何度も書いていることですが、私は京都市内で生まれて
そのまま22歳まで住んでいました
今でも実家があるので、時々は帰省しています。
しかし、東京に住んですでに25年を超えました。
東京という街では、同和問題はまるで他人事ですね。
無いわけではないのに、無いも同然の様に感じます。
ところが、京都では実に身近な存在。
私の通った小学校の学区にも、同和地区がありました。
高校でもありました。
当時の京都の公立高校は「小学区制」という日教組式悪平等の権化みたいな
システムが生きていて、希望の高校には入学できませんでした。
出身小学校ごとに入れる公立高校が指定されていました。
つまり、当時の京都府立高校には「通学区」があったのです。
そして、どの学校でも「同和教育」なるものが盛んに行われていました。
ただ、何を教えてもらったか、さっぱり思い出せません。
たいていは寝ていましたから。
そして、同和教育に熱心な教師というのは、
ほとんどが生徒から敬遠されている、
妙に正義感が上ずったタイプが多かったように思えます。
ああいった教育は、結局プラスマイナスで言えば、
マイナス面のほうが大きかったのではないでしょうか?
そのせいか、今はあまり行われていないようです。
私の場合、小学生の時の遊び友達には同和地区の子たちがいっぱい。
よく彼らの家にも遊びに行きました。
その頃はすでに、公団式の鉄筋コンクリ―ト集合住宅でした。
子どもの感覚では、別にどうということもない友だちの家。
教師や親たちが騒がなければ、同和を意識することはなかったでしょうね。
でも、長ずるにつれ、その存在を否応なく知ることになります。
これは、誠に日本の悲劇といっていい問題です。
インドにはカーストという、信じられないほど陋習化した身分制があります。
人間というのは、これほど馬鹿げたことにここまで熱心になれるのか、
と呆れる思いがしています。
でも、こと同和問題に関して、日本はインドを嗤えません。
韓国にも白丁という被差別階層があるそうです。
彼らには本貫という氏族制度が濃厚に残っているので、
住んでいるエリアはバラバラになってしまっても、
結婚差別としては長く残りそうに思えます。
この本の著者も同和地区出身者だそうです。
最近の同和地区(といっても10年前)の若者たちから取材した労作。
かなりリスペクトできる「お仕事」をなさったと思います。
関西の話し言葉がそのまま描写されているのも、実にリアリティがあります。
(せやせや、こんなこといいよるオッサンおるやろうなあ・・・)
なんて、思わず頷きながら読んでしまいました。
きっと、ご本人もかなりクレバーで性格がさっぱりなさっているのでしょう。
妙に斜に構えるのではなく、取材した内容をかなり平明な視点で
再現されているように思えました。
ただ、これだけの作品に仕上げるための労力と熱意には敬服するばかり。
この方のジャーナリズムは、間違いなく一流です。
また、「これがいけない」「こうでなければいけない」という、
読み手側がしんどくなるような主張や意気込みのないところにも好感。
同和教育に必要なのは、実はこういう本ではないでしょうか?
解説を書いているのは「コリアン世界の人々」という名作がある、
ノンフィクションライターの野村進氏。
そこで彼は、あの「釣りバカ」のスーさんこと三国連太郎や、
京都府出身の政治家だった野中広務も部落出身者だと書いています。
芸能人や政治家、スポーツ選手などに、
部落出身者がかなりたくさんいらっしゃることは衆知の事実。
この本には、総数が全国に200万人以上と書かれています。
全国的な人口比で言えば1.6%程度ですが、
こと京都奈良に限っては5%くらいではないかと想像します。
多分、創価学会の会員といい勝負(笑)。
同和問題をこれだけ身近にするこの感覚は、
東京の人にはちょっと分かりづらいかもしれませんね。
1922年の水平社宣言から約90年。
随分と部落差別は改善されたのではないかと思います。
インドのカーストや韓国の白丁はどうか知りませんが、
日本の部落差別はあと100年もすれば、ほぼなくなると思います。
いずれなくなるようなものであるのなら、
今からないものだと思っても何の支障もないはず。
要は、人々の意識の問題が大半です。
でも、時々大騒ぎする人がいるから、みんな再認識してしまうのです。
ちょっと前にマスコミと揉めて辞任騒ぎを起こしたあのおバカな松本元大臣は、
騒ぎたい方々にまったくの好餌を提供してしまいました。
本当にアホみたいな出来事でしたね。
生まれも育ちも東京なので全然身近ではなく、教育と称して伝え続けたり、関西の人たちが何故そんなにこだわるのか理解に苦しみます。むしろ、それを利権として保存し続けたいようにしか思えません。過去においても見方を変えれば、排他的に職業を占有できる集団であったとも言えるわけで、それが伝統なのかもしれませんが…。
2011/10/05 01:44 | by CooRSS feed for comments on this post. TrackBack URL