私の口癖は「どーでもいい」と「めんどくさい」です。
とんでもないものぐさ野郎ですよね。
だから、いつも自制しています。
物事は極力合理的に理解し、行動する。
でないと、仕事まで「どーでもいい」になります(笑)。
素直に「どーでもいい」という価値観で生きていると
世の中の大半の事象は私の認知圏外ということになります。
例えば、私は20代の後半から四半世紀ほど、
テレビは年に数時間しか見ませんでした。
おかげで世間に疎くなりましたね。タレントの顔が全然わからない。
その間、私は広告屋でしたからやや支障がありました。
最近、テレビをよく見ます。半年に1本くらいはドラマも見ます。
映画もテレビで見るようになりました。金曜ロードショー。
やっぱり、たまにはテレビのCFも見るべきですね。
世の中、何がどうなっているのか少しは分ります。
日曜日に家にいれば必ず見るのは「笑点」。笑えます。
厚切りジェイソンの存在も笑点で知りました。
私も叫びたい。「ホワイジャパニーズピープル!」。
キクオウさんや昇太さん、小遊佐さんのファンになりました。
私はネットで仕事をしていますから、毎日数時間はネットを見ます。
といって、見るのはほとんどニュースサイトです。
自分でブログを書いていますが、他人のは見ません。
経験上、毎日チェックするほどの他人のブログはないと考えていますから。
私はものすごーく自惚れた人間なので
「俺より賢い奴はめったにいない」というおめでたい虚構を
信じ切って50有余年を生きてきました。
今まで、愕然とするほどその虚構は打ち破られた経験がありません。
したがって、ほとんどの他人は「どーでもいい」存在です。
その生き方が多くの人には「アイツはエラそうだ」と映るようです。
死んだ親にはさんざん言われました。「お前はエラそうや」。
確かに。だって「僕はいちばんエライ」と思っていますから。
それを全く表に出さないとすれば、私は完全な腹黒人間になります。
私は正直なので、それが幾分か外に出てしまうのでしょう(笑)。
腹黒、というのは私の性にあいませんから。
実際のところ、客観的に考えて私は偉くありません。
ただ世の中の端っこで好きな事をほざいているだけの存在です。
また世の中に対して全く影響力を持っていません。
ただ、生きていければいいと思いながら日々を過ごしています。
いまさら世に出ていこうという気もありません。
ところが、私の得意技は人に妬まれることです。
どうしてなのか、よく分りませんでした。かなり有難迷惑な話です。
お金をたくさん儲けているわけではないし、
女性にモテモテなわけでもないし、
人もうらやむ学歴や経歴があるわけでもありません。
普通の人の範囲内で生息しているつもりです。
まあ、各方面に不足を感じることは少ないのですが。
ただひとつ、私が人に妬まれるとすれば、それは「自由」。
「千原君(本名)は飄々としているな」
これは若い時からよくいわれたこと。
サラリーマン時代から、親分はいません。もちません。
学生の時も、付き合いは広くてもどこか一匹狼。
他人に頼るということがどうも苦手。
自分の会社を作ってからは、得意先は「焼き畑農業」。
数年ごとに「第一の得意先」が変わる会社でした。
俗に言う「・・タマを握る」という食い込みをしません。
単に、私は誰かの言いなりになる存在でありたくないから。
無意識の内に、奴隷になることを避けていたのです。
こんな感じで自分のことを無邪気に「エラい」と思いこみながら、
それにさして支障のない人生を送っている自分は
かなり「自由」であると思います。
そういうところが、多くに人に妬まれるのでしょう。
みな、何かの奴隷になっていますから。
日本の社会はかなりの面で公平かつ平等です。
それこそ、世界で最も成功した「社会主義国」だと思います。
だって、「飢えて死ぬ」ということが制度的にありえません。
誰もが「文化的な生活」を送ることが保障されています。
収入がなくなったら、躊躇なく生活保護を申請すればいいのです。
しかし、多くの人は多少たりともマシな生活を送るために
自分の持てるモノの何かを犠牲にしています。
場合によっては、最も大切な「精神的自由」までをも差し出します。
親分である上司にゴマを擦りまくっているサラリーマンがその典型。
自身の尊厳を犠牲にして、社会的な地位や収入を求めています。
そういうお方は、大半が貧相なお顔を首の上に乗せて歩いていますね。
まあ、なんとも哀れです。多少は同情します。
私は、常に親に感謝をしています。
「自由」であることの尊さを身を持って教えてくれました。
くだらない奴に頭を下げることも方便である、なんてとんでもない。
そんなことをしていたら、人間はどんどん卑屈になります。
そのうち、それが顔に出てきますね。ああ、嫌だ。
ただ、自由であることは大変です。
人間、奴隷になった方が楽なところもあります。
しかし、私はたとえ苦難の道であっても「自由」が大好きです。
そして、私は今まで自由に生きてきたつもりです。
それがまた、他人のやっかみを買うのでしょうね(笑)。
最近、ものすごく身近な人間からやっかみを買って
つくづくこの世の中は「めんどくさい」と思っています。
精神的自由に経済的自由、そして肉体的自由。
最後のは最近ちょっと怪しくなりかけている今日この頃。
最近、もっとも活発なのは「言論の自由」でしょうか。
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まろたんさん
せっかくご紹介いただいたのに残念ですが。
昨日の記事だけ読みました。
そうですか、団塊・・・
しかし、そういう生き方は大好きです。
私もツルムの大嫌い。
人付き合いはいい方ですけどね。
ツルムのも群れるのも性に合いません。
「君子は周して比せず」
美味しいお神酒を召し上がってください。
私はもう少し仕事をします。
ごきげんよう 榊淳司
2015/10/13 18:02 | by Sakaki Atsushi榊さま。
> もう、行かないでしょう、と。
そうですよね。
ま、当世の世捨て人ですから。彼は。(笑)
団塊。だそうです。脱サラ・35年。だそうです。
何かを捨てなければ「自由」は手に入れられない。
彼は「世捨て」。
「俗世」を捨てた。カネ・出世・虚栄などの「俗世」を。
現代の「隠遁」のひとつのかたち、でしょうか?
戦後の日本人の精神に対する「反語」でしょうか?
ま、評論家に止まることを良しとせず「実行者」であります。
万の「能書き」よりは、ひとつの「実行」。
我が身ひとり。自分が動く。と、世界が動く。
現代の日本人に、そう多くはいないでしょう。
なんせ、ツルムことの大好きなニッポン人ですから。
ハラの中では「蹴り合い」しつつも。(笑)
「自業自得」
「泣き言ぬかすな」
以上が、今の私の座右の銘。戦陣訓。ですわ。
「自業自得」の時代が来ましたよ。
すべての日本人が「望んだ」。因果応報。
「命乞い」をしたって。何をいまさら。
ナントカの「成れの果て」。
末世を毒づきながらいただくお神酒の、
なんと美味でありますことか。(笑)
ごきげんよう。
2015/10/13 17:29 | by まろたんまろたんさん、こんにちは。
見に行きました。「食うために生きる」。
まあ、もう行かないでしょう(笑)。
私って、特定の誰かに関心を持つことができない性分みたいですね。
タレントや作家さんでも、好き嫌いはあってものめりこまない。
適当に距離を置いて眺めたり読んだりします。
だいたいは読んだ司馬さんだって、小学校時代から
30過ぎまでかかりました。
F・フォーサイスは数が少ないので訳されたものはみんな読みましたね。
あと、ホーンブローワーシリーズとか。
塩野七生は、最近の巻が欠けています。
ローマ人はもう一度読みたいですね。
ブログとかになると、たまに見るのが2か所。
そのうちの1か所は、もう1年ほど見てない気がします。
「どーでもええこと」の線引きがかなり広いのです。
そもそも、ものぐさなのでしょうね。
裕福に生まれれば、今頃は働いていないかもしれません。
本を読んで、読んで、たまに書いて、
そこらの三流学者になっていたかもしれません。
まあ、今と大して変わりませんか(笑)。
他人に関心がない、というのはエラそうだと思います。
私の事務所にはしょっちゅう人が来ますが、
私から誰かの事務所に行くことはほとんどありません。
来てくれる分にはウエルカムなのですが、出かけるのはものぐさ。
というか、関心のある他人がいない。
自分でセミナーを開きますが、他人のセミナーなんて
数年に一度も行きません。それも、半ば義務的なやつだけ。
ごくたまに他人のセミナーを聞くと、うまい人はうまいですね。
下手な人は超下手。格差激しすぎ。
でも、結局のところ他人に勧めるほど素晴らしセミナーの経験は無し。
自分で選んだ本を読んでいる方がいいような気がしました。
こういうのは、一種の欠陥なのでしょうね。
サラリーマンの経験が薄いのも、他人への無関心に関係あるかもしれません。
常に周りを見張り、危険をいち早く察知する必要がないので。
それでまあ、アホどもに関わられる余計なゴタゴタはありましたが。
しかし、無関心は治りませんね。
私に対しても含めて、いろいろ面白がれるまろたんさんが、
ある意味うらやましくもあります。
とりとめもないことを書いてしまいました。
ではまた ごきげんよう 榊淳司
2015/10/13 13:33 | by Sakaki Atsushi榊さま。
> 尊きもの。自由なり。
そう。イグザクトリー。
が、まぼろしの六〇年代。
寺山修司は、かく語りき。
> ああ自由だ。助けてくれー!
濃い男だった。ふうっと見た横顔。
わかるかなあ。
過去に未来にも、あんな男はいない。
そうここで、ブレヒト風に言おうか。
> 寺山修司を求める世界は、さびしいが。
> 寺山修司のいない世界は、もっとさびしい。
と。
これで「オシマイ」
わかるかなあ。(笑)
他のひとのブログ。ご覧になってないと。
ま、玉石混交「星のカズほど」おますからね。
が、一点、レコメンド・ユー。アズ・ビロウ。
中村顕治。なる男が「生きるために食う」とのブログ。
毎日「書き込み」更新。写真付きで。
私は問うたの。ブログで。
「なんで、毎日、欠かさず?」
彼、返信。
「書かないと、今日が終えられん」と。
ああ、そうか。そんな人なんか。あんたはー。
さ、この辺で。
ご関心あれば、プリーズ・ゲット、ブログ「食うために生きる」。
さまざまなるニッポン人の「今・肖像」
オモロイわー。(笑)
ごきげんよう。
2015/10/13 12:45 | by まろたんまろたんさん、こんばんは。
成長はすべてを癒す。いやはやその通り。
安倍君の「600兆円計画」も、その原理でしょ。
しかし、これまで四半世紀、誰がやってもダメだった日本の経済成長。
今回もちょっと無理でしょうな。
確かに、自民党の政策はかなり社会主義的でした。
公団が作った団地なんて、ソ連のアパートそっくり。
その延長線上にあるのが湾岸エリアの殺風景な街並み。
ああいう発想から早く抜け出してもらいたいもの。
住宅の数は足りています。
あとは質と中身とデザイン。
どうも日本人には苦手な領域みたいですね。
画一化するのが大好きな国民ですから。
服ならユニクロ、マンションならハセコー。
安倍君の経済政策はおそらく失敗しているはず。
表に出ないのは円安と株高に支えられているから。
しかし、いずれは噴出するでしょうね。
まあ、私はいずれにせよマイペースでやります。
お神酒を楽しみながら。
ではまた ごきげんよう 榊淳司
2015/10/12 22:11 | by Sakaki Atsushi榊さま。
戦後、日本人の価値観は「社会主義的」であった。
敗戦後、着の身着のままの日本人に、根深くありました。
そのため、いわゆる「東西冷戦」時代に、社会主義運動を抑え、
自由主義を貫くためにも「社会主義的政策」は必要だったのです。
ずーっと昔ですが「三井三池闘争」なるものがありました。
「総資本対総労働」とも評された、まさに「ガチンコ」。
その当時「組合崩し」として暗躍した御仁の「武勇伝」を、
一度ですが、お聞きしたことがあります。
帝国海軍兵学校を出た「胡散臭い」男でしたが。(笑)
余談ですが、そのころ新宿の某所に、
旧帝国海軍の「同窓生」が主宰する「倶楽部」があり、
その男に連れてゆかれたことがありました。
大きく広い会場の倶楽部で、旧海軍の将校クラスが、
自由に寄り集まっている「常設同窓会場」のようなものでした。
酒と食事が供応され、会場のアチコチには、
うさぎのコスチュームの「バニーガール」が、
微笑んで立っていましたが「色気」はそれだけでした。(笑)
運営資金は、どこの誰が出していたのか不明です。
本題に戻ります。
戦後、サヨク思想が台頭する社会状況の中で、自民党は、
社会主義的施策を以て、庶民を「ガス抜き」しました。
「平等教育」も「ガス抜き」の効果を狙ったのでは?
ビンボーであっても、人間みな「平等」ですよ、と。
さらに、戦後の住宅難に於ける「持ち家」政策も、
「サヨク対策」のひとつであったと言う説があります。
おそらく事実でしょう。
ニッポン経済成長のチカラもあって、これは成功した。
まさに、ダイエー中内功の言う「成長は、すべてを癒やす」
でありました。
ま「良い時代であった」と言えるでしょうね。
右肩上がりの、いわゆる「あすなろ」の希望を抱けた、
と言う意味で「良い時代であった」と。
でありましたが。
さて問題は、これからです。
ニッポン人、どんな価値観を抱いて生きてゆきますか。
人類史上初めて、未曾有の「超高齢社会」が到来します。
労働人口が減り、ニッポンの経済力も衰退します。
「失われた20年」なんて気取っている場合ではない。
ゼロ・マイナス成長は必至。
サヨク対策で建てに建てた持ち家は、今や、厄介もの。
ああ、これで「明るく生きよう」なんて無理筋でしょう。
安倍晋三よ。
「一億総活躍」せいってかいな。
どうなりますことか。
ま、とりあえず、私はお神酒で。(笑)
ごきげんよう。
2015/10/12 18:06 | by まろたんRSS feed for comments on this post.