「民主主義」というのは、国家の主権が国民にある、とするのが基本です。
ところが、国民というのは決して賢明ではありません。
みもふたもないことを言ってしまえば、総じてアホでしょう。
騙されやすく、乗せられやすく、些事で大騒ぎして、反省しません。
ですから、「国民の意思」はしばしば間違った選択をします。
非常に分かりやすい例は、3年前の総選挙です。
民主党という、政党の綱領もないフワフワした集団に政権を任せてしまいました。
その結果どうなったのかは、みなさんがご承知の通り。
国民、というものはほっておくとしばしば間違います。
また、説明の付かないほどクレイジーな行動に走ります。
半世紀ほどまえに「アンポー、ハンタイ」と国会を取り囲んだ国民は
実に何十万にも達するのです。
そのアンポ=日米安全保障条約は、結局日本をソ連から守りました。
あれがなければ、その後の日本の運命はどうなっていたことか・・・
誤解のないように書いておきますが、私は諸手を挙げて
日米安全保障条約に賛成しているワケではありません。
これは、言ってみれば今の原発みたいなものです。
多少の危険が伴うけれど、当面の急場を凌ぐためには必要、というもの。
「アンポー、ハンタイ」の当時、世界は冷戦でした。
日本が自由主義陣営にとどまるにはアメリカとの同盟が不可欠。
しかし「アンポー、ハンタイ」運動が成功していれば、
日本はベトナムのように戦争に巻き込まれたり、
70年代のチリみたいに底なしの政情不安に陥る可能性があったのです。
最悪、ソ連の衛星国になって今頃は北方領土ではなく、
北海道の返還運動でもしているかもしれません。
あの時、「アンポー、ハンタイ」と叫んでいた愚かなる人々の大半は、
そういう基本的な現実性さえ理解せずにその後の人生を歩みました。
あまつさえ「あの頃はよかったな」なんて、懐かしんでいたりします。
「君たちは日本に大不幸を呼び寄せる運動をしていたのだよ」と、
教えてくれる人は誰もいなかったのでしょうね。
あまり年金を食わないうちに天国に旅立ってください。
その後の学園闘争の主力になった団塊の世代は最悪ですね。
「22歳の別れ」に謳われているように、長い髪を切って就職。
牙を抜かれたサラリーマンとして不毛の出世競争を争い、
平成初頭のバブルでは社会の主役として世間の隅々において
我がもの顔でブイブイいわしていました。
バブル崩壊後は、頬かむりしてひたすら責任逃れ。
そういう「日和見主義者」のクセして、選挙になると社会党や
その後の社民党などに投票して、あの勘違い政党を延命させました。
戦後の日本社会を軽佻浮薄に導いたガン世代と位置づけていいでしょう。
もちろん100%がそうだとはいいません。
ガン部分はせいぜい30-40%程度かと思いますが、
その前後の世代に比べてかなり質が悪い、というのが私の感想。
さて、現在「原発再稼動、ハンターイ」と叫んでいる人々も、
半世紀前に「アンポー、ハンタイ」とやっていた連中と、
アタマの構造は共通しているのではないかと想像します。
原発というのはフクシマで証明されたように、かなり危険。
その危険な部分だけに光を当てて「これはヤメなきゃ」という衝動で、
現実的なことは何にも考えずにハンタイしているのです。
こちらも誤解のないように言ってくと、
私は無条件に原発を再稼動させよといっているのではありません。
東京電力がイケシャーに「想定外」だなんていったようなおバカな
事態にならない安全性を担保したうえで、再稼動すべきと考えています。
ところが「ハンターイ」の人々は、闇雲に「ハンターイ」です。
かつて「アンポ、ハンタイ」で国会を取り囲んだ何十万人もの
デモ参加者のほとんども、ただ闇雲に「ハンタイ」だったのでしょう。
何十万人もの人間が信念から反対していたのであれば、
ああいった運動が急速にしぼむはずがありませんから。
今回も原発の再稼動が正常化する数年後には、この運動は消えるでしょう。
まことに虚しいエネルギーの浪費だという他ありません。
さて、どうやら8月か9月には総選挙がありそうな気配が濃厚。
小沢の反乱の帰趨次第では7月中にもハプニング解散。
ただ、民主党政権が終わることはいいことです。
近年では社会党の村山政権以来の混乱ぶりを示しましたから。
しかし、虚しいのは日本の「民主主義」の現実です。
われらが選挙で選ぶのは「立法府」の議員たちです。
でも、彼らは本来の使命である「立法」なんて、
ほとんど何にも行っていないのです。
かの立法府=国会で審議され、可決成立して有効になる法律は
その99%が政府提案。つまりは役人どもが作っているのです。
議員たちがやっていることといえば、その法案に賛成か反対の票を投ずるだけ。
せいぜい、アレコレとイチャモンを付けて修正させる程度。
アホみたいでしょ?
だって、日本の国会議員なんて、法案をマトモに作れる人はほとんどいません。
たとえ、その能力があっても、そんなことよりも会合に出たり、
パーティを開いたり、地元のゲートボール大会で挨拶することを
優先しないと、次の選挙で当選できないのです。
アメリカでは下院議員でも政府の予算で20人くらいのスタッフを雇えます。
法曹資格を持つくらいのインテリなスタッフが何人もいることで、
役人に負けないような精緻な法案をどんどん提案できるのです。
まあ、日本で同じ制度を作れといっても無理でしょうが。
10年以上前にできた「政策秘書」なんて制度は、
アメリカのそういったシステムに一歩近づこうとしたのでしょうが、
まったく機能していません。
解散・総選挙の大騒ぎで我々が選ぶ代議士というのは、
せいぜい会合でスピーチができる程度の人々がほとんど。
議員立法を行うほどの能力・意欲のある人はほぼいません。
日本の民主主義が英米に比べて幼稚園レベルに見えてしまうのは、
そういった背景があることも見逃せないのです。
加えて、国民のレベルも嘆かわしいほど。
大学まで出た人が現実を認識できず、「アンポー、ハンタイ」や
「再稼動、ハンターイ」と叫び、自分たちが
「この国の安全を守らなければ」と信じているのですから。
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