1970年頃までの論客で清水幾太郎という人がいます。
まあ、私の親の世代といっていいでしょう。
今の40代前半より若い人はほぼ知らないはず。
桑原武夫とか吉本隆明(ばななの父)あたりが活躍していた頃の人。
その時代の若手が大江健三郎あたり。
まあ、左巻きの全盛期ですね。
アメリカはすべて悪でソ連と共産中国、そして北朝鮮を礼賛する時代。
今から思えば大馬鹿なことを恥ずかしげもなく論じていたようです。
その頃、清水幾太郎は何を考えたのか「転向」なさいました。
いわゆる「保守系」の論客に変わってしまったのです。
もちろん、周りからは非難轟々。
それでも本人は動じず、そのままずっと保守系で生涯を通しました。
論語に「過ちを改めるに憚ることなかれ」というフレーズがあります。
今まで考え、話してきたことが「過ち」であることを、
自分の中で認めることだけでも大層勇気とエネルギーが必要です。
それをやった上に、さらに周りに向かってそれを発信していくのはもう・・・
そういった意味で、清水幾太郎はエラい、と素直に思います。
人間というのはネが怖がりで、保守的です。
生き方を変えるとか、発想を転換する、というのは言葉ではカンタン。
でも実行するのは相当に難しいものです。
ましてや、今まで自分の中で築いてきたモノをガラガラポンにするのは
そうそう並の人間ができることではありません。
例えば、我々の世代は小中高と日教組のアホ先生から「憲法は素晴らしい」、
「この平和憲法をいつまでも守りましょう」と教えられました。
私の場合、長じて、大学で世界中の憲法と日本のそれを比較してみたとき、
いかにあの「平和憲法」なるシロモノが欠陥だらけで不自然で、
しかも文章の日本語までがおかしいことに気づいて愕然としました。
そこで、人間の行動は二つに分かれます。
ひとつは、それを自分の中に受け入れて、
さらに貪欲にその周辺の知識を吸収するタイプ。
もうひとつは「あの先生に教わったことが間違いであるはずがない」と考え、
そのまま思考を停止してしまう人々。
非常に残念ながら、後者の方が多数派です。
というのは、思考を停止した方が精神的にラクだからです。
それ以上に何かを学ぶ必要も生じません。
人間の本能というのは、ラクな方を選択するようにできています。
ここんところ、ずっと不思議に思うことがありました。
それは、例えば日教組の人々はなぜにずっとお馬鹿なままなのか?
世界全体の思想的な潮流として、とっくのとおに「社会主義」は
墓場に追いやられ、「過去の遺物」になっているのに
未だにそのことを正式に認めようとはしていません。
まるで郷愁に浸るように、それを追い求めているフシさえあります。
もちろん「平和憲法」を擁護する姿勢も変えず。
まあ、日教組の人々は大半が「教師」ですから
アタマが硬くなることが職業病のようなものだと想像できます。
でも朝日新聞はどうでしょう?
あの新聞はどうしてあれほどまでに先見性がないのか?
まあ百歩譲って、朝日新聞を作っている連中のアタマが
50年ほど遅れたままになっていることは良しとしましょう。
でも、それをずっと読んでいる人間が未だに何百万人もいることが
私にはまったく理解できません。
といいながら、私も30代の頃はずっと定期購読していました。
「読みたいから」ではなく、職業上チェックしておく必要があったからです。
不動産広告を職業としていると、ネット以前では
日経新聞と朝日新聞をどうしても「見て」おく必要があったのです。
ついでに、お金を払っているから、
という貧乏根性が働くので隅々まで読んだりもします。
すると、どうなるか・・・・
朝から気分が悪いこと悪いこと(笑)。
清涼剤は日経新聞の文化欄と女性欄。
実にレベルの高い、味わい深い記事が多かったと記憶しています。
もう10年以上、朝日に眼を通す必要がなくなったので
朝から気分が悪くなることはありません。
でも、ときどきチラと眺める機会があったりします。
すると、妙に菅を擁護していたり、民主党寄りの記事を書いていたりします。
別に新聞が厳正に中立を守る必要はない、と私は思います。
アメリカのニューヨークタイムズなんか、
ずっと民主党支持で、それを堂々と記事に書いています。
朝日新聞は、かつて社会党寄りの記事ばかり書いていました。
今は民主党寄りのようです。
だったら、はっきりと自身のポジションを示すべきでしょうね。
読売新聞も「自民党びいきです」と表明すべきだと思います。
次に、読む人々の問題。
どうして、自分のアタマでモノを考えないのでしょう?
少しでもマトモに世の中の現象を眺めていると
朝日新聞が描く世界との激しい乖離に気づくはずです。
それを感じ取れないのは、小中高で社会科を教えられた状態のまま
アタマの中が「思考停止」しているとしか思えません。
世界は、あまりにもめまぐるしく変わっているのです。
ツイッターをやっていると、自分の考えを述べている人よりも
どこかの記事やだれかのツイートをリンクして、
意見と言えるほどもないことを一言二言付け加えているのが
ほとんど7,8割を占めているように思えます。
他人の意見を紹介するはほどほどでよいと思います。
何かを言いたいのなら、キチンと自分の言葉でいうべきでしょうね。
ただ、何を食べたとかどこにいる、ということだけなら、
それはそれで「どうぞご勝手に」と思いますが。
みなさんの住まい選びをお手伝いしていても、同じことを思います。
ご自身の思考や好みがはっきりおありだと思うのですが、
それよりも「世間がどうとらえるか」ということばかり気にして、
「このマンションを買ってもよいのか」的な判断をこちらに求めてこられます。
それはそれで、私の考えを述べさせていただきます。
でも、大切なのはご自身の生き方、考え方です。
日本人の大半が「朝日新聞にこう書いてあったから」
「NHKの番組でこんなことをいっていたから」ということを
ベースにモノを考え、そういう権威を疑う知性を持たないうちは
いつまでたっても今の民主政権程度の政治家しか選べないでしょう。
せめて、住まいの選択だけでも賢くなってほしいと思います。
ということで、これから私がコーディネイトする
コーポラティブ計画の説明会に行ってまいります。
ここのブログって…。
すごくいい事も言ってるのに長くしゃべると
ただの年寄りの繰言になってがっかりする某都知事の
発言みたい。
壊れた社会党の残党(と自民他の政党にいられなくなった人)の看板以外変わってない居抜き政党を支持する朝日のポジショニングもまた変わってないので、新たに表明する必要もないということなのでしょう。
2011/06/25 09:04 | by CooRSS feed for comments on this post. TrackBack URL