鹿児島弁を話したい京都人の私

今日の話はマンションとまったく無関係です。
そちらをご期待の向きには、スルーなさってください。

ある時、タクシーに乗っていて運転手さんと世間話をしていました。
その話の内容は忘れたのですが、アクセントが妙に懐かしい。
「運転手さん、ひょっとして京都のご出身ですか?」
そう尋ねると、意外な答えが返ってきました。
「私は島根県の隠岐島出身です」

ほっほうー、という感じでしたね。
「よく言われますね。でも隠岐の島の方言は京都に近いそうなんです」
その昔、後醍醐天皇も一時流されていたという隠岐の島。
京都から罪を得た公家が流されることが多かったそうな。
もちろん、1人で行くわけがなく一族郎党が一緒。
その人々の言葉が広がったのでしょうね。

ある時、仙台に行きました。
スナックとかで飲んでいて、ママに「仙台弁を聞かせてくださいよ」と
お願いしたのですが「仙台の言葉は東京と同じです」といって
まったく話してくれませんでした。
仙台に方言が無いはずはなく、ただ嫌だったのでしょう。

関西や九州の人間以外は、あまり東京で方言を使いたがりません。
標準語で話すのがカッコいい。あるいは方言を使うのがカッコ悪い、
と思っていらっしゃるのでしょうね。ちょっと残念。
実は私、方言を真似するのが大好きです。
まあ、それはいいとして・・・・

隠岐の島の人は時たま流されてくるお公家さんの京言葉を
「カッコイイ」と感じて真似したのでしょう。
それが土着して隠岐の島の言葉はどことなく京都っぽくなった。
どうやらそうらしいのです。

もうひとつ、同じような例が阿波(徳島県)。
四国は土佐(高知県)以外概ね関西弁です。
中でも、阿波の言葉はすごく京都弁に近いのです。
京都人の私にも、ほとんど違和感を抱かせません。
なぜか?

これは多分、戦国時代の三好党の影響だろうと思います。
戦国末期、織田信長が足利義昭を奉じて京の都に入ります。
それまで、京を占領していたのが阿波の三好一族。
彼らはしょっちゅう本国阿波と京を往復していました。
京で住み暮らしていた者も多かったでしょう。

彼らは織田信長によって追い払われました。
その後、本願寺勢などと組んで何度か巻き返しを図りましたが、
結局阿波へ逃げ帰ってしまいます。
その後、土佐の長曽我部に攻めたてられたりして、消えてしまいます。
ただ、彼らが持ち帰った京のアクセントが、その後も残ったのでしょう。
当時、みやこと同じ言葉で話せるのは一種「カッコイイ」感じがしたのも
彼の地に京言葉が残った原因ではないかと思います。

もうひとつ。
私のよき理解者で飲み友達のあるお方は広島の尾道ご出身。
闊達な広島弁を聞かせてくれる、魅力的な人物です。
この方の奥さんは名古屋ご出身。
当然、親同士のコミュニケーションが行われます。

双方の親御さんは、それぞれほとんど出身地から離れたことない方。
素のままの広島弁と名古屋弁が交わされるわけです。
「それでは、会話が成立しないだろう」と誰もが思います。
実際はどうだったか?

意外なことに、いたってコミュニケーションは滑らかだそうです。
彼にいわせれば、広島弁と名古屋弁は似ているのだそうです。
「本当ですか?」の世界ですよね。
特に違和感がないのはアクセントだそうです。
意外でした。私らアウトサイダーからは全然違うように聞こえますが。

以下は、私の勝手な想像です。
ご存じの通り、安芸広島は関ヶ原の戦いまで毛利家の本拠でした。
戦のあと、毛利家は防長二州に押し込められました。
代わりに広島に入ったのは、福島正則。
この人は豊臣秀吉の正妻寧々の親戚筋だと言われています。
つまり、尾張名古屋近辺のご出身。
広島に引きつれた大勢の家来も尾張出身者が多かったでしょうね。

広島の「福島時代」は短期間で終了します。
その後、改易になった福島家に代わって広島に入ったのは浅野家。
そのまま明治まで続きます。
忠臣蔵で出てくる播州浅野家の本家です。
この浅野家の元は、秀吉の正妻寧々の実家。もちろん尾張出身。
つまり、浅野家の家中も尾張出身者が多かったはず。
改易になった福島家の家来にも、広島に土着する者がいたはず。
当時の侍たちは支配階級ですか、下々はそのアクセントを
真似たとしても不思議ではありませんね。
だから、広島弁と名古屋弁は似ている・・・という仮説が成り立つのです。

私は「あまちゃん」を見ていませんでした。
あれだけ評判になっていましたからね。少々残念。
でも、東北弁が使われていたのでしょう。
実は私、東北弁が大好きです。
少々インチキながら、真似ることができます。

とおおぐのことばあ、あっだけえがら、オラずきだ。
東北の言葉はあったかいから俺は好きだ、と言っているつもり(笑)。
まあ、こんな具合です。
井上ひさしの「吉里吉里人」を読むと、使えるようになります。

今後、ぜひ覚えてみたいのが名古屋弁、土佐弁、鹿児島弁です。
鹿児島には近しい親せきがいて何度も訪問しているのですが、
まったく上手になりません。ほとんど外国。
老人同士の会話なんてまるでチンプンカンプン。
まだ英語を聞いていた方が分かるくらい(笑)。
しかし、まだあきらめていません。
残り少なくなった人生の中で、何とか鹿児島弁をモノにしたいものです。

夕刊フジの公式サイト zakzak
に榊淳司の連載コーナーが設置されています。
どうぞ、みなさん寄って行ってください。


2013/10/9 14:04 Comments (0)

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