先人の散華に思いを馳せる季節

もうすぐお盆、ということもあって、ちょっと脱線させてください。

毎年、この時期になるとテレビでは「戦争」の特別番組が放映されますね。
最近ではすっかり少なくなったようですが、
私の子どもの頃は結構たくさんあったように記憶しています。
よく覚えているのは「日本のいちばん長い日」という映画。
玉音放送をめぐる陸軍軍政部のすったもんだを見事に描ききっていました。
監督は、私の大好きな巨匠・岡本喜八。
三船敏郎演ずる阿南陸相が割腹するシーンなど、かなり印象的。
「阿南は漢(おとこ)だなあ」と子ども心に感心していたら、
数年前にその六男の惟茂氏が北京駐在の日本大使として
とんだ失態を演じていたのを見てゲンナリ。
まあ、親は親、息子は息子なのでしょうが。

岡本喜八監督は、戦争映画を撮らせたら随一だったと思います。
「独立愚連隊西へ」などは、傑作といっていいでしょう。
制作は1960年ですから、まだ人々の戦争の記憶が濃厚に残っていた頃。
モノクロ作品ですが、かなり面白いですよ。ぜひ観てください。

私の両親はそれぞれに戦争を体験しています。
母は昭和5年生まれ。15歳の時に大阪大空襲に遭いました。
父は大正5生まれ。石油関係の軍属としてシンガポールに赴き、
かの地で敗戦を迎えてイギリス軍の捕虜になりました。

1945年8月14日のポツダム宣言受諾後、
日本軍将兵はそれぞれ前面の「敵」に降伏したのですが、
もっとも虐待を受けたのはソ連軍の捕虜になった人々。
シベリアで何年もわたる奴隷労働を強いられ、
多くの方が非業の死を遂げました。
その次に悪辣な仕打ちを受けたのは、
イギリス軍の捕虜になった自分たちだと
私はさんざん父親から聞かされました。
一日に掌に載るほどの米しか支給されず、ほとんどが栄養失調になったとか。
日本軍の捕虜になったイギリス兵が飢餓に苦しんだので、
その仕返しに日本兵たちを故意に飢えさせたそうです。
その後、いろいろと調べてみるとオランダ軍の捕虜になった人々は
もっとひどい仕打ちを受けたそうです。
まあ、長年にわたり有色人種を猿の如く扱ってきた英蘭人が
黄色人種の日本軍に手もなく負かされて、
威張り散らしていた現地人の前で大恥を掻いたのですから
「恨み骨髄」という気持は忖度できますが・・・・

私は最近ほとんどテレビを見ないので、
この時期に放映されるその手の番組もスルーしています。
ただ、ここ10年ほどは大東亜戦争関連の本を読み漁っています。
大東亜戦争・・・というとちょっと分かりにくいかもしれませんね。
一般に、1941年の12月8日の真珠湾攻撃に始まった戦争は
「太平洋戦争」と呼ばれることが多いですね。
1939年9月にドイツがポーランドに侵入することで始まった戦争を
「第2次世界大戦」と呼ぶのは、誰しも異存のないところ。
ところが、日本は1937年7月に盧溝橋事件が起こって以来、
大陸で2つの勢力と戦争状態に入っていました。
1941年の12月8日以降は、さらに英米蘭との戦争になったわけで、
日本からすると「大東亜(東アジア全体)戦争」なのです。
でも、アメリカから見ると戦場はほぼ太平洋だったので「太平洋戦争」です。
戦後、おせっかいなGHQがこの「太平洋戦争」という呼称を
占領下の日本に押し付けたので
その後の歴史教科書などには、この呼び方が使われたのです。
でも、日本からすれば戦場は大陸にも太平洋にもあったわけで、
私は「大東亜戦争」と呼ぶのがふさわしいと考えています。

おっと・・・説明が長くなりすぎました。
でも、言葉の使い方は疎かにしたくないもので。

何度か書いたように、生家は古本屋でした。
少年時代、読みたい本は棚から抜いて勝手に読み、また戻せばいいという環境。
父の話す戦争体験談に触発されたせいか、戦争関連の本を読み漁りました。
でも・・・何十冊も読むと、嫌になります。
子どもですから、負けた話より、勝った話が好きです。
ただ、あの戦争の中盤から後半、日本軍はボロ負けですから、
そういう本を読んでいると嫌になってしまうのです。
それで、高校に入る頃にはまったく読まなくなりました。

それが、ここ15年ほどブックオフの「105円コーナー」で
「光人社NF文庫」を見つけると片っ端から買っては読んでいます。
その他にも、大東亜戦争の体験記などは、ほぼ無作為に読んでいます。
少年期と違うところは、負けた話の方が興味深いこと。
ニューギニアやフィリピンで、それこそ死んだ仲間の人肉を食べながら
生き抜いた体験記などをむさぼり読むわけです。

父の弟は、ニューギニアのウエワクというところで
昭和19年5月に「戦病死」したと当時の陸軍省から通知されています。
調べてみるとウエワクは日本軍の拠点で、さほど飢餓は酷くなかった様子。
叔父がどのように死んだのかは分かりませんが、
飢えに苦しんでなければよいと願うばかりです。

それで、どうして「負けた話」に興味深いかというと、
大人になって「GHQの呪縛」から抜け出したからです。
「GHQの呪縛」というのは
●日本軍は勝ち目のない無謀な戦いを始め
●アメリカを始めとする連合軍にまったく歯が立たず
●特に後半はボロボロに負け続け
●連合軍は易々と勝利した
というものです。
まあ、ある一面はそうです。
でも、実はアメリカ軍もかなり「必死」に戦って
日本軍の頑強な抵抗に相当手こずり、
ようようの思いで勝利にこぎつけた、というのも一面の真実。
日本を占領したGHQの政策目標の第一は
「日本人が二度と自分たちと戦争しないように洗脳する」ことだったのが、
雄弁にその真実を証明しています。
そして、その洗脳政策は連中の思惑以上の「成果」を生み出しました。
今の「フニャフニャジャパン」の実態がそれを示しています。

まあ、戦後のことは置いておいても、あの戦争の後半、
武器弾薬どころか、食糧も欠乏する中でわが先人たちは実に良く戦いました。
負け戦の話を本で読んでいると「昔の日本人はすごかったのだ」と
本当に心の底から感動します。
何でもない普通の兵士が、拙劣な作戦指導の下、貧弱な武器を手に、
飢餓に苦しみながら己の責務を全うするために、
死ぬまで頑強に戦い続けるのです。
そして、大半の兵士が死んでいきました。
前途のある多くの若者たちが、花びらの如く命を散らしてしまったのです。
今、私が読めるのは生き残った方の体験記です。
生き残った方はみな「死んだ人間に申し訳ない」という慙愧と共に
その後の人生を送ってこられたようです。
ほとんどの体験記に、その苦しい思いを読み取ることができます。

そして、わが先人と戦った敵たちにとって、
降伏せずに死ぬまで戦い続ける日本軍は、理解しがたい集団だったと思います。
武器弾薬に乏しく、食糧も欠乏する中で、
日本軍の各部隊は信じられないくらいよく戦いました。
おそらく、あの時代の各国軍の中で最も士気が高かったのではないでしょうか。
もし、あの当時の日本軍が、アメリカ軍の3分の1程度でも
キチンとした武器弾薬食糧の補給を受けていれば、
多少作戦指導がまずくても負けはしなかったと思います。
多分、日本軍の前線に届いた補給は
アメリカ軍の1割に満たない貧弱なものだと推測します。

1944年、北ビルマにおいてアメリカ式の装備と訓練を受けた蒋介石軍が
日本軍に襲い掛かった「拉孟・騰越の戦い」というのがあります。
約3ヶ月の激戦後、日本軍部隊は玉砕して果てます。
ただ、この戦いにおける日本軍の兵力は1個連隊に満たない1000人ほど。
対する蒋介石の国民党軍は最精鋭の第1師団を含めた5個師団、5万名弱。
この時、後に参議院議員になる「迷」参謀の辻政信は
「ここの支那軍は強いな」と感心して、
それまで「支那軍1個師団は日本軍1個中隊相当」という見立てを、
「支那軍1個師団は日本軍1個大隊相当」に改めたそうです。
それでも、人数にして20倍です。
それまでは、約100倍だったのですから、びっくりします。
このエピソードは、日本軍がそれまで大陸の各戦線で、
いかに蒋介石軍をナメていたかを如実に示しています。
実際、日本軍が国民党軍や八路軍に負けたという戦いはほとんどありません。

ヨーロッパ戦線では、ドイツの親衛隊(SS)が正規軍である国防軍よりも
3倍は強いといわれていました。
SSには最優先で補給が行われ、最新兵器が供給されていたそうです。
実際、SSは各戦線で赫々たる戦績を残しています。
アメリカ陸軍の最精鋭は第101と第82の2つの空挺師団。
ノルマンディーやバルジの戦いで名を馳せました。
近くはイラク戦争にも投入されています。
マリンなら第一海兵師団。こちらもバグダッド一番乗りの精鋭。
かつては沖縄戦にも参加しています。
これらの「精鋭」は、ともにハリウッド戦争映画の常連です。
でも、もし同じ兵器と同じ条件で戦ったら、
帝国陸軍の普通の部隊の方が強かったかもしれない、と私は思います。
何といっても、日本軍兵士は死を恐れませんから。

航空戦でも、日本は相当よく戦いました。
開戦当初の零戦の活躍やソロモンでの消耗戦は良く知られています。
しかし、あまり知られていないのが、後半になってからの本土防空戦。
「本土空襲」というとマリアナ諸島から飛来するB29になすすべもなく
爆弾や焼夷弾を落とされたイメージですが、
日本の航空戦力は実に果敢に防空戦を挑んでいます。
B29の損耗率は、ドイツ各都市を空襲したB17と比べて遜色ないものです。
「空の要塞」と呼ばれたB17に比べて、
B29はふた周りくらい大きなことを考えれば、
日本の防空戦は実に見上げた戦果を上げたといえます。
もちろん、日本側も多大なる犠牲を払ったことは事実ですが。

そして、南洋に、大陸に、本土防衛に、はかない命を散らした先人たちを礎に
今のフニャフニャジャパンが築かれ、我々は日々飽食しているワケです。
私は、せめて1年に一度、この時期だけでもいいので
今の我々のために命を賭して戦ってくれた人々のことを
マジメに考えてもよいと思います。
そういった意味で、自民党・谷垣総裁の靖国参拝を讃えます。


2010/8/12 15:57 Comments (2)

2 Comments

英、蘭は、アジア利権を失った国でもあり、国家としての反日感情も凄かったに違いありません。
ソ連は、戦中、戦後も自国民に粛清の嵐だった筈で、そもそも人権自体が無いのでは?

2010/08/23 13:02 | by 匿名

最近、SUMOのサイトを見ていると、1〜2年前に完成したマンションがバンバン乗っています。
あれ、これって中古じゃないの?
不動産公正取引協議会の自主ルールでは完成1年経つと、新築とは言えないはず・・・と思ってSUMOに問い合わせると協議会のルールはそうだけど協議会とも話して問題ないと回答を得ています。というお答え。

もともと市場で売れないという評価が業界から突きつけられているマンションなのに、新しものも評価されないものも一緒。
こんな横並びだけが不動産業界の望むこと?
こういう時だから、消費者にきちんと情報を伝えることが業界のこれからの信用につながると思うのに・・・・

2010/08/17 01:48 | by マンションウオッチャー

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