私のまわりでも、結婚しない人は結構います。
結婚しても、離婚した人が多いですね。
私は50を過ぎていますが、40歳前後で未婚の方も
男女ともゴロゴロいます。もちろん50過ぎでもたくさん。
私の子供の頃は、結婚しないで30歳になるのは人生の敗北みたいなもの。
そういう価値観を親から伝えられたような気がします。
ただ、父親は28歳の時に軍属で出征したので、初婚は30過ぎでした。
母親も「行き遅れ」て、30歳で結婚したそうです。
まあ、あの年代ではかなり遅い方ですね。
今は30歳で結婚していないなんて、当たり前。
ところが、これは東京に住んでいる私たちの感覚です。
先日、千葉県成田市の周辺で、偏差値40の高校をご卒業になった方が
セミナーにご参加いただき、いろいろとお話を伺いました。
その方は、その高校からビヨーンと飛躍して日東駒専をご卒業。
今でも高校の同級生とつるんで遊んでおられるそうですが、
住んでいるところも仕事もカテゴリーが異なるとか。
つまり、高校時代の仲間は「マイルドヤンキー」なんですって。
成田あたりのマイルドヤンキー話がやけに新鮮でした。
彼らは千葉ニュータウンに住まいを買うと「スゴイ!」となるそうです。
「あんな高いところに、よく買えたねえ」という感覚。
千葉ニューで買えれば、もう鼻高々だとか。
しらなかった。千葉ニューはマイルドヤンキーのステイタスだったのです。
そこで、私は自分の意識の中であるところがガラガラ崩れるのを感じました。
千葉ニュータウンは、榊理論では圧倒的に「買ってはいけない」街。
「ニュータウン」という東京勤務者の「ベッドタウン」ニーズは
今後の人口減少で限りなく萎んでいき、やがて空洞化。
空家だらけになって、そのうちゴーストタウン、そして廃墟化。
これが、今まで私が想定してきたニュータウンの行く末。
しかし、この話を聞くと「ちょっと待てよ」となります。
多摩ニュータウンや千里ニュータウンは、割合都心の近く。
東京や大阪に無縁で暮らす遠隔郊外とは接していません。
ところが、千葉ニュータウンや港北ニュータウン、
あるいは西神ニュータウンはマイルドヤンキーエリアである
遠隔郊外以遠に近しい場所に立地しています。
分かりやすく言うと、東京なら16号線の外側です。
確かに、成田周辺にたむろするマイルドヤンキーは、
千葉ニュータウンに住んでも十分にテリトリーの範囲です。
マイルドヤンキーはたいてい車かバイクで移動しますから、
千葉ニューと成田の距離だと日常生活圏内になります。
おお、ここで大発見。
私はいつもバカにしている「固定観念の囚人」でした。
千葉ニュータウンは東京通勤者が見捨てた後はゴースト化すると思ったら、
実はその背後に広がる広大な遠隔郊外のマイルドヤンキーという
新たな需要層に見いだされる未来が待っていたのです。
港北ニュータウンや西神ニュータウンも同じ条件ですね。
考えてみれば、これらのニュータウンにはマイルドヤンキーが
喜びそうな装置がたくさん揃っていますね。
2000円未満のコストで食事ができて、何時間でも過ごせる
巨大なショッピングモールなんて、その典型ではないですか。
ニュータウンの未来は、マイルドヤンキーのたまり場?
ただし、そのためにはマイルドヤンキーの収入に見合ったところまで
価格が下落する必要があります。
私のイメージでは、マイルドヤンキーの年収は上限が500万円。
平均で300万円未満ではないでしょうか。
彼らに買える住宅の価格は、無理しないレベルで1千万円前後。
これでは新築は完全に無理。でも中古ならあります。
現状、1000万円未満の中古マンションは、千葉ニュー周辺ならボチボチ。
今後、増えていくでしょうから、きっとマイルドヤンキー化。
20年後、千葉ニュータウンは実質「千葉マイルドヤンキータウン」に。
その頃、私は多分現役を引退していますから、あまり面白がれませんが。
私も前述の彼のように、回りがほとんど大学進学しない高校の出身。
考えてみれば、私の世代は全体の3割程度しか大学へ行きませんでした。
東京に住んでいると感じませんが、同世代の主流派はマイルドヤンキー。
私が自嘲する「私立文系の海」も、所詮は「井の中」の井のひとつ。
我らは人数的に少数派で、マイルドヤンキーが多数派だったのです。
いつも自慢気に書いている通り、このブログの読者さんたちは
知的水準も収入の水準もかなりのレベルにある方々です。
だから、私はマイルドヤンキーの住宅購買行動についてほぼノーマーク。
彼らのニーズが千葉ニュータウンに迫っていようとは・・・
反省しました。
さて、レポートの更新情報です。
港区関連の5タイトルを更新。
このエリア、再び供給過疎状態に陥っていますね。
だからって、あるものから選ぶと失敗しますよ。
■フォレセーヌ赤坂檜坂、■パークコート赤坂桜坂、■(仮称)赤坂九丁目タワープロジェクト、■ジオ赤坂丹後町、■アークヒルズ仙石山レジデンス、■エクセレントシティ白金高輪、■グランドメゾン白金レジデンス、■シティタワー麻布十番、■シティハウス南麻布一丁目、■麻布台パークハウス、■ザ・パークハウス 西麻布霞町、■東京ベイシティタワー、■クレストプライムタワー芝、■インプレストタワー芝浦エアレジデンス、■クラッシィハウス芝浦、■ベイクレストタワー、■ハーバーテラス品川、■ルフォンリブレ浜松町 キャナルマークス、■エステムプラザ芝公園
■東京ベイシティタワー、■クレストプライムタワー芝、■インプレストタワー芝浦 エアレジデンス、■クラッシィハウス芝浦、■ベイクレストタワー、■ハーバーテラス品川、■ルフォンリブレ浜松町 キャナルマークス、■エステムプラザ芝公園
■シティタワー麻布十番,■ザ・パークハウス 西麻布霞町,■シティハウス南麻布一丁目,■麻布台パークハウス
■フォレセーヌ赤坂檜坂、■パークコート赤坂桜坂、■(仮称)赤坂九丁目タワープロジェクト、■ジオ赤坂丹後町
■エクセレントシティ白金高輪、■グランドメゾン白金レジデンス、■ザ・レジデンス三田
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スノーサーフさん、こんばんは。
マイルドヤンキー話はとても新鮮でした。
ぜひぜひ、続きをお聞かせください。
私たち東京在住者は、それが当たり前。
どこか郊外や田舎在住の方々を蔑んでいます。
実際、マイルドヤンキーがのほほんと生きていける日本って、
かなりいい国のような気がします。
アメリカにも、生まれた街を出ていかない人はいるのでしょうね。
でないと、アメリカも消える街だらけになるはず。
日本のマイルドヤンキーはあまりドラマや映画の主役になりませんが、
アメリカの田舎の町は時々映画で見ますね。
しかし、人数的に主役なのは東京人ではなく彼等。
今後、彼等の存在も十分頭に入れる必要があると感じます。
私のまわりにはほとんどいませんが。
またお会いできることを楽しみにしています。
榊淳司
2015/04/16 21:58 | by Sakaki Atsushi榊様
こんにちは。
自分発信の情報が、榊様に新鮮に映ったのであれば
こちらとしても、とても嬉しいです。
次回、懇親会に参加した際はリゾートの二極化のお話しますかね。
リゾートマンションのヒントになるかもしれません。
千葉ニューは、北千葉道路が空港まで繋がれば、更に受皿になるかと。
ずっと計画中のままですが・・・
マイルドヤンキーと言っても、多種多様。
ジャージにビトン持ってるのばかりでは無く、見た目普通の人が大半。
ヤンキーのイメージとは程遠い人種です。
自分たちがマイルドヤンキーと呼ばれてるとも思ってないです。
そもそも、都心の蛙が、生態が不明な若者に対し付けた物ですし・・・。
東京に興味が向かない事が理解できないからニュースで特集するのでしょう。
以前、千葉ニューの良さを力説された事があります。
コストコ→IKEA→巨大ホームセンタ→映画館
一日で全部回れるんだ。全部車で5分圏内、便利だろ!!
最後は家族でファミレスに寄って帰るそうです。
これを羨ましいと思った私も、きっとマイルドヤンキーなのでしょう。
ではでは。
まろたんさん、こんばんは。
まろたんさんのお父上は海兵ですか。優秀!
我実家は京大エリアの古本屋。
何とか糊口をしのいでいましたが、
親父は株式投資が上手でした。
まあ、あの時代はだいたい儲かったみたいですが。
そうですね。
時代の子ですね。爆走しましょう(笑)。
私もあと12,3年は現役をするつもり。
3年後は何をやっているか分りませんが(笑)。
まあ、悪知恵を考えては試しています。
私の人生は悪知恵を出してはトライの連続。
まあ、まだまだやりますわ。
さて、お神酒をいただいて新しい悪知恵を考えます。
おっと・・・送ってもらった本が面白い!
私は常に「死とは何か」を考えているので、実に興味深い。
それにしても五木氏は息の長い物書きですね。
私は小学生の頃に「青春の門」などを詠み尽しました。
ではまた、ごきげんよう。 榊淳司
2015/04/15 22:06 | by Sakaki Atsushi榊さま。
> マイルド・ヤンキー
ですか。
なんとなく今風で、いい感じですね。
ナナハンに跨がって、ただただ、真っすぐ伸びる道路を、
今このとき、21世紀の風を、全身に受けながら爆走。
が、あくまでも、気持ちよく、マイルドにね。
こんなんも、ありかな、と思うときがありますね。
「愉快」じゃ、有馬温泉。
ビンボウだけど「ビンボウ臭く」ない。
ただただ「格差」の念仏を唱えている人たちよりも、
・・・でしょうか。
畢竟、ニンゲンは「時代の子」なんですよ。
榊さまの父上は「軍属」でしたか。
我が父・ヨシオは「帝国海軍・軍人」でした。
徴兵ではなく「志願」、バリバリの筋金入りの軍人。
敗戦時は「中尉」いわゆる「ポツダム中尉」でした。
戦後は本屋の店主。
ショボい本屋でしたから、家族5人の糊口をしのぐため、
空いていた土地にアパートを建て、二足のわらじ。
カネはなかったけど、多少の土地持ちでしたから、
なんとか「飢え死に」だけは、マノガレましたわ。
ま、昭和の「マイルド・ヤンキー」でしたか。(笑)
さまざまな事があって、今がある。
ひとは「時代の子」です。
ではでは、21世紀を爆走しましょうや。
もう少し、もう少しだけ。
イージーライダーのように。
ごきげんよう。
2015/04/15 21:43 | by まろたんRSS feed for comments on this post.