本日、敗戦記念日。
あの「容赦なき戦争」で散華した幾百万の方々に、黙祷。
最近、読み終えた本に「きけ わだつみのこえ」というのがあります。
いつかは読まねばならない、と思っていた本でした。
やはり、そこに重たいものを感じ、どことなく「もう少しあとで」と
思い続けているうちに数十年の時を過ごしてしまっていました。
読むまで私は、この本のことを「学生出身の特攻隊員の遺稿集」と、
やや勘違いしていました。
実際は特攻隊に限らず、あらゆる兵科の戦没学生の
様々な遺稿が収められておりました。
感想を一言でいうならば「痛ましい」でしょうか。
何といっても、それらを書かれた人々は、
一人としてあの戦争を生き延びられなかったのですから。
一人ひとりが残した文章を読みながら、
「この方々はみんな亡くなった。何と惜しいことか・・・」
出身校の如何を問わず、それぞれに立派な文章です。
今の感覚では、とても20歳前後の方が書かれたとは思えぬほど、
しっかりした精神と知性を感じさせるものばかり。
そして、それらに共通して感じられるものは「死の影」。
自分は命を落とすかもしれない、否、十中八九は生きて還れない・・・
そういう気持ちが、直接間接に各人の文章に滲んでいます。
日本は、あの戦争で何と多くの有為なる青年たちを失ったのでしょう。
実は、私の叔父も陸軍上等兵としてニューギニアで戦病死。
幹部候補生試験の受験が間に合わず、兵のまま南方へ送られたと聞きました。
もちろん、戦後生まれの私は彼にあったことがありません。
10年ほど前、靖国神社で調べてもらったら、
ちゃんと祀っていただいておりました。感謝!
その叔父さんへの気持ちもあって、機会があれば靖国に参ります。
私の本を2冊出版してくれたWAVE出版が市ヶ谷にあり、
打合せの前後にお参りできたので、都合もよかったですね。
今日もたくさんの方が参っていますね。
私は群集の中に身をおくことが苦手なので、数日後に参るつもりです。
野田君は早くから「参拝しない」と明言していますね。
情けないことです。
それだけでも、総理を辞めてもらう理由になります。
この67年、日本は国を挙げて隠忍自重してきました。
外国、特に周辺の国家に対しては低姿勢に徹してきたといえます。
「謝れ」といわれれば誤り、「金を出せ」といわれれば出しました。
さらに「技術をよこせ」と、いわれれば惜しみなく与えました。
その結果、どうなったでしょう?
半島南半分のダイトーリョーであるアキヒロ君が、また妄言したそうです。
「日王はひざまずいて(土下座して)謝れ」ですって。
先日のブログで書いたとおり、本人もかなり苦境にあるとか。
あの国のダイトーリョーは任期終盤になると、
いつも「反日」で求心力を維持しようとします。
どうしようもない、といえばどうしようもない連中です。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」といったのは
プロシアの鉄血宰相といわれたビスマルク。
日本人もわりあい「歴史好き」が多いようですが、
実は支那や半島では半端ないそうです。
歴史自体が、国のアイデンティティになっているといっていいでしょう。
歴史に対する捉え方がだいぶ違います。
日本では、歴史というと昔話の親戚であり、ドラマの対象。
どちらかというと、自分とはほぼ関係ない「世界」。
でも、彼らは違うのです。
それは明解に彼らの現在につながるものです。
例えば900年も前の南宋時代、国を売った秦檜という人物は
今でも多くの支那人から憎まれ続けています。
浙江省杭州の岳飛廟にある秦檜夫婦の像は、
訪れる支那人たちに棒で頭を叩かれたり、唾をはきかけられているとか。
秦檜の子孫たちは、900年後の今も肩身を狭くして暮らしているそうです。
半島では、自分たちのあまりにも惨めな歴史を
ありのまま受け容れることができないので、
荒唐無稽な「改竄」を平気で行っています。
竹島が自分たちのもの、という国際司法裁判所では絶対に
通じない主張も、そういった「改竄」の一部分でしかありません。
そして、日本統治時代に官側にいた人々の子孫を公職から追い出したり、
現在の資産を取り上げるといった野蛮な法律を平気で作っています。
そういった人々に、いったい何の罪があるというのでしょう?
翻って日本。
日本に敗北をもたらす一因を作ったゾルゲ事件に連座した
朝日新聞記者・尾崎秀美(ほつみ)は、言うなれば「売国奴」。
では、その一族はどうなったでしょう?
日本人は、こういうことは忘れっぽいものですね。
かれの異母弟・尾崎秀樹氏は作家にして文芸評論家。
日本ペンクラブの会長もおつとめになりました。
この方の文章、私はなかなか好きです。
ちょっと話は変わりますが、今読んでいる本は、東條由布子さんの
『祖父東條英機「一切語るなかれ」』。
67年前の8月15日以降、東條の家族たちは当局の逮捕と、
周りからの「白い眼」に脅えて各地を彷徨います。
著者である孫の由布子氏も、幼い時は相当辛い目にあったようです。
しかし、それが何十年も続くことはありませんでした。
今では、東條英機の名誉もある程度は回復しています。
彼の一族に危害を加えようとする日本人など、皆無でしょう。
ちなみに、東條英機氏は刑場の露と消えましたが、
それは「公務死」とされ、靖国神社に祀られています。
支那や半島は、そこに文句をつけているのです。
「死なばみな仏」あるいは「神」となるのが日本。
死者に対して鞭打つことをしないのは、わが国の美風だと思います。
対して、支那も半島も、死者さえ許してくれません。
900年後の子孫も同じ。
ましてや67年前に終った戦争なんて、
彼らにとっては「現役」みたいなものでしょう。
したがって支那や半島の連中に対して、おとなしくしていれば
「和解できる」などというのは幻想に過ぎません。
我々は今後何百年も、決して心から分かり合える友好国にはなれません。
では、どうすればよいのか?
警戒心を緩めずに、是々非々で付き合っていくしかありません。
我らの力が弱まれば、必ず付け込まれて酷いめにあいます。
お金や領土や、あるいは人をむしり取られるのです。
現に今、竹島は不法占拠され、尖閣を狙われ
横田めぐみさんたちは囚われたまま帰ってこられません。
これが67年、隠忍自重してきた結果です。
もし、日米安全保障条約がなければ、
もっと酷いことになっていたでしょう。
毎年、この季節になるとマスコミは戦争を取り上げます。
ほとんどが「過った戦争で多くの人々が犠牲になった」という視点。
違います。
確かに、負けると分かっている戦争を始めたのは、
けっして賢明とはいえないことです。
しかし、もっともいけないのは戦争を始めたことではなく、
「戦争に負けた」という結果です。
たとえ勝てなかったにしろ「負けない」程度であの戦争が終っていれば、
今のように周辺国から罵倒され続けることはなかったでしょう。
反省すべきは「なぜ負けたのか」「どうしたら負けなかった」ということ。
また、「なぜ日本がそこまで追い込まれたか」というのも大切。
だからこそ「歴史に学ぶ」ことが必要です。
8月15日がやってくると「いけない戦争だった」、
「平和を守ろう」「二度とあんなことはやってはダメ」と繰り返すのは、
なんら「歴史に学ばない」おバカなサヨク君たちの発想です。
歴史に学べば「戦争をしないためにはどうすればよいのか」、
「平和を守るためには何が必要か」という現実的な思考が生まれます。
「戦争はダメ」「平和を守ろう」と叫んでいるだけでは、
けっしてそういった願いは実現しません。
「ゲンパツ、ハンターイ」とどれだけのバカどもが叫んだところで
1ワットの電力さえ生み出せないのと同じこと。
8月15日は、「終戦」を記念して犠牲者を弔うのではなく、
「敗戦」を噛み締めて英霊たちに謝意を表する日であるべきです。
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