寒いですね。
夏があれだけ暑かったのだから冬が寒いそうですが、
もうちょっと手加減してくれればいいのに・・なんて。
きょうも「ちょっと脱線」で失礼します。
この時期になると思い出すことがあります。
ちょうど9年前の正月明けの出来事。
その前の年に次女が生まれて家も引っ越し。
新居で迎えた初めての正月だったせいもあり
「ああ、あれから○年か」と、この時期になると思い出します。
その頃、私は不動産広告を制作する会社を経営していました。
9年前・・・仕事始めの日に、
あるお客さんから電話がかかってきました。
「聞いた? ツトムさん、また入院しちゃったって」
エエッー!
「ツトムさん」というのは当時、
私とコラボしていたデザイン会社の社長さん。
元いた会社の大先輩で、私より15歳くらい年長。
風貌は「捜査4係」の系統で、舘ひろしを崩した感じでしょうか。
夜の巷での武勇伝も多数あったそうです。
50歳になった頃「早期退職制度」で会社を辞めて独立。
入院時には社員を5人くらい抱えて、まずまず成功なさっていました。
私は速攻で入院先へ駆けつけました。
病院は、築地の「国立がんセンター」。
部屋を訪ねると、涙で目を腫らした奥さんが出てこられました。
「ツトムさん、どうですか?」
「・・・・今は薬で頭がボーとしていますから、普通には話せないと思います」
中に入ると、ツトムさんは身体からいくつもチューブを出しています。
「おお・・・わざわざ、ありがとう」
少しだけ話しましたが、マトモな会話になりません。
何か励ますようなことをいって、奥さんと廊下に出ました。
「だから・・・会社を広げないでって言ったのに・・・」
そういって、また奥さんがヨヨと泣き崩れました。
ツトムさんは前の年に新しいオフィスを借り、
多額の費用をかけて大改装をなさっていました。
「さあ、これから仕事を広げるぞ!」
そういいながら、酒量はかつての3分の1位に減っていたのが
何とも気になっていたのです。
「最近よー、背中が痛くってよー」
そんなことを言い始めたのは、前の年の春先。
どこの病院にいっても原因不明だったのが、
何とかの「癌」だと分かったのは、秋口。
「ガンだってさ・・・でも、大丈夫みたいだよ・・・すれば治るんだってよ」
医者にはそういわれたと、本人はいたって意気軒昂。
でも、奥様には本当のことを知らされていたようです。
廊下で、泣かれている奥さんに聞きました。
「今後、回復する可能性はどれほどあるのでしょう? お医者さんはどうおっしゃっていますか?」
奥さんは、泣いたまま首を横に振るばかりでした。
さらにお聞きすると「・・ダメなんです」と泣き崩れられました。
「エエッ・・・そ、そうですか」
ツトムさんの言葉を信じていた私も、奥さんの言葉に衝撃を受けました。
そして奥さんはまた、「だから・・・だから、あまり広げるなって・・・」。
内装はもちろん、インテリアまで特注したツトムさんの
新しい事務所のことが、チラリと私の脳裏を掠めました。
その頃、奥さんはツトムさんの会社の経理をなさっていました。
でも、もとはお嬢様で、OLの経験もほとんどないそうです。
まったく初心者の彼女が経理事務を行うに当たっては、
私の会社のベテラン社員が全面的にサポート。
顧問税理士さんも、私が紹介していました。
その奥さんが苦痛に満ちた表情で涙を流しておられます。
私は、その時に思いました。
(これは、俺がやるしかないだろうな)
奥さんに尋ねました。
「では、会社は閉じた方がいいと思われますか?」
「・・・はい」
「分かりました。私が出来る限りやらせていただきます。奥さんはどうぞ安心して、ツトムさんの側にいてあげてください」
「どうか・・・よろしくお願いします」
奥さんは深々と頭を下げられました。
それから、必要な書類の保管場所などをお聞きし、
会社閉鎖の簡単な段取りを決めてからツトムさんの事務所へ。
すでに社員は全員出社して各々業務をこなしていました。
「やあ、こんにちは。新年早々ごくろうさん。ツトムさんのことで、ちょっと話があるんだけど、みんな集まってくれるかな」
そこで事情を話して、3ヵ月後に会社を閉じると宣言。
「ただし、できるだけ経済的な損失は少なくしたいので、今の業務は継続してください。もしトラブったり、分からないことがあれば、何でも私に言ってください」
翌日、彼の会社へ多くの仕事を発注している
広告代理店の「外注管理担当」責任者に面会。
そこは、私とツトムさんが元いた会社。
その責任者は我々の麻雀仲間でもあるので、話はスムーズ。
「そういう事情ですので、私が閉鎖業務を全面的にサポートします。どうかご協力をお願いします」
もちろん、彼は快諾してくれました。
私が、その仕事(もちろん無報酬)を行うに当たって決めた3つのルール。
1 ツトムさんの会社の「お金」には触らない
但し、発注元との金額交渉はいつもより「強面」で行う
2 社員を当時の私の会社には入れない
あの頃は各社とも人手不足で、「経験者」はスカウト合戦でした。
社員の行き先については、例の古巣の「責任者」に斡旋を依頼。
3 仕事も引き継がない
2と同様、それが目当てでやっていると思われたくなかったので
約1ヵ月後、ツトムさんは永眠なさいました。
お通夜に告別式・・・私はツトムさんの社員たちと共に
出来る限りお手伝いさせていただきました。
その折、奥様から「遺族代表の挨拶をお願いします」と頼まれて
すごーくビックリしましたが、まあ何とか責を果たしました。
それから2ヵ月後、社員さんたちには奥さんと相談した額の
退職金をお支払いして全員に退職してもらいました。
彼らの転職先も、ほとんどが決まっていました。
一方、やや難航した事務所の家主さんとの
「原状回復工事」の交渉も何とか低額でまとめ上げました。
「未収」になっていた「売掛金」は片っ端から電話して、
「こういう事情ですから、お支払いをお願いします」と
半ば脅しながら満額「回収」をめざしました。
事情が事情ですから、たいていは快く払ってくれます。
でも、中にはいるのですよ。
「その件については、ツトムさんと話ができていたのだけどなあー」
なんて、「死人に口なし」をいいことに、素っとぼける輩が。
まあ、私もしつこくは迫りませんでしたけど、
そういう卑怯者の名前と言い草は、機会さえあれば
しっかり関係各人にご披露させていただいています。
その間、もうひとつ納得できなかったことがあります。
それは、入院していた国立がんセンターが、
ツトムさんに余命短いことを告知し、
他のホスピス施設への転院を迫ったこと。
それを聞いて荒れに荒れたたツトムさんを看病するのに
奥さんはとっても大変な思いをなさったと聞きました。
私は医学的に余命が分かれば告知して欲しいタイプですが、
それは各個人の「人生との向き合い方」に関わる問題。
ツトムさんのような気性の方には決して告知すべきではなかった、
と私は今でも納得が出来ません。
そもそも余命を告知するのは、
運命を受け入れるキリスト教徒の習慣であり、
日本人にあまねく適用するのはかなり疑問です。
とはいえ、病院の廊下で奥さんと話して3ヵ月後、
それなりの「黒字」を維持しつつ会社を閉鎖することができました。
前から知っていたとはいえ、
「社長の仲間」というだけの私に協力してくれた
社員さんたちにも大いに感謝しています。
その後、何人かの消息は伝わってきています。
社員同士で結婚されたという話も聞きました。
そして、奥様から今年いただいた年賀状には
「私も還暦になりました」と書かれていました。
あの美しい奥様のことですから、
さぞかし上品にお歳を召されたことでしょう。
当時、中学生と高校生だった二人のご子息も
立派な社会人になられているとか。
かつての「遺族代表」としては嬉しい限りです。
こういうエピソードを読まれると、
私がさぞ「ツトムさん」と親密だったと思えるでしょうが、
実はさほどでもありません。
元いた会社では、同じフロアでしたが付き合いはほぼ麻雀だけ。
お互い会社を経営するようになって、
仕事で濃厚に付き合ったのは賞味2年程度。
何度か飲み会を共にしましたが、全部で10回ないと思います。
ただ、ウチの経理社員と奥様はかなり「仲良し」だったようです。
私が彼の会社の店じまいを陣頭指揮することについて、
中には「なぜアイツがやっているのだ」と
思われていたかもしれません。
でも、私はあの場合、あの仕事に最適任だったと思います。
それと・・・まあ、かっこよく言えば「見義不為、無勇也」でしょうか。
その間、私は自分の会社の仕事が半分、
ツトムさんの会社の閉鎖業務が半分という状態でした。
大変でしたが、それを大過なく成したことは私の小さな誇りです。
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安・君かな?
久しぶり。
元気でやっているかい?
僕の事務所は引っ越したけど
電話もメールも元のままだから連絡してよ。
飯でも食おう。
もう9年ですね。。。
社会人1年目であの会社に入れてよかった。
今でもデザインやれてますよ。
榊さん今度ご飯でも♪
>そういう卑怯者の名前と言い草は、機会さえあれば
>しっかり関係各人にご披露させていただいています。
まさに榊さんの真骨頂ですね!
2011/01/19 12:10 | by ファンRSS feed for comments on this post. TrackBack URL