私の事務所があるビルは築49年。
もちろん、耐震基準前の建物です。
3.11の地震がやってきたとき、かなり揺れました。
正直いって「建物が崩落するかもしれない」と覚悟しました。
怖かったですね。
「早く終わってくれ」とも思いました。
書棚が倒れたりはしなかったけれど、
中のものはバラバラと落ちてきました。
テレビはずり落ち、マックのモニターも倒れました。
私は、靴を履いてジャンバーをはおり、
揺れが収まるのをじっと待っていました。
何とか収まると、即座に階段を降りてビルの外へ。
このビルは6階建てですが、エレベーターはありません。
外に出ると、ビルのテナントさんたちはもちろん、
まわりのビルに入っている方々が、みんな外に出ていました。
しばらくして、建物に戻ると・・・また余震。
余震、というのは後から分かることで、そのときは
「また来たか」という恐怖感。
慌ててビルの外に出ます。
そんなことを3,4回。
お陰で、日ごろは言葉を交わさない他のテナントさんとも
お話が出来る機会に恵まれました。
その時「あれ、大家さんはどうしたのかな?」と、思っていました。
大家さんの事務所は6階。私は4階。
こちらよりさらに激しく揺れているはずです。
こんなに揺れているのに、どうして出てこないのだろう・・・
きっと外出されているのだな、と勝手に思っていました。
余震で出たり入ったり・・・ちょっと落ち着いて
事務所の中を片付けていると、大家さんがやってきました。
「大丈夫でしたか?」
「はい・・・この通り散乱していますけど」
「それはよかったわ。じゃあ、今度揺れてきたら、まずドアを開けてくださいね。逃げるかどうかは、揺れ方次第だと思いますが・・・」
地震の注意事項を丁寧に説明してくださいます。
見ると、手に箒と塵取りを持っていらっしゃいました。
「大家さん、地震の時は中にいらしたのですか?」
「はい、いましたよ」
「エエッ・・・大丈夫でしたか、怖くありませんでしたか?」
大家さんは、推定50代後半の小柄で華奢な女性です。
常日頃から建物内の整備に精を出しておられるので、
廊下や階段は古いながらいつも清潔で、気持ちよく保たれています。
数日前、その大家さんと20分ほど立ち話をしました。
話題は、地震当日のことについてアレコレ。
そこで初めて知ったのですが、
あの華奢な大家さんは、地震直後に建物内をくまなく見てまわられ、
まずはテナント全員の無事を確認。
さらに、箒をもって崩れ落ちたものを掃き清め・・・
「電車が動かないから帰れない」というテナント社員の声を聞くや、
エアコンが心配になって屋上へ。
室外機が倒れているのを見て、「これはいけない」。
自分の手でヨッコラショと置きなおされたそうです。
室外機ですよ・・・あのでっかくて重たそうなヤツ。
「エエッ、大家さん、ご自分でされたのですか?」
「そうよ、火事場の馬鹿力ってやつかしら。家に帰れない人が凍えちゃいけない、と思ったら自分でできちゃったの。今じゃとても無理よ」
そういって、ケラケラと笑っておられました。
しかし・・・この地震というのは、
平時では分からない人やモノの本質というのを見せてくれますね。
日頃から「熱心な大家さん」とは思っていましたが・・・
私なんぞ、地震の怖さに怯えて余震が来るたびに
あたふたとビルの外へ逃げ出していたのに、
あの華奢で私よりも10歳くらいご高齢(? 多分)の
大家さんは自らの責務を果たすために建物内を駆けずり回り、
あまつさえ「火事場の馬鹿力」まで出されていたとは・・・
私は少し自分が恥ずかしくなりました。
「3.11」というのは、間違いなく歴史に刻まれます。
私たちは生きている間、「3.11」の証人です。
これから生まれてくる子孫たちに語り継いでいくべきですね。
また、私たちが親の世代から受け継いだ記憶の中に、
大東亜戦争のときの東京大空襲、大阪大空襲、広島・長崎の原爆、
その他多くの空襲被害、そして戦争における様々な苦難、
さらには戦後の復興が刻まれていたことが、
この大地震での冷静な対応につながっているのだと思います。
10年前の「9.11」の時には、アメリカ中がパニックになり
それを世界中へ輸出していました。
あの時の犠牲者は約3000人。
それを理由にはじめたアフガニスタンとイラクでの戦争における
アメリカ兵やアメリカ市民の犠牲者の方が多いかもしれません。
巻き込まれて死んだアフガン人やイラク人の犠牲者は
それこそ数万人以上は確実。ひょっとしたら何十万人かもしれません。
アメリカ人と言うのは、そういうところが実に身勝手です。
さて、今回の犠牲者は最終的に30000人を超えるでしょう。
「9.11」の10倍以上のスケールです。
被害総額も「9.11」の比ではありません。
街がいくつも消滅しているのですから。
さらに、今でも何十万人もの人が「難民」状態です。
でも、日本国民は静かに耐え、力強く生きています。
わがビルの大家さんのように、目立たないけれど
それぞれに自分の為すべきことを行っています。
昨日、首都圏の水道水に基準値以上の放射性物質が検出され
「乳児は摂取しないように」と指示が出されました。
わが家の近くのスーパーで、赤ん坊を抱えた若い夫婦が
空になった棚の前で困惑していたという話を聞きました。
「お水・・・ないわねー。せめてこの子の分だけでもあればよかったんだけど・・・やっぱり田舎に帰るしかないのかしら・・・」
奥さんにそういわれて、若いご主人も困っていたようです。
そんな話を聞くと、胸が締め付けられます。
どうか首都圏のみなさん。
お水のペットボトルがあれば、
近くの乳児がいる家庭へ分けてあげてください。
見つからなければ、近くの保育園に寄付してください。
行政の配給だけでは多分足りなくなりますから。
大人はお茶でもスポーツ飲料でもいいじゃないですか。
私は水道水でも平気で飲んでいます。
もう人生は3分の2ほど終わっているので、
何年か先にガンになっても致し方ないと思っています。
だいたい、政府や自治体の発表どおりなら
今の水道水をずっと飲み続けても、
ガンになる確率はタバコを吸っている人の数十分の1でしょう。
私も、自分の「為すべきこと」をやろうと思います。
次回からは、本格的にマンションの話題に戻るつもりです。
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