120歳まで「説教人生」を続けるかもしれない、京都のオバハンの話

世間の学校は夏休みのようです。
ウチには小中高のガキが一匹ずついるので、
これが3匹揃っているとウルサイことこの上ありません。
子どもたちを見ていると自分の学校時代のことを思い出します。
私は両親から「勉強しろ」とか「成績を上げろ」、
「宿題はやったのか」という類のことをほとんどいわれた記憶がありません。
そんなことより、「学校(先生)がウチに文句を言いにくるようなことをするな」
とか「親が学校に呼び出されるようなことはするな」
というのが彼らの本音だったのでしょう。
勉強や成績、進学というのは「3の次」くらいでした。

このブログに何度か登場する父親は、私ら兄弟が勉強なんかしていなくても
基本的に「ワシの子やったらもっとアタマがエエはずや」というスタンス。
彼は私以上に不器用な人間でしたから、時々それを口に出します。
すると、それを聞いた母親がいきり立つ、という構図。
「この子らができひんのはアタシがアホやからというんですか!」
と得意のヒステリーをおっぱじめて、家の中はテンヤワンヤ。
私はアレが大嫌いで、できる限り「見ざる、聞かざる」に徹していました。
今でも思い出すと、何かとても不愉快で落ち着かない気分になります。

なぜああいったことにあれだけのエネルギーを使えるのか、理解に苦しみます。
あのヒステリーの1時間分を発電に振り向けると、
当時のわが家の一日分の電気が賄えたのではないでしょうか(笑)。

その母親、今は81歳になって京都でひとり暮らしをしております。
私には姉と妹がいて、それぞれ京都の近県に住んでいるので
それなりに顔を出しているかというと、さに非ず。
二人とも、「敬して遠ざく」というスタンスをとっている模様。
なぜかというと、近づくとウルサイのです。
「・・・をしなあかん」「・・・をしたらあかん」という
「あかん」話を山ほど聞かされるのでウンザリします。
それも、中身の99%がどうでもいいか、間違った内容。

姉の子の一人は京都の某大学の経済学部に学んでいます。
彼は時々小遣いをもらうのが目的でばあちゃんを訪ねるそうです。
すると・・・小遣いは貰えるそうですが、
「あんた、経済学部やったらサミュエルソンの本はちゃんと読んだんか?」から始まって、さんざんピントはずれの説教を聞かされるはめになります。
彼女は京大近くの古本屋に嫁いで30年以上も手伝ってきたので、
有名な経済学者の名前くらいはひとつふたつ覚えているのです。
でも、それらはほぼ30年前の知識で、今ではピントがズレズレ。
それでも、そのわずかばかりの知識をテコに、
現役大学生にして優25個という出来のよい孫に対して
まるで自分が学者であるかの如く自信満々の説教をするのです。
傍で見ていると、ただのアホでウルサイおばはんの説教ですが
実際に聞かされている方は溜まりません。

これは、ほぼ誰に対してもそうです。
彼女は「自分が上手に出られる」と考えた人間すべてに対して
ほんの僅かの拙い知識をテコに説教を始めます。
私も今では母親と数年に一度しか会いませんが、
その時に聞かされる話の半分以上は「説教」です。

まだ若い頃・・・といっても私が30歳くらいの頃ですが、
しみじみと母親を諭したことがあります。
「あんな、オカン。よう聞きや。これは息子やさかい言うんやで。オカンはな、そうやって誰にでもエラそうに説教するやろ。あれはヤメた方がええで。何でかいうたらな、オカンはなーんもエラいことなんかないからや。アンタはな、お父さんと一緒になって3人の子ども産んで、育ててきただけの、ただのオバハンやで。学歴もないし、本かてそんな読んでへん。商売を成功させたわけでもあらへん。ただのそのへんのオバハンやろ。そのオバハンがええ大人を相手にエラそうにああせい、こうせいゆうたかって、誰が聞くと思う? よう考えてみい。誰かアンタの説教聞いて、ああ、コレはええ話聞かせてもろた、ゆうてその通りしたのがおるか? おらへんやろ。 百歩ゆずろか。アンタなあ、何年ワシの母親やってんの。ワシもう30やで。30年もワシの母親やってきたら、ようわかるやろ。ワシが中学くらいからこっち、アンタのいうことを素直に聞いたことがあるか? あらへんやろ。多分、1回もあらへんはずや。ワシはなあ、アンタの言う通りだけは絶対にせんとこと思てきたんや。何でもかんでもアンタのいう通りしてたら、それはそれはつまらん人間になってたと思うで。今のワシがあるのは、親の言う通りにせえへんかったからやねん。それで正解やったと最近つくづく思うわ。せやけど、アンタはもう十何年も、自分のいうことを何もワシに聞いてもらえんかったのに、なんで今でもおんなじことしてんの? ワシに説教しても100%ムダやねんで。いつもゆうとるやろ。何か聞きたいことがあったらこっちから聞くさかい、そっちからああやこうやいわんでもええて」
これを聞いた我が母親はどうしたと思いますか?
それはもう、ご想像の通りです。
目を剥いて烈火のごとく怒りました。
「アンタこそ30年しか生きてへんのに何をエラそうなこというねん。あたしはなあ、3人の子ども育てて、60年以上も生きてきたんや。アンタらにはいわなあかんことがいっぱいあんのんや!」
結局、この作戦は100%失敗に終わったのです。
私はかなり理路整然と、分かりやすく説得したつもりなのですが・・・

その後、私は母親に現実を悟らせることを完全に諦めました。
会えばいつもの通り「・・せなあかん・・・したらあかん」話をされます。
テキトーに聞き流しながら、時に反撃に転じます。
「あいかわらずウルサイおばはんやなあ。まあええけど、ええ加減な所で、はよ死んでや。長生きしたかて、もう世間にやることないやろ?」
3人の子どもはほぼ完全に自立していて、
母からの援助は物心両面含めて、まったく必要ではない状態。
それでも、これを聞くと、やはり母は怒ります。
「アンタにはよ死ね、いわれて死ねるかいな。このまま120まで生きるさかい、覚えときや」
「ああ、わかったわかった。ほな、120でも200でも生きてもええさかいな、死ぬときだけはポックリいってや。頼むで」
「あたしかてなー、行くときはポックリ行きたいわ! そんなこと・・・いわれんかてアタシが一番に考えてるわ! 120まで生きてポックリ行くさかい、よう見とき!」
母親に120まで生きられても、こっちはもう生きていない思いますけどね。
ただ、あの調子だとあと10年位は誰彼かまわず説教してそうです。
本当にあの調子で120まで生きたら、それはそれで立派ですが。


2011/8/12 15:42 Comments (1)

1件のコメント

ああ、私も同じ様なことを生前お袋に言っておりました。今思えば、無駄な説教返しでしたが微笑ましく思い出されます。

2011/08/13 18:44 | by 金子ノブオ

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