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※順不同・敬称略で掲載しています。

前回に引き続いて、不動産価格の下落が
この国に与える好影響について考えてみたいと思います。
日本経済は平成バブル崩壊以後「失われた20年」の間、
ほぼずっと停滞を続けているといっていいでしょう。
この間、個人所得はズルズルと下がっていっています。
不動産の価格は、1990年から2002年頃までダラダラ下がりました。
そのあと、例のミニバブルがやってきて急上昇。
しかし、2009年をピークに大きく下落。
その後、またダラダラと下がっています。
ただ、平成バブルが始まる前の水準までは、まだ達していないようです。
つまり、住宅価格はまだまだ下がっていくだろうと予想できます。
一方、景気が急速に回復でもしない限り、個人所得の拡大も望めません。
「家の値段は下がったけど、給料も下がったからなー」
というのが、大方の人々の現状ではないでしょうか。
なんとも切ないことです。
私は、今後は個人所得の減少を上回るスピードで
住宅価格も下がっていくだろうと予想しています。
特に、郊外において下落スピードは速いと思われます。
首都圏においては、不動産価格の上昇は「時計回り」の順番だと言われます。
反対に、下落は「時計と逆回り」です。
つまり、千葉→埼玉→神奈川、最後に東京へと来るわけです。
現に、野村不動産が分譲している千葉の稲毛の大規模マンションや戸建てタウンは
数年前では考えられないような価格で販売されています。
この流れは、すでに埼玉、神奈川へとつながっていそうです。
こういった住宅価格の下落は、本来は歓迎すべきことです。
所得がさほど高くない方にも「マイホームの夢」が実現するからです。
でも、私としては今のところ「これからまだまだ下がるのだから、ちょっと下がったからといって慌てる必要はありませんよ」というスタンスで構えています。
山手線の内側や人気エリアの駅近で買うのならまだしも、
郊外物件できつい住宅ローンを組むべきではありません。
前回の記事で書かせていただいた通り、
住居費が収入の2割以下に収まる時代がやってくるのです。
これは、社会のあり様としてひどく健全だと私は思っています。
また、見方を変えれば、老人から若者への「富の移転」でもあります。
というのは、不動産を所有しているのは、ほとんどが老人です。
今までは、老人たちのもつこの資産に対して、若年層の人々は高い家賃や
ローンという対価を払うことで使用していたわけです。
でも、来るべき近未来に、若年層はこの頸木から解放されます。
比較的安い家賃やローンで、住宅を使うことができるようになるからです。
その分、老人たちの取り分が減り、貧しくなります。
今、日本の個人資産は1200兆円とか1000兆円などと言われています。
これらの所有者は、ほとんどが老人です。
老人たちは、このお金をしっかり仕舞いこんで使っていません。
だから景気が悪いのだ、という経済学者もいるくらいです。
一方、給料の安い若年層は、あまり豊かな暮らしをしていません。
日本を元気にするには、何もしない老人から資産をはがし、
若年層に行き渡るようにすべきだと私は考えます。
そのひとつの動きとなり得るのが「不動産価格の下落」なのです。
ある程度能力があって、きちんと仕事をしている20代から30代の人々が、
経済的にもっと豊かになり、可処分所得が増えれば・・・・
今よりも結婚する人が多くなるでしょう。
子どもを作ろう、育てようという発想にもつながるはずです。
現在、若年層の未婚率が高まっているのも、
女性の出産率が低迷しているのも、多くは経済的理由だと思います。
今時、子どもを育てるにはそれなりのスペースが必要です。
日本も文明度が高くなったので、昭和時代のように
「親子で雑魚寝」というワケにもいかなくなっています。
学齢期になった子どもには、部屋も与えなければいけません。
75㎡の3LDKなら、子ども2人が限界ですね。
そして、日本の都会で子育てをするのは、あまりにもお金がかかりすぎます。
わたくしごとで言えば、わが家の豚児が2年前に中学受験をしました。
塾代その他もろもろで、受験前の1年間で100万円以上の費用がかかりました。
そして、中学受験は4年生の時から準備をするのが普通になっています。
その3年間の費用たるや、もうベラボーといっていいでしょう。
いってみれば、こういう「子育てハイコスト社会」の現実が、
少子高齢化・人口減少の大きな要因だと思います。
この「子育てハイコスト社会」の一角を占めているのが、住居費。
だから、それが軽減される不動産価格の下落は、歓迎すべきことなのです。
ついでに言ってしまえば、わが家のような貧乏一家でも
中学受験をさせなければいけないほど頼りなくも荒廃した、
「公教育」の制度も抜本的な改革を行うべきでしょう。
何らかの競争原理を導入すべきだと思います。
一方、若年層の所得を増やす簡単な方策もあります。
それは、労働基準法を改正して「同一労働・同一賃金」の条項を加えることでしょう。
どこの会社にでもいる、「何もしないで高給を食む」オッサンを
ひとり残らず追放してしまうことです。
現に、フランスやドイツではこの原則が守られているようです。
老人たちの既得権でがんじがらめになっている・・・
それが今の日本の停滞の大きな原因ではないでしょうか?
それらの既得権をひとつずつひっぺがし、若年層に移転する。
日本を元気な国に再生するためには、それが一番です。
不動産価格の下落は、その重要な一部なのです。
ここのところはっきりと分かってきたことは、
日本という国は間違いなく衰退に向かっているという現実。
しかし、こういうことを大真面目に考えている人は少なく、
ましてや口に出したり、文章にしてみる人間はさらに少数派。
だから、そのことを念頭に置いて自分の行動を決めている人を
私の周りではほとんど見かけません。
身近な例でいけば、大型の住宅開発。
マンションでも、一戸建てでも、これかの時代に
郊外で大規模な住宅を開発しても、
それを吸収する需要は確実に細っています。
でも、デベロッパーはそのことに気づいているのか、
気付かないフリをしているのか、または本当に認識していないのか、
未だに大規模な開発案件がゴロゴロしています。
買ってしまった土地はいつか事業化しなければならないのは分かるけど、
何も住宅にこだわらなくてもいいのではないのでしょうか。
さらに、わざわざこれから事業用地を買う必要はないはず、なのです。
ただ、企業というものはだいたいが自転車操業。
一旦、「マンション開発チーム」というのを作ってしまえば、
その組織が存続するために、新規の事業用地を買い続ける必要があります。
まあ、需要がいきなりゼロになったりはしないので、
新築住宅を世に送り出してもいくらかは売れるでしょうが、
かつてのようなボリュームに復活することはあり得ないのです。
人間は見たいと思うモノしか見ることができない、というカエサルの名言は
ついこの間このブログでご紹介した通りです。
多くのマンションデベも「あと何年この状態が続くかわからないけれど・・・」と
心の隅で思いながら「あんまり先のことを考えても仕方がない」とばかりに、
目の前の仕事を作り出そうとしているのではないでしょうか。
例えば、野村不動産は「オハナ」というブランドで
郊外立地・大量生産方式のマンション供給に乗り出しました。
これなど、私に言わせれば「時代を完全に逆行」しています。
これからの時代、郊外には大規模なマンション供給を吸収するだけの
需要はほとんどなくなる、といっていいでしょう。
購入者側の立場で考えれば、郊外で供給される
長谷工のチープ仕様なマンションを買うなど、資産的な自滅行為です。
20年後には二束三文の価値しかないと、私は推測しています。
そんなマンションを「今は何とか売れるから」といって、
作っては販売するデベロッパーの企業姿勢に、大きな疑問を感じます。
我々の子どもの世代が30代になって住む家を探そうとした時、
賃貸でも、購入でも「よりどりみどり」状態だと思います。
家賃は、収入の2割以下。
購入するにしても、年収の2,3倍もだせば
割合立派なマンションや戸建て住宅が買えるようになっているはず。
また、本来住宅の価格というのは、その程度でなければいけないと思います。
だから、今の時代は一生懸命に「マイホームを持とう」と思わなくても
そのうち住宅価格が下がってお手頃になるのですから、
のんびりと構えていることで全然OKなのです。
私は常々上記のようなことを、手を変え品を変えて話したり書いたりしています。
でも、どうもみなさんはこの話にリアリティを感じていないようです。
「20年後には、今の貨幣価値で2500万円も出せば三鷹から徒歩8分くらいの場所で、80㎡の中古マンションが買えるようになりますよ」
こんな風にいえば分かっていただけるのでしょうか?
それでも信じない人は信じないでしょうね(笑)。
「また榊が得意の駄法螺を吹いている」
と、思う方が大半ではないのでしょうか?
駄法螺か、正確な予測なのかは20年たってみなければ分かりません。
2500万円と言えば、年収800万円の方なら約3倍ちょい。
15年ローン(1.5%)でも月々15万円くらいです。
三鷹ではなく、西船橋から徒歩7分にすると、
1000万円台で90㎡くらいの中古マンションが買えるでしょう。
つまり、無理せずにマイホームが持てる時代が来ます。
では、20年後には新築マンションはなくなっているのか?
そんなことはないでしょう。
日本には厳然とした「新築信仰」なるものがあります。
今の3分の1か4分の1に市場は縮小しているでしょうが、
やはり新築マンションは供給されているはずです。
でも、中古に比べるとかなりの高値になっていて、
住宅購入者にとっては「特異な選択肢」と考えられているはず。
つまり、どうしても「新築信仰」から抜け出せない人を対象とした商品。
一戸建ては、マンションほど劇的に新築割合は減らないと思います。
というのは、この国の戸建て住宅はまだまだ質の悪いものが多く、
一定の割合で「建て替え需要」が発生すると考えられるからです。
また、マンション自体は狭い土地を有効活用するための居住形態であり、
いってみれば人口膨張期の緊急避難的な住宅のスタイル。
本来は「戸建てに住みたい」という方も、
我慢してマンションを選んでいるのが今の時代。
その抑圧されてきた欲求が解放されて、戸建てを選ぶ人が増えそうなのです。
日本経済が衰退する見返りとして、住宅事情は改善・・・・
喜んでいいのか、悲しんでいいのか分かりませんね。
でも、子どもの世代が我々の様に、
住まいに高いコストを強いられないのは幸いなことと考えましょう。
そのことによって可処分所得が増えれば、
人口は再び増加に転じるかもしれません。
この国を少子高齢化・人口減少に導いた一因は、
ベラボーに高い住居費にもあったこと、ほぼ間違いのないところですから。
レポートを書くために港区エリアにはよく行きます。
ロシア大使館や韓国大使館、中国大使館のまわりには警官がウジャウジャ。
なぜかというと、右翼の街宣車がやってくるから。
そういえば、築地の某新聞社のまわりもそんな感じ。
よく見かけますねえ。軍歌おじさんたち。
私はジロジロ見たりしませんが、あれには誰が乗っているのでしょうね?
「俺、乗ったことあるよ」
という人と先日話す機会がありました。
まあ、考え方は完全な右で、軍装品が大好きなお方。
本格的にそろえておられましたね。
だから、そちら系のお方に知り合いが多いのでしょう。
そして、その時のエピソードをいろいろお聞きしました。
あまり詳しくは書けませんが、いや、いや、面白い。
「困ったことがあったら、いつでも・・・」なんて。
いえいえ、私は結構ですよ。
それよりも、聞いたエピソードで小説が書けないかなあ、なんて。
タイトルは「街宣車、出動!」。あれこれ妄想してしまいました。
その昔、私も熱心に小説を書いたことがあります。
あと一歩で新人賞を逃しました。
しかし、このネタ、面白すぎます。
本当にここで書けないのが残念。
でも、いつか小説に書いてみたいネタではあります。
街宣車に乗っているのは、実に多彩な連中なのです。
本物の右翼さんもいれば、純粋な若者。時に女子。
さらに・・・・おっと、いえません。なんて。
このネタはあまり語れないのでこんなところで。
新宿余丁町コーポラティブ計画の説明会をしていてよく出る質問。
「管理費はどれくらいですか?」
コーポラティブハウスが分譲マンションと違う点は、
管理費などは予め決まってはいないところ。
前にも書きましたが、これは区分所有者の総意で決めること。
つまり、マンションのオーナーは区分所有者ひとり一人。
管理会社をどこにするのか、管理費をいくらにするのか、
長期修繕計画をどうするのか、などということは、
基本的に区分所有者が決めることです。
多くのマンション購入希望者は、そこのところを理解していません。
多くのマンション区分所有者(買った人)も、いま一つ分かっていません。
管理費や長期修繕計画などは、管理会社が決めると思っている所があります。
確かに、新築分譲マンションの場合はこれらのことは決まっています。
売買契約と同時に、管理委託契約書にもハンコを押すことになっています。
これは、普通の分譲マンションの場合は避けられません。
つまり、分譲マンションの場合、購入者は管理費を自分で決められないし、
管理会社も選べないのです。
この習慣が、ほぼ当たり前の現実になっています。
でも、原則論から言えば当たり前ではありません。
私のコーポラティブハウスの場合は、これを原則に戻します。
管理費は、どれだけ管理サービスを受けるかによって異なります。
余丁町計画の場合、管理員さんに毎日来てもらうのか、週3日なのか。
どこまでの清掃業務を委託するのか、などによって費用が異なります。
それは、参加者が話し合って決めればよいことです。
ペットについても同様。
反対者が多ければ、原則禁止にすることさえあり得ます。
分譲マンションの場合は、管理規約は初めから決まっています。
最近、ペット可のマンションが増えたのですが、
困っているのはペットの毛にアレルギー反応を起こす方。
そういった子供を持つ親は、本当に困っています。
新しくマンションが買えないのです。
「なぜ、こんなに管理費が高いのですか?」
先日の相談で、こういう質問がありました。
もってこられた物件資料を見ると、まあまあの割高。
ただし、共用設備その他に管理費が高くなる要因が見当たりません。
なのに、なぜか標準の1.4倍くらい。
逆に、修繕積立金が割安な設定。
こういうのには、カラクリがあります。
まず、管理費と修繕積立金の合計額を安く見せたい、
という分譲会社の思惑があったのでしょう。
そこで、子会社の管理会社に圧力を掛けます。
「月額負担を小さくしろ」
でも、管理会社は自分たちの利益を削りたくありません。
そこで、修繕積立金を少なく設定します。
ところが、「長期修繕計画」なるものを別途策定しておきます。
そして、修繕積立金は5年後10年後15年後という節目節目で
30%ずつくらい値上げすることを管理規約に盛り込むのです。
購入者は、売買契約時に管理規約にも同意のハンコを付きますが
そんな細かな所にまで目を通しません。
入居して4年ほどたつと「修繕積立金値上げのお知らせ」などという
通知が管理会社からシレっと送られてきて、初めて気が付く方がほとんど。
それで、15年もたつと当初月額25000円くらいだった
管理費と修繕積立金の合計が45000円くらいになっていたりします。
そうやって積み立てた修繕積立金はどうなるのか?
20年目くらいに「大規模修繕」という工事が行われ、
ガッポリと管理会社にもっていかれます。
大規模修繕でお金がかかるのは、外壁工事などです。
ところが、外壁を修繕する必要があるかどうかは、
建物の劣化具合によって異なります。
しっかりと建てられたマンションなら、30年くらいは
外壁工事などは不要な場合もあります。
それでも、「長期修繕計画に従って」管理会社は
ベラボーな費用が掛かる大規模修繕を提案してくるのです。
お分かりでしょうか?
多くのマンションで定められている「長期修繕計画」は、
そのマンションのメンテナンスを第一に考えられたものではありません。
「長期修繕計画」とは多くの場合、
管理会社にとっての「長期収益計画」なのです。
管理組合がおとなしい場合、管理会社にいいようにボラれます。
「長期収益計画」の対象にされてしまうのです。
みなさんが払うことになる(払っている)管理費や修繕積立金は、
きちんとした使途に使われているかどうか、しっかりチェックしてください。
民主主義社会では、市民が税金の用途をチェックすることが前提。
でないと、政治家や役人が私利私欲に使うどこかの国の様になります。
マンション管理も同じ。
区分所有者は、自分のマンションの管理費や修繕積立金が
どのように使われているのか、しっかり監視しましょう。
難しいことはありません。
管理組合の総会に出席し、決議資料を熟読するのが第一歩。
そこで「おかしい」と思うことはその場で質問したり、
自分の周りの専門家に聞いてみましょう。
はっきり言いましょう。
管理会社を性善説で眺めてはいけません。
おとなしくしていると、いいようにカモってくる
抜け目のない不動産屋の仲間が管理会社です。
常に監視の目を光らせましょう。
そして、ダメだと思ったら毅然と改善を要求すべきです。
それでも改める態度を見せなければ、管理会社を変更すべきです。
管理会社の変更はさほど難しくありません。
管理組合の総会の「普通決議」で可能です。
つまり、出席者の過半数の賛成。
これは、多くの委任状を握る理事長の決断と等しい場合もあります。
理事長になってしまえば管理会社を変えられるのです。
この管理会社の変更については、また改めて詳しく書くつもりです。
以上 公開講座21
「長期修繕計画は、管理会社の長期収益計 」
半世紀近く生きてきて、なんとなく分かったことは
「どうやら自分はストレスに強い」というか、
ストレスをあまり感じないタイプ(鈍感?)なのか、
幸運にもストレスの少ない人生を歩んできたのか、
ともかく、成人してからは強度のストレスに
悩んだ経験が少ないようです。
もう四半世紀近くも「上司がいない」という社会環境もあると思います。
その代わり、面倒くさい客がいるはずなのですが、
これも「嫌な奴とは付き合わん」というのが基本方針。
「仕事を下さい」なんて、心底から客に頭を下げた覚えもなし。
いってみれば、ずっと「武士の商法」のつもりです。
そんな私を「あいつは商売上手」なんていう輩もいるけれど(笑)。
あとは、やっぱり強度なナルシストなのが幸いしていると思います。
すごくおバカな奴が現れて、私に災いをもたらしても、
「世間の9割はアホや。そう思たらハラはたたん」
といっていた父親の言葉どおりに「寛容と忍耐」のスタンスで構えます。
(まあ、アホはアホなりに一生懸命生きとんのや、しゃーない)
(ワシのように生まれながらにカシコイ人間には、インテリジェントオーレッジちゅうもんがあるさかい、アホは許したらなアカン)
これを言葉にして相手に伝えたら、激怒されるでしょうね(笑)。
でも、自分の心の動揺を抑えるための呪文みたいなものです。
そういう心の「逃げ」をもって生きてきたせいなのか、
メンタル面での危機はほぼありませんでした。
これからはどうか分かりませんが。
ところが、最近「うつ」に興味をもっています。
それは、ちょっとしたキッカケ。
最近は自分が取材されことが多いのですが、
実は「される」よりも「する」方が大好きです。
取材されるのは知識のアウトプットで、するのはインプット。
インテリジェンスの損得でいうと、インプットが得でしょ?
なんてケチな理由もあるのですが、アウトプットの場合は
ちょっと調子に乗るとすぐに「行き過ぎ」てしまいます。
カンタンに言えば、身の丈以上の「エラそー」なことを喋ってしまうのです。
だから、いつも謙譲の心を忘れずに臨まねばなりません。
ナルシストの私には結構辛い(笑)。
喋りすぎて地金が出たな、と思うと後で自己嫌悪に陥ります。
その点、取材する側に回るとラクです。
相手が気持ちよく喋れるような空気を作っておけばいいので、
自分が「行き過ぎて喋る」ということにはなりにくいのです。
特に、面白い話を聞かせてくれる相手だと、ズンズン突っ込んでいけます。
後で後悔することもほとんどありません。
悔やむとすれば「アレも聞いておけばよかった」というようなこと。
数ヶ月前、ダイヤモンドオンラインというネット媒体からの取材を受けました。
やってきた女性ライターさんは、実に聡明で感じのよい方。
一通りの取材が終わった後、お互いの「ライター話」に。
そこで、彼女が最近著書を出したと言う話がでました。
聞いてみると、テーマは「うつ」。
私にとっては、これまでノーマークの分野だけに興味津々。
でも、何にも知らないので「逆取材」も出来ません。
取材と言うのは、事前調査が不可欠なのです。
その時の「うつ」話は不完全燃焼に終わったのですが、
先日「雅子様と『新型うつ』」(香山リカ著)という本を読みました。
実は題名に釣られて買ったら、著者がご活躍中の女性精神科医。
勝間和代さんとの「すれ違い論争」でも話題だっただけに、
それなりに興味深く読ませていただきました。
そこで私は初めて「うつ」なるものを少し認識。
さらに、件の女性ライターさんから最近、別の取材依頼がありました。
「これはチャンス!」と彼女の著書を取り寄せて一読。
いらっしゃったら、今度こそ「うつ」について逆取材をしようと
虎視眈々と待ち構えていたのです。
残念なことに体調を壊されたとかで、取材は無期延期。
でも、彼女が書いた本は面白かった。
その名も「ワーキングうつ」(西川敦子著)。
考えてみれば、私の身近にもそういう方が何人もいました。
「うつ」に対して鈍感な私は、全然気にかけていなかっただけ。
改めて、自分の不明を恥じました。
私は「うつ」を、単なる「負け組病」と思っていたのです。
自分自身、小学生の時に日教組の教師から「精神病だ」という
レッテルを張られた経験以後、心の病についてはそれなりに
知識を蓄えて来たつもりではありました。
でも最近、「前時代の知識」はほとんど役に立たなくなっています。
科学も医学も日進月歩。
精神分裂症は、いつの間にか統合失調症に呼び名も変わっていました。
そして「うつ」は今や日本の国民病ではなかろうかと思えます。
西川さんの「ワーキングうつ」を読んでいると、
「こんなことは、あるよなー」という事例がたくさん出てきます。
そして、世の中には私のようにノーテンキなナルシストではない
ごくごく真面目な人々がたくさんいらっしゃるのです。
そういった方が、「うつ」になっていく・・・
ストレスというのは、ほとんど人間関係が原因ではないでしょうか?
つまりは、人間が「社会的な動物」であり「社会」の中で
自分の居場所を見つけ、生きる糧を得ることでのみ
生存して生殖していくしかない生き物だからこそ、生ずる心理的葛藤です。
人間と比べて、極めて単純な社会を構成するサルの世界では
「うつ」はあるのでしょうか?
多分、ないでしょうね。
彼らの行動基準は、至極単純です。
オスの場合だと、メスと交尾できるか否か。
そのことによって、社会構成の基礎が出来ています。
これは、最近ハマった「サル学の現在」(立花隆著)で読み取れます。
この本、書かれたのはほぼ20年前。
もう、科学的な知見は古くなっているでしょう。
ぜひ、本当の「現在」を伝える続編を出して欲しいですね。
文明と文化を得て、高度な社会を形成したからこそ
ヒトは強度なストレスに悩まねばなりません。
1日に2時間程度しか「餌取り」をしないゴリラは
実にノーテンキで怠惰なようです。
果たして、私たちはヒトになって幸せだったのか?
「競争社会」というのは「野生動物の世界と同じ」なのか?
ストレスに押しつぶされて「うつ」になる人は、
道徳的にはかなりマトモな生き方をしている場合が多いように思えます。
様々なことを考えつつも、やはり人間は自らが
サルの延長線上にあることを忘れてはならないと思います。
欠けゆく月を眺めながら・・・