、こちらから戦争を仕掛けなければ実現する」
という、摩訶不思議な発想をなさっています。
だから「戦争の危険がある米軍基地はまったく不要」であり
「そんなものはグアムに移してしまえ」となります。
でも、アメリカ軍・・・とりわけ世界最強の「マリーン(海兵隊)」が
いなくなれば、ほくそ笑む国もあります。
他ならぬ支那です。
「西太平洋は我々、東太平洋はアメリカ」という軽口を叩いた
支那海軍の将官がいたことは記憶に新しいともいます。
そして、支那政府は沖ノ鳥島をただの「岩礁」と主張し
その周辺の日本の排他的経済水域に最近、軍艦を遊弋させました。
おめでたい日本の「平和愛好人士」は左様な状況を
正確に理解できていません。
日本の領土を虎視眈々と狙っている国はいくらでもあるのです。
そういった野蛮国に対する「抑止力」が、在日米軍であり、
彼らが駐留しているのが「米軍基地」なのです。
だからといって、彼らの存在に諸手をあげて賛成したいとは思いません。
そもそも「自分の国は自分で守る」というのが原則です。
戦争に負けて、日本中焼け野原で、
「今さら軍隊など再建している余裕は無い」と判断した
吉田茂首相が締結した「日米安全保障条約」は、
本来は「過渡的」「一時的」な「方便」として生まれたものです。
浅はかなアメリカ占領軍人達が原案を作った「日本国憲法」も同じ。
そういうイビツな枠組みが、日本が世界の主要国になり、
冷戦が終結して「支那」という国際的な問題児国家が台頭してきた現在まで
生き続けていること自体がおかしいのです。
日本は、速やかに「一人前の大人」国家になるべきです。
アメリカに守ってもらわなくても、
自分で自分の国を守れる国になるべきです。
普天間の問題など、そういう「大所高所」から見れば実に些細なこと。
今のままでもヘコノへの移設でもいいではないですか。
それよりも、10年後20年後、アメリカに頼らずとも
支那の脅威から日本を守れる「自立国家」になっているべきです。
そのための基本は「核武装」だと思います。
これについては、また改めて詳しく語りたいと思います。
お花畑な人が多いですね。国民投票やったら否決されそうですな。
まずは再教育でお花畑さんたちの洗脳を解いていく必要がありますね。
いつも楽しく読ませてもらってます。
核に関しては色々な意見があると思いますが、私の個人的な意見としては核武装には反対です。
日本は唯一の被爆国になってしまったわけですから「核は人類が使うべき兵器ではない」(そもそも戦争自体するべきではないですが)と世界に向けて問うべき使命があるのではないでしょうか。
「核を無くすならお前が先に捨てろ」という議論になってなかなか解決しませんが…。
その点日本は核を持たず、さらに被爆した過去があるからこそ「核を捨てましょう」と訴えていく権利と使命があると思いますし、核を持った途端に「お前が先に」議論になってしまうと思います。
やはり「自分の国は自分で守る」これを日本も目指すべきです。
じゃあ自分で守るためには、通常兵器だけで核保有国に対抗できるかという疑問に必ずぶち当たります。
日本が核武装という結論にはほとんどならないとは思いますが(被爆国としてなってほしくないしアメリカも許さないと思う)、「時代」は中国の台頭・北朝鮮の核保有という流れで、その中で在日米軍の問題をおっしゃるとおりで整理すべきですね。
核を持つ国・持っているかもしれない国のミサイルが、自分の国に向けて配備されていることに危機感はありませんか?
自分の国にある限られた資源が、隣の核を持つ国に掠め取られることに疑問は感じませんか?
核を持たない自分の国は、自分の力だけで国を守れるのでしょうか?
私は「何かあったら駆けつける」ではなく、「一緒に守る」姿勢の同盟国に居て欲しい。
核武装の拡大には反対です。
しかし、隣の核を持つ国がミサイルを向け、資源を狙い、同盟国の守りが無いのであれば、核を持つことを検討するのは仕方の無いことでしょう。
自分の国=日本でなくとも。
世界がG7からG20へ変革しているのに、一部権力として核武装を主張するのは時代に逆行しています。
また、現在の輸送手段の進化からして、海兵隊を沖縄に置く必要はまったくなし。グアムで十分です。彼らが来るまでは自衛隊が防護していればいいだけの話。それを巨額の税金垂れ流して駐留して「いただいている」だけなのですから。
核武装なんてしなくても、安全保障はできると思います。
2010/04/26 05:49 | by apple核武装なんて時代を逆行している考えでしょう。
人類が滅んじゃうよ。っていうか核武装を日本がするなんてありえない。
頭大丈夫ですか?
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