昨日の大阪W選挙の結果は、日本の各界を震撼させています。
週刊誌にあそこまで嫌われた橋下・維新の会が圧勝。
大阪の人々はかなり面白い選択をしますね。
さすが、過去に横山ノックを知事に選んだ街ですね。
私は、辻元清美が平松氏を応援している写真を見たとき、
「ああ、これで数万票は減ったな」なんて思っていましたが、
そもそもの得票差はそんなものじゃなかったようです。
それこそ、減票マシンの蓮舫と辻元が連日応援に入っても、
あそこまで差は開かなかったのかもしれません。
基本的に、大阪人は民主と自民にノーを突きつけたのです。
さて、彼が掲げている「大阪都」構想なるものを、
私はいまひとつ理解できないでいます。
まあ日教組を始めとする官公労と対決姿勢であることで、
私にとっては「敵の敵」みたいなものと受け取ってはいますが。
大阪という街は、ここのところ衰退が激しいですね。
先日も「日本一幸福度が低い街」としてニュースになっていました。
失業率が高い上に、犯罪発生率は最悪とあっては
とても幸せな街とは思えません。
何度も書いている通り、私は京都生まれの京都育ち。
20代の頃、2年ほど神戸にも住んでいました。
ただ、大阪には一度も住んだことがありません。
両親はともに大阪育ちなので、親戚は一杯いますが。
しかし、どうも馴染めない街ではあります。
実は、東京にもあまり馴染んでいないのですがw、
しかし、年ごとに大阪の地盤が沈下しているように思えますね。
例えば、なんだか最近わたしの周りに大阪人が
異様に増えているような気がするのです。
彼らの場合「あなたはどこのご出身ですか?」と聞く必要なし。
東京でも普通に関西弁で喋るのですぐに分かります。
「関西のどちらですか?」
そう聞くと「京都」とか「神戸」というよりも
「大阪ですわ」と返ってくるのが圧倒的。
つまり、大阪の人々がどんどん東京に進出しているのです。
なぜでしょう?
多分、こちらの方に仕事があるからです。
逆に言うと、向こうには無くなっているとも考えられます。
昔は、大阪の人間は東京に来るのを嫌がりました。
物価が高くて、言葉が気取っていて、食べ物がまずい・・・
というのが大方の大阪人の東京観。
まあ一面の真実でもあると思います。
ところが、彼らは今、続々と東京を目指してきているのです。
つまり、あの街は明らかに衰退しています。
私の子どもの頃は、まだ幾分かは「東京に対抗」していました。
でも、昨今は完全に「勝負がついた」状態ですね。
なぜ、ここまで差が開いたのか。
また、大阪はどうして衰退したのか。
それについては、いろいろな人が様々に解説してくれます。
ここで私も、2つほど見方を挙げておきます。
ひとつ目は「文化の軽視」。
大阪の街を歩いていて「文化」を感じることは少ないですね。
東京に比べて、どこか秩序が崩れた感じが漂っています。
街の清潔さでも、東京よりも数段劣るように思えます。
公衆道徳も、支那や半島並みなんて言いませんが、東京よりも下。
街ゆく女性のファッションも、派手派手しいのですが
洗練された何かが足りないように思えます。
湾岸には新しく整備された、綺麗な街もありますよ。
でもね、東京でやっている都市開発とほとんど同じ。
「大阪らしさ」というものがありません。
京都には京都らしさ、神戸には神戸らしさを感じますが、
大阪らしさというと・・・かなり稀薄な感じがしますね。
大阪人は商売にたけている、と言われています。
損得勘定に敏感です。モノは値切って買います。
しかし、それが行き過ぎると「何でも安ければいい」となります。
その昔、関西からやってきたマンションデベに、
とある広告代理店が制作物の見積もりを出しました。
「なに、パース1点描いて50万かいな?」
「はい、そうです」
「高いなー、大阪やったら50万も出したら畳1枚分くらい描きよるで」
まあ、平均的な大阪人の感覚はこういったものでしょう。
だから、クリエイティブワークを職業とする人々にとっては、
まことに仕事がしにくい土地柄です。
当然、そういった人々はどんどん東京に移ってきます。
大阪市内には大学がほとんどありませんね。
阪大は吹田、大阪外大は箕面、関大は千里、関学は兵庫県の西宮。
大阪都心のムードに、アカデミックな臭いをほとんど感じないのは
大学が少ないからかもしれません。
東京は、山手線の内側に東大、早稲田、慶応、青学、上智・・・・・
大阪人的にいえば
「カネを稼がん大学なんて、市内に要らん」
ということになるのでしょうか?
文化や教養を感じない街は、どこかギスギスした空気を漂わせます。
ただお金だけがたくさん流通することを目的にした街は、
その流れが途絶えた時に、命運も尽きるのではないでしょうか。
大阪は「商売の街」に走りすぎた結果、
忘れていることが多いような気がしますね。
大阪衰退、二つ目の原因は、過去の「解放運動」。
くしくも、橋下新市長は自身が同和地区で育ったことを公言していますね。
彼が、どのような同和政策を取るのか注目したいところです。
ただ、最初に誤解のないようにしたいのは、
私は「同和地区があるから大阪が衰退した」
といいたいのでは絶対にありません。
同和問題について、無駄に、あるいは有害に大騒ぎする
運動や団体の活動が原因で、嫌気がさした人や企業が
どんどん大阪から逃げ出したのが、
大阪衰退の一因ではないか、と考えているのです。
今はそれほどでもないようですが、
かつて大阪の郵便局では、管理職の人々が局内の
トイレの便器の裏まで「差別的な書き込みがないか」
毎日のようにチェックして回ったようです。
もし、それが見つかったら「差別を許容した」ということで
大変な騒ぎが持ち上がったからだそうです。
私の45歳のある知り合いは、中学3年生の時に
大阪から首都圏に転校してきました。
すると、内申書評価ができなくて、
あやうく高校を受験できないところだったそうです。
大阪の中学が出した成績表は「差別はいけない」ということで
「2段階評価」だったからです。
なんか、文化大革命とやらいうキチガイ運動を展開した
どこかの隣国のエピソードみたいでしょ。
こういうことがちょっと前まで当たり前に
行われていた街が、大阪なのです。
もし、私がこういう環境に暮らしていたら
まずは逃げ出すことを考えたと思います。
部落差別というのはあってはならないことです。
でも「それをなくそう」という運動が逆の結果を招きかねない
狂気に満ちた方法で行われていたのです。
そのことは、ほとんどのマスコミで報道されていないので、
あの時代の大阪以外で暮らしていた人々はほぼ知らないはずです。
今の日本社会には、在日韓国人や朝鮮人に対する差別が
覆いがたく存在していると思います。
その原因は、彼らの父祖の一部が60数年前の敗戦直後の混乱期に、
「朝鮮進駐軍」などと名乗り、日本の官憲が手を出せないのを
いいことに、日本の良民たちに暴虐の限りを尽くした記憶が、
我々の中に連綿と受け継がれているからだと、私は考えています。
彼らは彼らで、長年抑圧されてきたうっぷんを晴らす
「解放運動」の気持ちで行っていたのかもしれません。
これなども、日本のマスコミが取り上げたことはほとんどありません。
今までテレビや新聞で「昭和史」などいう企画がいくつもあったのですから、
歴史的事実としてしっかりと国民に真実を知らせるべきだったと思います。
同和問題についても、解放運動の方向が過去に迷走した観が否めません。
今の日本では、制度的な差別というのはほとんどないはずです。
差別があるとすれば、それは人々の心の中です。
人の心というのは、他人が手を突っ込んで操作するわけにはいきません。
ある時代のあるグループの人々は、
それが運動によってできると思っていたのでしょう。
そういった運動は、東京ではほとんど起こらず
大阪でより激しく行われたと、私は理解しています。
それが、多くの人や企業が大阪を離れる
原因になったのではないかと私は考えています。
幸いというべきでしょうか。
大阪人は同和地区で育った橋下氏を市長選で圧勝させました。
前回の知事選挙では、知事に当選させています。
今の大阪人に差別の感情が強ければ、こういった結果にならなかったはず。
解放運動は迷走したけれど、差別解消について一面の結果は出ています。
願うらくは、彼の元で大阪が再び元気な街に生まれ変わって欲しいものです。
ひょっとして
いかにも関西らしい人間関係を重視した仕事の進め方が
東京らしいルールや基準を設けることを重視した仕事の進め方と比べて
時代に合っていたか、そうでなかったか、じゃないでしょうか。
東北本線(宇都宮線)が荒川を渡った後は東京駅どころか上野駅ですら到着するまでしばらく時間を要する。
この感覚で新大阪から東海道線で淀川を渡り(荒川を渡って上野駅に向うかの如く)大阪駅はまだしばらく先だろうと思っていると、すぐ大阪駅に着いてしまう。
これにはいつも感動と言うか「あれっ?」と思わされます。
「そうか。さっき渡ったのは荒川じゃなくて淀川だったんだ。」と思いやっと納得します。
何か車窓から見る荒川と淀川の雰囲気は似ています。
2011/11/29 07:12 | by 政治の季節RSS feed for comments on this post. TrackBack URL