金髪碧眼の美女を侍らせ、明日の日本を憂う

私が27歳で会社を作った年は、バブルの最後の1年でした。
まあ・・・今から思えばなんと易々とお金が入ってきたことでしょう。
「世の中は甘い、俺は偉い」と、半ば本気で思い込んだもの。
一生懸命努力せよ、と教えてくれた親がバカに思えました。

ただ、あのときのバブル崩壊は実に緩慢でした。
ダラダラと景気が悪くなるのを感じながらも、
目先は結構贅沢な日常を送っていました。
あの頃、誰も持っていなかった携帯電話を片手に
ネオン街へ出かけて見せびらかしていたのも懐かしい思い出。
今から考えれば、実に子どもっぽいでしょ(笑)。

夜の世界の一端を垣間見たのもその頃。
時代物風に言えば「花街の作法」とか「流儀」というのも
20代の後半でおおよそ真似できる程度にはなりました。
当時の遊び仲間で、その世界にズブズブと沈んでしまった
人間は一人や二人ではありません。
私は幸い向こう側に落ちることはありませんでしたが。

広告の世界から離れるとともに、そっちとも縁遠くなりました。
不思議ですね。広告、不動産、建設といった業界は、
なぜかネオン街と縁が深いようです。
昨日は久しぶりにやや場末のネオン街に出かけて
コーケシアンの美女を侍らせて安い焼酎を飲みました。

まあ、それはそれで「苦しゅうない」ひと時を過ごしたのですが
自分の感覚がすっかり変わってしまっていることを実感。
もう、あの若くて愚かな頃の自分には戻れないと思うと
大人びた自分を喜ぶとともに一抹の寂しさを感じました。

私の隣に座った西方の美女は、自分の国では
そういった働き場所がないといっていました。
確かに、考えてみれば不思議な文化です。
ただ美女を侍らせて2時間ほどお酒を飲むだけで、
肉体労働者の数日分の稼ぎが飛びます。
合理的に考えると、まったく理解不能。
でも、これは実に東洋的な世界なのです。

日本は他の東アジア大陸国家と文明的に異質であると、
かの世界的文明史家であるトインビーは喝破しました。
でも、どういうわけかこのエリアの宴席の文化だけはよく似ています。
お金や身分で圧倒的な上位にある男が、
下位にある女から物心両面の奉仕を受けて、相応の対価を払う。
実に東洋的な支配・被支配の関係ですね。

かつてアジアで唯一豊かであった日本の男たちが
韓国や台湾やフィリピンに出かけて、
女達を支配する満足感を得るために相応のお金を払ったのも、
そのようなお互い共通の文化の下地が合ったわけです。

まあ、あまり褒められたことではありません。
今や、国内で碧眼金髪の美女を侍らせることさえ可能になりました。
「へえ、日本人はそんなことだけでお金を呉れるの」
と、六本木あたりでバイトをしていた英国の美女が殺された事件もありました。

これは日本人として何とも恥ずかしく思う事件です。
どういうわけか、私は白人女性に多くの魅力を感じないタイプなので
左様な犯罪を行う同胞の心象風景が理解できません。
でも起こってしまったことは起こってしまったこと。
韓国で日本女性がレイプされると
「日帝時代には反対のことがたくさんあった」と
向こうの警察は事件にしてくれないそうです。ひどい話です。
でも、我らが日本は文明国です。
きっちりと犯人を裁判にかけて、法に基づいて断罪しています。

若い頃は「ブカツ」と呼んでいました。
中高生の頃の「クラブ活動」を縮めた隠語です。
今は随分マーケットが狭くなったようですが、依然として日本の主要産業です。
きっと、あと何百年も続くのだと思います。
今はチャイニーズクラブなどといって、
大陸の女性のいる店に日本の男どもがいってお金を落としています。
でも何年か先には大陸からやってきた切れ目の男どもが
大蒜臭い息を吐きながら日本女性のいる店でクダを巻くのでしょうね。

こういう風習は、あまり誇れるものではありません。
昔ながらの待合の世界は、それなりの文化があったでしょうが、
今の「クラブ」というところは、多くを散財する人間が一番。
ただお金を持った者が威張り散らしてワガママ放題することを
よしとする価値観がああいう世界を支配してはいけないと思います。
それはタダの拝金主義。
支那や半島でなさるのはかまいません。よその国です。
でも、わが国はわりあいに美しい「遊びの文化」を育ててきた伝統があります。
韓国のキーセンはタダの身分卑しき遊女ですが、わが国の島原太夫は
朝廷から官位さえ授けられる文化の人なのです。
その伝統は吉原の太夫に引き継がれ、
一部は銀座や祇園のクラブで息づいています。

いつも思うことは、ひとつのマンションが作られるのに
ネオン街やゴルフ場にいかほどのお金が流れ込んだのかな・・・ということ。
土地を買う、工事を発注する、販売会社を決める、広告代理店を決める、
決起会を開く、打ち上げをする、慰労会を催す・・・・・
日本社会は、実にそういう馴れ合いの中で廻っています。
自分が得た報酬の中で飲むのはいいでしょう。
でも「経費」という名目で要らぬ出費をして、それを価格に転嫁して欲しくない。
普通のマンションデベロッパーがマンションをつくると
この「冗費」ともいうべき部分が、最終販売価格の2%以上
あるのではないかと私は常々疑っています。

私は、そういった業界の悪慣習に風穴を開けたいと思っていました。
それが、今のコーポラティブ計画にもつながっています。

新宿余丁町建替えコーポラティブ計画


2011/7/2 0:55 Comments (0)

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