「お前は世の中を舐めち切っとるからなあ」
これは、高校生の時に友人からよく言われたこと。
以来40年、世の中を舐めち切った人生を歩んできました。
もちろん、世の中を舐めたことでの失敗は数多。
その度に、少しだけ反省して「こんなんではアカン」
なんて思いながら、数か月もたてば元通り。
所詮、人間は変われないものです。特に私は(笑)。
こんな私でも、時には誰かから舐められたりします。
まあ、どこか私の知らないところで舐めたことを
ほざかれるのは全然平気。実害はありませんから。
ところが、時々実害をもたらすような舐められ方をします。
こういうの、よくありませんねえ。
もちろん、キッチリとおとし前はつけていただきます。
ただ、そうやってけじめをつけるのって、かなりめんどうくさい。
「めんどうくさいこそさせんなよ」と思いながらやります。
なぜなら、それが舐めち切った人生に必要だから。
先日、愉快な仲間たちとお酒を飲んでいて
「自己承認」という言葉を知りました。
ええ歳こいで、こんなことも知らなかったワケです。
「承認欲求」というのは知っていました。
私からすると、ちょーめんどうくさい概念。
カンタンに言えば世間や他人から「自分を認めて欲しい」願望。
SNSを盛んにやっている人は、ほぼ承認欲求のビョーキ。
めんどうくさそうでしょ。なんでそんなものが必要なん?
孔子さんも言うたはりますやん。
「人の知らざるをうらまず、君子なるかな」
他人がどう考えようと、ほっといたらええねん。
まあ、ここまでは私もようわかる。
しかし「自己承認」というのは、自分で自分を肯定することやと。
「そんなん、みんなあ自分を肯定してるんちゃうん?」
まあ、それをやり過ぎるとナルシストということになります。
ところが、それがでけへんで悩んだはる人が多いんやて。
私には、それがまったく理解できません。
それは、若い頃は受験や就職がうまくいかなかったり、
結婚に失敗とか、ややこしいことがあると
「ワシてホンマはアカン奴ちゃうやろか」と思うでしょ。
せやけど、そんなこと考えてもしゃーないやん。
アカン奴やったら、アカン奴なりに生きるしかあらへん。
そこをくよくよと考えても、何もかわらへんやん。
偏差値や給料が上がるわけでもないし、
魅力的な異性と仲良くなれるわけでもございまへん。
私からすると、「なんでそんなことで悩むん?」となります。
「そんなの僕は20代の半ばくらいから普通に自己承認してました」
そういうと、あるお方が「そういう人は珍しい」と。
「へえ、そんなもんかいな」と思いました。
私は悩みの無いおバカな大人の人生を歩んでいます。
何回か書きましたが、ゴーダマ・ブッダ(釈迦)は
辛い修行の後、菩提樹の下で何年も瞑想して、
やっと「真理」に辿り着きました。
そして、弟子たちに自分の知った真理について話しました。
その後数百年、弟子たちはそれぞれの解釈で
釈迦の言葉を書き残しました。それがお経です。
ですから、お経を読めば世の中の真理が分かる?
分かるわけないやん。そんなもの、分かっていたら、
とっくに誰かがみんなに広めているはず。
仏教は何十何百の宗派に分かれることもなかったはず。
また、世界の宗教は仏教だけになっていたはず。
つまりは、誰もがようわからんから今のカオスがあるのです。
これは他の宗教にも言えることです。真理を追い求めて
それを「見つけた」と称したキリストやマホメットが
教祖になって、宗教が成立しているのです。
あの現実主義者の孔子でさえいうたはる。
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
孔子さんが真理を知ってから死んだかどうかは知りません。
せやけど、今の私にはそんなんどーでもええ。
実は私、その「真理」とやらを知っています。
何度かこのブログで書きました。
もう一回書きましょうか。それは・・・
人間はいつか必ず死ぬ
ただそれだけのことです。悩んでも仕方ありません。
その悩みは、死ねば灰になります。あるいは朽ちます。
死は、世の中の大方のことを解決します。
つまりは、くだらんことで悩んでもしゃーない、ということ。
そんなことより、出来ることをやるしかない。
他人がどう思おうが、自分で自分をどう考えようが、
目の前の現実が変わることはありません。
ついでにもうひとつ、真理があります。
「人間は何のために生きるのか」という問いの答え。
これもカンタン。
自分の遺伝子を残すため
まあ、ふたつとも超カンタンでしょ。
こんなことのために悩むことはおまへん。
ちゃっちゃと生きて、子どもを産んで、育てて、
あとは死ぬだけ。それが人生です。
そう思えばお金持ちと貧乏人は、大した差ではありません。
そう考えれば、私の人生なんてあと10年もあれば十分です。
ところで、私は新卒時の就職に失敗しました。
その後2年くらいはウジウジとした気分で生きていました。
しかし、東京に来てコピーライターを始めてからは、
すっかりと気分の持ちようを変えました。
「どうしようもないことを考えてもしゃーない」。
そして、2年ぶりに世間を舐めち切って生きるスタイルを復活。
以来、そのままで30年ですか。
他人からはよく「飄々としている」と言われます。
お金は足りないし、毎日は忙しいし、身体は老化。
しかし、「自分を肯定できない」なんて悩みからは遠いですね。
特にこのブログを始めてからは、「言いたいことが言える」人生。
世の中のおかしなことを好き放題に切れます。
ただ、ほぼやらないことがひとつ。
それは特定個人、あるいはその言論への批判です。
誰が見ても公人である人は除きますが。
なぜそういうことをしないか。それは「お行儀が悪い」から。
を開催することにいたしました。
不動産の売却に関して、価格や時期でお悩みの方のご相談を
わたくしが無料で受けさせていただきます。
会場はいつものところです。
開催日時:5月26 日(土)13時~17時
開催場所:セトル 4階会議室
(東京都中央区日本橋横山町4−11 「馬喰横山」駅より徒歩1分)
5月26日土曜日の13時から17時まで、
私が相談会場におりますので、どうぞご自由にお越しください。
とくにご予約などは不要です。
ただし、順番におうかがいしますので、
ちょっと待っていただくかもしれません。
ちなみに、前回の参加者は3組様。
待ち時間が多少はございました。
次回も同じようになるかどうかは分りません。
さて、早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校での
私の講座が、5月に再び開講されます。
なんと90分を1日に2回。それが2日間の集中講義。
5月12日と19日。いずれも土曜日。13時から16時30分まで。
ビジター受講料13,413円。みなさーん、ぜひご参加を。
奏子さん、こんばんは。
こちらこそ、ありがとうございました。
まあ、私はぬるま湯育ちだから、
こういう鼻持ちならない人間になったようです。
家庭環境は多少ややこしいのですが、
奏子さんに比べればまったくの普通。
奏子さんのように葛藤を超えて自己承認を得た方は、
私のようなぬるま湯系に比べると、
かなり心がお強いと思います。
しかし、昨日のお方、ちょっと申し訳なかったかもしれませんね。
でも、住宅購入で何かあったら
何なりとご協力します、とお伝えください。
奏子さんが劣性遺伝子とは思えません。
どちらかというと、かなり心の強い遺伝子でしょう。
それに、やすやすと偏差値70を出すお方。
人類にとっては、私の遺伝子よりも残すべきかもしれません。
お子さんについてのお考えに
私がとやかく言う立場ではありませんが。
それではまた ごきげんよう 榊淳司
2018/04/27 20:20 | by Sakaki Atsushiこんにちは、元鬼嫁の奏子です。
先日はありがとうございました^^
自己承認、本来なら成長とともに自然に身に着くもののようです。
裕福か否かは関係なく(勿論日々の暮らしに困るレベルでない前提ですが)
まっとうな親御さんにまっとうに育てられれば身に着きます。
しかし、悲しいかな親になっても子育てどころか、自分一人の面倒さえ
(色々な意味で)見られない人間が沢山いますね。
そんな親から生まれてしまうと、自己承認どころか自己肯定感さえ持てず
その後の人格形成に影響します(サンプルは養護施設で一緒だった子供達)
私は残念ながら自然には自己承認を身につけられず、大人になってから
自分の心を深掘りするという、結構大変な作業を経験しました。
これ失敗すると本格的にビョーキになりますが、幸い何度目かに無事成功。
良くも悪くもふてぶてしい人間になりました(笑)
それでも根強く残る欠陥は「自分の遺伝子を残す気がない」ことでしょうか。
きっと淘汰されるべき劣性遺伝子なんでしょう。
気が向いたら、赤ちゃんポストに入ってる子を拾って育てて…(叶わぬ夢)
まぁ、今が普通に楽しいので結果オーライです^^
2018/04/27 18:16 | by 奏子(Kanako)RSS feed for comments on this post.