みなさま、あけましておめでとうございます。
本年もどうかよろしくお願いします。
早速ですが、2日のシカゴ日本株先物取引が大幅安で引けました。
本日がどうなるか見てみないと何とも言えませんが、
6日に始まる東京の株式市場はいかなことになるのでしょう?
ちょっと波乱があるかもしれませんね。
私はお正月になるといつも1990年のことを思い出してしまいます。
前年末に日経平均が過去最高の3万8千円台を付けた直後のお正月。
初日からいきなりの大幅安で始まり、ちょっと嫌―なムードでした。
でも、まだ世の中にはバブルの臭いが濃厚に残っていました。
「まあ、そのうち上昇に転じるだろう」
「今年は軽々と4万円突破だよ」
なーんて、みんな楽観視していましたね。
ところが・・・その後の結果はみなさんよくご存じのとおり。
あの「平成バブル」崩壊した年を1990年とするのか、
1991年とするのか、多少議論がありそうなのですが、
私は株価が下がり始めた1990年でいいと思っています。
確か、ソ連の崩壊も1991年あたりではなかったかと記憶しています。
あの頃、私は人生でもっとも忙しく立ち働き、バブリーに遊んでいました。
それまで2年半の間勤めていた広告代理店を退職し、
なぜか速攻で自分の会社を作り、トントコと売り上げを上げ
年末には納税予定額を知って真っ青になったのが1990年。
1月末の退職ですから、お正月時点ではまだサラリーマン。
でも、退職は決まっていたので株価が下がるのは何となく不安。
まあ、そんな心配は一瞬で吹き飛んでしまいましたけど。
日経平均は昨年末時点で16291円ですか。
あの38000円台に比べればまだ半分も戻っていませんね。
「まだまだ上がる」なんて言っている評論家も多そうです。
でも、上場株式の時価総額は、あの38000円の時代と同じなんですって。
それだけ上場企業の数が増えたということですね。
同時に、株式市場にぶっこまれている資金量も、
あのバブル最高潮の時と同レベルなのです。
しかし、あの当時と今とでは決定的に違うことがあります。
それは、プレイヤーの目の色、肌の色、頭の中の言語。
つまり、今の日本の株式市場の主要プレイヤーは外国人。
当時は日本人が主流だったと思いますよ。
外国人が動かしているとなると、ほぼ短期的な投資。
逃げる時にはさっと逃げていく・・・すると暴落ですね。
まあこれは不動産にも言えることです。
今、東京の高級マンションをやたらと支那系のお金持ちが買っています。
「東京って意外に安いじゃない」というのが彼らの視点。
台北や上海やシンガポールよりも、東京が安かったりします。
実は中身にもよるのですけど、外国人にはそこが分からない。
2013年、東京のマンションはかなり調子よく売れたのですが、
都心や湾岸の好調な売れ行きの何割かは
支那系外国人の買いがあったと私は見ています。
ところが、彼らは何かあれば逃げるのも早い。
2011年3月11日の大地震直後、湾岸のあるタワーマンションは
キャンセルが続出しました。
その多くが支那人だった、という話が業界内では囁かれました。
あの時、実は東京の湾岸エリアには大した被害はありませんでした。
ちょっと部分的に液状化したくらいでしょうか。
エレベーターも意外に早く復旧して、私はややビックリ。
ところが、新浦安の湾岸に近いエリアは大変なことになっていました。
通常、あれだけの被害を受けたエリアですから
不動産価格は暴落してもおかしくありません。
でも、表面的には暴落というほどは下がっていません。
なぜでしょう?
それは今持っている人が投げ売りをしないから。
多くの人は「こんなところ売ってよそに行きたい」と思っているはず。
でも「いくらでもいいから売ってしまおう」という方はごく少数。
日本人って、冷静というのか、ドラスティックでないというか・・・
その点、支那人や韓国人はもっとドラスティックです。
だいたい、外国に買った不動産に深い愛着なんて持っていません。
「ヤバくなったら売ってしまえ」となります。
今後、東京にもそれなりに多くの地震がやってくるでしょう。
いつかは分かりませんが、いかにも10年以内に来そうな感じ。
まあ、私の生きているうちに来て欲しくはありませんが、
そう都合よく行くとも限りません(笑)。
もし、震度7程度の地震がやってきて100か所くらいで火災が発生して、
湾岸エリアを2mか3mの津波が襲い、またぞろどこかの原発が事故・・・
倒壊などそれやこれやで1万人程度が死んだとします。
真っ先に所有不動産を売りに出すのは支那系の投資家ではないでしょうか。
もちろん、津波に洗われた湾岸エリアのマンションはリーソクの売り。
オリンピックも何も構わずに売りに出すと思いますよ。
日本人は、じっと我慢の子で生活再建を目指すでしょうけどね。
株に話を戻します。
最近、何が不安かというと「猫も杓子も」というレベルで、
みんなが株式投資を話題にし始めたこと。
普段、あまり株の話題を取上げない一般誌や他分野の専門誌が、
株式投資についての特集を組み始めたころというのは、
後から思えば「あの時がピークだった」というのが多いからです。
今、ちょっと危険なにおいが漂っています。
ほとんどの方が6日の月曜から仕事始めですね。
雑誌の一般編集版もそのころからボチボチ出てきます。
みなさん、中吊り広告などを注意してご覧になってください。
「ええ、この雑誌が?」というのが株式特集を組んでいると、
株式相場も頂上に達している可能性が高いのです。
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に榊淳司の連載コーナーが設置されています。
どうぞ、みなさん寄って行ってください。
まろたんさん、コメントをありがとうございます。
地震の程度にもよるでしょうが、何年もかかるとは思えません。
住めるようになるのに数カ月を要するとは思いますが、
日本人の忍耐力と火事場の馬鹿力に期待しています。
あの無為無策の民主党政権時代に起こった東日本大震災の時でも、
東北の人々は見事に秩序を保っておられました。
また、コメントをお寄せください。
榊さま。
2014。
明けましておめでとうございます。
本年も楽しみにしています。
首都圏地震の話ですが、
5年くらい前、或る雑誌で(名称は失念)、
国交省のインフラ担当の元局長が(名前は失念)、
養老孟司先生と対談し、こんなことを言ってました。
東京都の土中に埋まっているインフラの図面がない。
先の戦争で滅失してしまったから。
こんな有り様ですから、
東京が大地震で大きな被害を受けたら、
手探り状態で復旧するのにとても年数がかかる、
と。
この言葉を受けて、養老孟司先生は、
これからは地方に避難用として一軒、
世帯で2か所の住宅を持つ時代ですね、
というように言われていました。
このお二人のやりとりはともかく、
首都圏が大地震に襲われたら、まさに、
「ニッポン沈没」ですね。
なのに、企業も人も、
なんで東京にしがみついているのでせうか。
どうにかなるは、どうにもならんと、
うちの90で死んだバサマが言ってましたが。
私も「以下同文」へばりついていますが。
私だけは無傷だろう、なんて。
失礼しました。
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