榊酒八合与太一篇 電脳机上酔して眠る

唐代に詩仙と呼ばれた李白は
「李白 酒一斗 詩百篇 長安市上 酒家に眠る」といわれたそうな。
このあたり、さすがに「白髪三千丈」のお国柄。
日本じゃ「一升酒」を嗜めば立派な酒豪ですが、
あちらの詩仙はその十倍お飲みになって、百篇の詩をもののすといいます。
はるかに及ばぬながら、私は深夜に一杯やりながらブログを更新しております。

どういうワケか、私は一人で酒を飲むと形而上のことを考える癖があります。
形而上、といってもそんなにコムヅカシイことではありません。
元が合理主義者ですから、いたって現実に近いことが多いのです。
最近、ツラツラと考えているのは「電気」のこと。

「おっと、また原発問題ですかい」と、ご期待の向きは少々お待ちを。
後ほどその話題にも触れます。

ちょっと大仰な言い方をさせていただくと
「電気というのは近代文明の根幹」
であることについて、改めて考えているのです。
人間は、この電気の存在を知り、その操り方を覚えたことで
現在のような文明社会を築き上げたといってよいかもしれません。

卑近な話を致しましょう。
最近、歳のせいか、不摂生のせいか、単に姿勢が悪いのか、
それとも働きすぎか(それはなさそうだけど)、腰痛に悩まされています。
ところが、よくしたもので「緊急避難」的にこれを軽減する方法があるのです。
実は、今もそのお世話になりながらこの原稿を書いています。

それは「低周波治療器」というモノ。

これを15分やれば、ともかく一時的には軽快します。
すでにお使いの方はご賛同くださると思いますが、
これはかなりのスグレモノです。
仕組みはよく分かりませんが、低周波の電流で患部が刺激されるのです。
この低周波が、まるでプロのマッサージ並の働きをしてくれます。
カラダがピクンピクンと動いて、何とも心地いい。

この低周波治療器を動かしている電気の素は、なんと単4電池2本。
使っている私自身、不思議でなりません。
単4電池2本分の電力で、70ウンkgの私のカラダがピクピク動くのです。
そして、何とも気持ちよく腰痛がほぐれていきます。

人間のカラダというものも、基本的には電気信号で動いている、
という話を何かで読んだ覚えがあります。
指一本動かすのも、脳から電気信号で指令を送るとか。
だいたい、我々の脳がいろいろと思索をめぐらすのも
すべて電気的な働きだそうです。
だから、その微弱な電気を捉える「脳波測定」なんてのがあるのです。

私は、幽霊とか霊魂とか言うものがもしあるのなら、
それは浮遊した電子の塊ではないかと考えています。
つまりは、幽霊も電気的な存在。
そういったことを真剣に研究している人もいるそうです。
まあ、その手の与太話は別の機会に別の場所で。

どういう効能かは説明できませんが、
この低周波が腰の辺りの「痛み」の原因を、
一時的に蹴散らしてくれるのは確かです。

人間は、この「電気」というものの存在を知り、
それをある程度操れることになったことで、
この功利的な文明を飛躍的に発展させました。
その結果、今の我々の快適な暮らしがあるワケです。

でも、ちょっと冷静に考えれば、人間が電気を操り始めたのは
たかだかここ百数十年くらいのことです。
日本に限れば、一般家庭に電気が引かれたのは
せいぜい1920年台くらいからではないでしょうか。
それでも、世界的に見ればかなり早いほうだと思います。
李白の子孫達が暮らす厄介な隣国では、
未だに電気のない生活をしている人が何億人もいるはずですから。

1945年8月、この厄介な隣国に派遣されていた旧帝国陸軍は、
戦闘では敗北していないものの、連中に降伏することになりました。
一切の武器を引き渡すことになったのです。
ほとんどの支那派遣部隊は、整然とそれを行いました。
小銃や大砲などは、あの連中も十分に使い方が分かっていました。
まるでブリキのおもちゃのような戦車も、引き渡されました。
連中は歓喜してそれを受け取ったそうです。
「操作方法を教えろ」という要求にも従いました。
でも、そこで非常な困難が生じました。
戦車砲の撃ち方は分かるのだけれど、バッテリーが理解できないのです。
というか、生まれてこの方「電気」というものに接したことない者に、
それが何かを説明するのは、ほぼ無理だったそうです。
そういう話を、戦車部隊の少尉だった司馬遼太郎さんが
何かのエッセイで書いておられたのを思い出しました。

日本人はここ3世代ほど、生まれたときから電気のある暮らしをしています。
一家庭で百点はくだらないだろうと思われる電気製品を
日々使いこなしながら生活しています。
もう、それがなければ生活が立ち行かないのは
この春に計画停電を体験なさった方は如実に感じておられると推察します。

「電気がなくなる」ということが、どれほど恐ろしい現実なのかは、
この震災によってまざまざと理解できたのではないでしょうか。
我々は、それが当たり前にあることに、なんの疑問も抱いていませんでした。
でも、現実は非常に危うい状態になっています。

今の日本社会は、電気が無条件に供給されることを前提に成立しています。
その電気の源の、電力を生産するために、地球上に存在する
あらゆるエネルギーを電力に変える仕組みが考え出されています。
実用化されているのは火力、水力、太陽光、風力、地熱、そして原子力。
この中で、最も効率がよいのが原子力です。
でも、この原子力発電には放射能という厄介極まりない副産物が生じます。
これさえうまく解決できれば、原子力は魔法みたいなものです。
しかし、東電は結局失敗しました。
今後、福島第一以外のどこかで、同じような失敗は必ず起こるでしょう。
人間はミスをするものです。

今、原発をすべて止めろ、と積極的な発言をなさっている方が多くいます。
まあ、それに越したことはないでしょう。
原子力発電をすべて止めて、安全に廃炉にすれば
福島第一のようなことは起こりません。
でも、我々は今のように電気を使えなくなります。

ソフトバンクの孫さんがいうように、休耕田にソーラーパネルを
設置して原子力の代わりにするのは確かに妙案です。
でも、その作業に何年かかるのでしょう?
電気代はいくらになるのでしょう?
現在、太陽光発電のコストは原子力の10倍と言われています。
でも、今後はその差がもっと縮まるでしょう。

かといって、今の状態だと原子力発電を縮小すれこそ、
積極的に増やすことは国民の理解が得られそうにありません。
私は個人的に原子力発電に賛成しますが、それは別にして。
でも、電気代が今の倍くらいなら何とか堪えられるかもしれませんが
5倍や10倍は無理ですね。
日本全体がそれによって貧しくなります。

では、どうすればいいのでしょう?

そこで最初の話。
今の文明社会は「電気」というのが
当たり前に供給されることを前提に構成されています。
マンションなら、エレベーターが動いて当たり前。
機械式駐車場が正常に作動して当たり前。
エアコンを使うことが当たり前。
だから、各住戸の気密性を高めています。

これを少し見直してみてもいいのではないでしょうか?

今、東京の街を歩けば、まるで「陰影礼賛」の世界ですね。
駅の構内も、電車の中も、ビルの中も、仄かに暗い。
好みの問題かもしれませんが、私は今が好きです。
そもそも、以前の東京は無意味に明るすぎました。
冷房が効きすぎていました。

こういった節電がひとつ。

あとは、「もし電気が来なかったら」を基本にしてはどうでしょう。
例えば、マンションだったら・・・・
今後は自家発電装置の設置を義務づけましょう。
基本的には水道ポンプ用です。
他にも1時間に1回くらいは非常用エレベーターを使いたいですね。
機械式駐車場は、手動でも動かせるようにもしておきましょう。
オール電化なんてのは、基本的にやめましょう。
エアコンの使用を前提とせず、風の通りを考えましょう。
屋上には、必ず太陽光発電パネルを設置しましょう。
既存のマンションは、管理組合で何台かのコンパクト発電機を保有しましょう。
システムキッチンのガスコンロは、
電気が来なくても作動するような製品を開発すべきです。
これは給湯器も同じ。
昔の瞬間湯沸かし器は、電池を入れるだけで動いていました。

今回の震災で、我々は図らずも「電気文明社会」の脆弱性を実感しました。
でも、だからといって絶望することはありません。
電気なんて、百年前は我々の生活になかったのです。
そして、これからだってゼロになることはありません。

でも、危険なのはタワーマンションのように
それが「当たり前にある」ということを前提に成立している
様々な文明の装置なのです。
まず、あるからといって不必要に浪費しない。
次に、なくても当面大丈夫な準備をする。
そして・・・・

できることなら、今のように一元的に電力が供給される
システム自体を変えるべきではないでしょうか。
10年ほど前に、東京ガスがガスだけで完結する
ビルを提案していた記憶があります。
つまり、供給されたガスでビルに設置された発電機を稼動させ、
必要な電力をすべて賄うのです。

今回は、東京電力がチョンボしたおかげで
東電管内のエリアで計画停電が実施されました。
これが東電独占ではなく、もっと細分化されていれば
「ウチは近所の○○発電所と契約しているから関係ない」
なんてことにもなるワケです。

電力事業や原子力発電というものには
多分に利権の臭いがプンプンと漂っています。
どこかの誰かがいい思いをするために
今のシステムを作ったようにも思えます。
確かに、電力が安定的に供給されることは必要ですが
現に「安定的な供給」は崩れたわけです。
そのあたりは、もっと柔軟に考えるべきと思います。

しかし、それにしても現実に今は電力が必要です。
原子力発電をすべて停止する、などということは非現実的です。
議論のための議論、になっている現状を非常に危うく感じます。
原子量発電が危険、といっても、まだ一人も死んでいないという現実を
もう少し冷静に眺めることがなぜできないのでしょう?

電気・・・というものは偉大です。
私の腰痛を和らげてくれるし、タワーマンションのEVを動かします。
そして、まだ証明されていませんが、霊魂をも作ります。
この、目には見えないモノを、本当に自在に操れた時、
人類は文明の次の段階に到達するのではないかと想像します。


2011/5/26 2:43 Comments (0)

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