昨日は恒例の「バリ島不動産投資セミナー」を開催。
終わった後で参加者さん&スタッフの懇親会。
いやはや、盛り上がりましたよ。
二次会は湾岸のおしゃれなバーで0330まで。
久しぶりにやってしまいました。
それでも午前中にやらねばならないことがあるので、昼前に起床。
自宅で作業していたら、携帯電話がピロピロピー。知らない番号。
出ると「榊さんでしょうか? 私週刊〇〇の〇〇というものです」。
「はい榊です。お世話になっています」 いつもと違う記者さん。
「・・・・についてお話をお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか? はい、ありがとうございます。実は締切が今日でして、このお電話で取材させていただいてもよろしいですか?」
頭はボっとしているけど、いつもの話をするだけだし。
ちゃんと掲載誌は送ってくれるのかしら?
ついさっきも某出版社の訪問を受けてマンションのことを喋り続け。
だから、今日の更新は遠慮なく脱線させていただきますね。
今日の話題は、宗教。
今、例のイスラム国の人質問題がいつの時間もトップニュースですね。
ただ、私はほとんどニュースを見ていません。ネットでもチェックしません。
表面的に何があったかくらいしか興味がないのです。
まあ、ああいう危険なところをウロウロしていれば、
こわーいムスリム君たちに何をされるか分からないのに、
ノコノコ出かけて行った方にも大きな自己責任があるんじゃないかな、
くらいには考えていますが。
日本人は、イスラム教というものをほぼ理解していません。
ラマダーン(断食)とか、豚肉やお酒が禁忌、一日5回の礼拝・・・
といった、彼らの表面的な習慣や行動については知っていますね。
でも、イスラム教って何? という本質的なことには答えられません。
実は、私も表面的なことしか知りません。
物知り顔で高説を垂れる知識や見解も持ち合わせていません。
しかし、ただひとつのことだけは強烈に理解しています。
「イスラム教徒は異教徒を殺すことに躊躇しない」
それは、彼らにとって「殺人」ではないのです。
もう少し踏み込んでいうと「一神教」の熱心な教徒はみな同じ。
「異教徒は殺してもいい」のです。動物を殺してもいい感覚。
これって、日本人にはほぼ理解できません。
なぜなら、日本人の宗教観は一神教からは程遠いからです。
一神教というのは、ただ一つの神様を信じる宗教です。
世界には主に3つ。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教。
この3つの宗教が同根であることは、ご存じの通り。
私から見れば、イスラム教とユダヤ教はよく似ています。
我が日本仏教の中の禅宗と浄土真宗の違いよりも
近しい関係にあるのではないかと思えるほど。
キリスト教はちょっと変質して、一神教における創価学会でしょうか。
まあ、一神教はすべて「異教徒排斥」という価値観では同じです。
「神様は唯一絶対であるから他の信仰はすべて邪教(悪魔)」なのです。
「イスラム教はそもそもキリスト教徒に寛容であった」なんて
よくモノの本には書いてありますが、私はそうは思いません。
中世のイスラム国家に暮らすキリスト教徒は、人頭税を払えば
啓典の民として居住も商売も許された・・・なんて。
それって、殺されないだけのことでかなりの差別じゃないですか。
キリスト教エリアでも、異端狩りやユダヤ人迫害がありました。
ユダヤ人はいつも被害者、みたいな教え方をする教師もいますが、
イスラエル建国以来彼らに殺されたパレスチナ人その他は、
ヒットラーが殺したユダヤ人の数を上回るはずです。
一神教の人々は、そういった大量殺人を「ありえること」という感覚。
日本人にとっては、そこが理解できません。私もそのひとり。
日本の歴史の中で、宗教戦争の臭いがするのは2つ。
ひとつは戦国末期の一向宗(今の浄土真宗)や日蓮宗の一揆。
そして、江戸時代初期に起こった島原の乱。
しかし、この2つもと異教徒に対する戦いというよりも、
支配者の悪政と苛斂誅求に対する武力闘争の思想基盤を、
一向宗やキリスト教が提供しているような面があります。
宗教が戦争や殺戮の原因、とまで言い切れるかどうか疑問。
島原の乱に対する江戸幕府の仕置きは、ちょっと宗教戦争的です。
それは、あのエリアの百姓を一人残さず殺すという過酷なもの。
キリスト教という宗教を、江戸幕府は怖れたのです。
しかし、それも「外国がキリスト教で日本を侵略する」という、
実に世俗的な恐怖感をベースにしたものです。
徳川幕府に、キリスト教に対抗する強烈な宗教観があったとは思えません。
実は、日本も国を挙げて宗教運動をした歴史があります。
まず、奈良時代まであたりの天皇と貴族たちの仏教振興。
これは平安初期あたりまで、その余韻を残します。
しかし、仏教は平安中期にはかなり学問的フィールドが広くなります。
つまり、信仰の部分と教養の部分が同じくらいになってしまったのです。
次は、明治時代の廃仏毀釈。政府が神仏分離令を出したことで、
神官や一般民衆が仏教寺院に対して破壊活動を行いました。
そして、政府は天皇制の思想的基盤として神道を国家宗教に。
でもまあ、日本人にとっては「神様仏様」以上でも以下でもなし。
最近はこれに「キリスト様」を付け加えますね(笑)。
日本人にも微かに宗教観があるとすれば、それはこの仏教と神道。
この両方とも一神教ではないし、異教徒に対して攻撃的ではありません。
仏教はそもそも宗教なのか、とさえ私は思います。
あれはただブッダ(釈迦)の生き方や言葉に感銘した弟子たちが、
仏滅(ブッダの死)後に、自分たちの存在を権威づけるために
勝手に宗教化させて教団を作り、布教を行っただけではないですか?
そもそもブッダは「この世の中は何なのか」という、
至極ギリシャ哲学的な悩みを持って彷徨い、
様々な過程を経た後に、菩提樹の下で瞑想して「悟り」を開いたのです。
つまり、ブッダ的に「この世とは何なのか」という答えを出したワケです。
ところが、そんなものは言葉を使ってスラスラと3分くらいで
説明できる内容ではなかったのでしょう。
このあたり、わりあいハッキリと意味のあることを喋り続けた
イエス・キリストとはかなりの違いがあります。
仏滅後、弟子たちがブッダの言葉をまとめた経典を作りました。
大乗仏教では般若経、維摩経、涅槃経、華厳経、法華三部経、浄土三部経、金剛頂経など。
当たり前の話ですが、ブッダの言葉ですから、
元はサンスクリット語。梵語、なんて言い方もします。
分かりやすく言えば「古代インド語」でしょうか。
みなさんは西遊記をご存じですね。孫悟空や猪八戒が出てくるアレ。
昔の中国では三蔵玄奘みたいに熱心な坊さんが、わざわざインドまで
そのサンスクリット語で書かれた経典を取りに行ったのです。
そして、それを持ち帰って自国の言葉に訳しました。
それが、みなさんが「お経」と呼んでいるシロモノ。
「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華教」あるいは「般若波羅蜜多」。
これってみな、唐や隋の時代に梵語から訳された「漢文」です。
日本人は古来から「読み下し」という術を編み出して、
漢文を文章上で「同時翻訳」してきました。
国破在山河を「国破れて山河あり」と読む、いわゆる「漢文」。
そのやり方で般若心経の出だしのところを読み下すと、
以下のようになります。
観自在菩薩(カンジザイボサツ) 深般若波羅蜜多(ジンハンニャハラミッタ)ヲ行(ギョウ)ゼシ時(トキ)、五蘊(ゴウン)皆(ミナ)空(クウ)ト照見(ショウケン)シ、一切(イッサイ)ノ苦厄(クヤク)ヲ度(ド)ス。舎利子(シャリシ)色(シキ)ハ空(クウ)ニ異(コト)ナラズ、空(クウ)ハ色(シキ)ニ異(コト)ナラズ。色(シキ)ハ即(スナワ)チ是(コ)レ空(クウ)、空(クウ)ハ即(スナワ)チ是(コ)レ色(シキ)。受(ジュ)、想(ソウ)、行(ギョウ)、識(シキ) 亦復(モマタ) 是(カ)クノ如(ゴト)シ。
日本人は、この「釈迦の言葉を死後に弟子が梵語でまとめたモノの古代漢文訳」である「お経」というものを、仏前で生臭な坊主に現代日本語の音読みで適当に調子を付けて音読してもらって、「これで〇〇さんも成仏できた」と喜んでいるのです。
とってもアホらしーい、でしょ?
では、もうひとつの「神道」とは何でしょう?
実は、神道には「教義」らしきものなどありません。
人間に対して「どう生きろ」「・・をしてはいけない」という
道徳的にエラそうなことを何も求めていないのが神道。
何かを求めているとすれば「清潔であれ(穢れるな)」と
「五穀豊穣を私に祈りなさい」くらいでしょうか。
でもそれは、日本の神官のトップである天皇陛下が、
日々の祭祀として皇居内で行ってくださっています。
私たちは、たまに神社に行ってチャリンチャリンして手を叩くだけでOK。
それで、瑞穂の国の日本は十分に平和かつ豊かでいられます。
こんなお目出度い日本人が、「異教徒は殺してもいい」という
揺るぎなき価値観を持つイスラム教徒なんて、理解できるはずも無し。
もちろん、キリスト教やユダヤ教の根本のところも、
よほどに腰を据えて学ばないと分かりません。異教徒だから。
以上、本日の脱線終わり。
世俗の話をいたします。
レポートの更新情報です。
品川区と目黒区のレポートを更新しました。
品川区には大規模マンションが2物件も出てきました。
駅徒歩1分の「(仮称)目黒駅前タワープロジェクト」は坪単価600万円?
一方、目黒という名を冠しながら「不動前」が最寄りの
「(仮称)目黒大規模タワープロジェクト」。流石は住友不動産。
しかも、この2物件共にアドレスは品川区内です。
■大崎ウエストシティタワーズ、■クレヴィアタワー池田山、■(仮称)目黒大規模タワープロジェクト、■クレストタワー品川シーサイド、■ブランズシティ品川勝島、■オーベルグランディオ品川勝島、■イニシア大井町、■プレシス大井町、■ブランズ東品川、■クレストフォルム南大井、■ザ・プレミアスカイ品川中延、■クレストラフィーネ旗の台、■オーベル戸越公園、■ (仮称)品川ベイサイド大規模プロジェクト、■オープンレジデンシア高輪台、■クレストフォルム大井町サウステラス、■プレミスト北品川、■ (仮称)目黒駅前タワープロジェクト、以上、18物件
一方、目黒区では「パークナード目黒 カレン」がやや注目。
目黒川を挟んで向かいは雅叙園です。
それがどう響くか?
■オープンレジデンシア目黒青葉台テラス、■Brillia(ブリリア)学芸大学、■リビオ目黒 ザ・プレイス、■パークナード目黒 カレン、■ザ・パークハウス 目黒三丁目、■ディアナコート学芸大学レジデンス、■シティハウス目黒学芸大学、■ローレルコート八雲、以上の8物件を収録。
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まろたんさん、こんばんは。
深夜にブログ更新してしまいました。
またしても脱線(笑)。
「マンション」というテーマは私には狭すぎます・・・なんて、増長。
昭和30年代で高校生ですか。
私は昭和37年の生まれです。
「南無」は、私の感覚では「頼むよ!」という叫び。
ま、しかし、宗教はすべてインチキです。楽しいけど。
人間は結局弱いので「南無」と言える相手を求めます。
私のように「死ぬ時が来たらあっさり死のう。人間、命以上に無くすものはない」
なんて開き直っているフリをしている者には惰弱な駆け込み寺。
一期は夢よ、ただ狂へ。
ちと酔っ払っています。
ではおやすみなさい。ごきげんよう。 榊淳司
2015/01/30 00:52 | by Sakaki Atsushi榊さま。
> 湾岸のおしゃれなバーで0330。
昨夜は、
セミナー打ち上げで落花狼藉、大暴れされたと。(笑)
で、今朝は沈没とか。うらやましいことですわ。
でも、たまにはフルパワーで「限界に挑戦」しないと、
ニンゲンもサビますからね。
「南無妙法蓮華経」
と、
高校の授業中、或る中年の男性教師は、黒板に白墨で大きく書いた。
で、彼は、じっくりと語り始めた。
「南無」とは「帰依」するの意味である。
「法華経」とは「仏様の教え」を言う。
「妙」は、単なる「韻あわせ」、つまり「ゴロ合わせ」で、
意味はない。
と言い終わり、満足げに、われわれ生徒を見回したのです。
で、われわれは「ぼう~つ」としたツラでいたように、
記憶しています。
「はあ~それが」ちゅーような感じで。(笑)
昭和三〇年代の半ば。
当時の公立高校には、今、思い返せば、
けっこうオモロイ教師が、チラホラとおりましたわ。
ユニークと言うか、唯我独尊「我が道をゆく」みたいな。
安月給でね。(笑)
時代は、もう受験競争に突入してはいましたが、
まだまだ、それなりに「おおらかさ」が漂っていましたね。
「昭和」ですよ。よき時代。
今やわが思い出の、ふか~いところに、沈んでおりますが。
さて。
日本人にとって「宗教」は、けっこう「ご都合主義」です。
「困ったときの神頼み」とばかり。
「家内安全・合格祈願」なんてね。
「七五三」は神社御参り。
「結婚式」はキリスト仕立て。
オトコの「厄除け」は高幡不動尊で、イッパツお祓い。
「お正月」は、これまた神社仏閣へ、ゾロゾロと。
ええ加減に、せんかい!
な~んて言う、野暮テンはおりません。
なんなんでせうか?(笑)
ごきげんよう。
2015/01/28 21:36 | by まろたんRSS feed for comments on this post.