「いやでも楽しめる算数」なんて本当にあるの?

問題 1本のひもがありました。1回目に40cm使い、2回目に1/5を使いました。3回目には1.2m使い、4回目に残りの1/3を使うと80cm残りました。もとのひもの長さは何cmですか。

私は30数年前に中学受験の準備をしながら「不戦敗」したクチなので、
大きなことはいえません。
でも、こーいう問題は大好きです。
ほいでもって、これはほんの「序の口」。
ただ次のようなのは、ちょっと厄介。
これはホンモノの中学入試問題だそうです。

問題 花火をA町では3分ごとに1発ずつ合計100発、B町では5分ごとに1発ずつ合計50発打ち上げます。同時に打ち上げ始めると、A町とB町の中間地点にいる人は何回花火の音を聞きますか?

そんなもん、いちいち数えてられるかい!
というのが、大方の本音でしょ。
だいたい、3分や5分ごとに花火を打ち上げたりしまへんがな。
花火大会というのは、ドドドドッカーン・・・ドドンドンドドンと
景気よくやってこそ意味があるもんでっしゃろ?
それに花火大会なんぞは6時間もぶっ続けでやらしまへんで。

 

と、同じようなことをこの本の著者も書いておられます。
よく「文章題は国語の問題でもある」などと教えられたものですが、
この歳になってつくづく思うことは
「文章題は出題者の拙い国語力を読み取る問題」なのです。

ウチの子が近所の公立中学校に通っていた頃、
定期試験の間際にはよく臨時の家庭教師をやらされました。
その時、数学の教師が作ったというプリントの問題を解かされるのですが、
毎回のように感じたことは「日本語のレベルの低さ」。
素直に読むと、答えが出せないのです。
そこで、その教師の不完全な問題文の向こうにある、
隠された意図まで読み込んでやらねばなりません。
ほとほと「アホらし。なんで低能教師のフォローまでせなあかんね」
という気分になりました。
その教師が日教組的な発言をしていると聞くと、ますますムカっ腹が立ちます。
まあ、それはどーでもいいことですが。

ただ、良質の文章題を解くのは今でも、
ちょっとした探偵気分になれる面白さがあります。
「ホラ・・・こういう風に考えて・・・なるから・・・こうで・・・だから、答えは・・になるんだよ。ね、あっているかどうか答えを見てごらん?」
と解いてみせると、「アッ、あってる。お父さんスゴイ!」
と、実にお手軽にガキどもからの尊敬を勝ち取れるワケです。

ところが、どういうワケか世間では「算数」と「数学」を苦手にしている方が多く、
私の様に「算数大好き」人間はかなり少数派。
ましてや、「文章題大好き派」なんて、ほぼお見かけしません。
特にお母さん方に「苦手派」が多いように思えます。
そういう方がこの本読むと、算数がメキメキ分かって
子どもに教えられるようになる・・・というワケではありません。念のため。
正直に言ってしまえば、算数をネタにヒマつぶしの手助けをしてくれる程度。
でも、くだらないミステリーを読むよりもかなりマシです。

実際、このシリーズの傑作は「おもしろくても理科」だと思います。
手元にはないので、ちょっと中身は紹介できませんが。
理科というものをかなり身近に感じられました。
もともと嫌いではないのですが。

そして、このシリーズの何とも抱腹絶倒なのが西原理恵子の「え」。

 

ハッキリいって、清水義範氏の書く内容をフォローしないばかりか、
何とか茶化してやろうという好戦的悪意に満ち満ちています。
そこがまた、絶妙な組み合わせになっていて全編で笑わせてくれます。
このシリーズ、サイバラ画伯なしでは成立しなかったでしょうね。

昨日はテレビで西原さんの「毎日かあさん」がある日。
ウチでは、みんなで笑いながら見ています。
もっとも日曜日のあの時間、私はたいてい台所にいるので
チラ見しているだけです。
でも、面白いですよね、アレ。
映画にもなったみたいなので、いずれ観てみたいですね。

西原氏は「算数の九九」ができないそうです。
それでも、立派に生きています。
むしろ、「立派以上」と言っていいでしょう。
だいたい、学校で教えてもらうことの中で、
その後の人生で直接役に立つことがどれほどあるでしょう?
小学校で7割、中学校で4割、高校2割、大学・・・ほとんどゼロ。
というのが私のざくっとした見立て。
もちろん、就いている職業にもよります。
弁護士や医師などは大学で学んだことを十全に活かせますね。
でも、例えばそこらへんでくだらないマンションを
作ったり売ったりしている不動産屋になるのだったら
わざわざ大学で経済学や経営学を学ぶ必要はありません。
せいぜい高校ぐらい出ていれば十分。
場合によっては中学卒業でも大丈夫でしょう。
実際、「そのレベル」の方々が大半です。

「国際経済学部」なんてのを卒業しているのに、
「国際」にも「経済」にも、ほぼ無関係な仕事をしているような人は
そこいらじゅうに掃いて捨てるほどいますね。
実際、私は「政治学科」を卒業していますが、
政治に関係あると言えば、このブログとツイッターでほざいている
駄法螺話を書くのに少しだけ役立つくらいです(笑)。

「役に立った」「立たない」ということで考えれば、日本の大学の大半が
「壮大な無駄」あるいは「制度的モラトリアム機関」のように思えてきます。
ドイツの様に、14歳くらいで適性試験を課して、
「高等教育」への向き・不向きを判定。
大学へ行く適性のない方は早期に「専門職教育」を受け始めた方が、
その人の人生にとってよほどプラスではないでしょうか?

算数というのは、そういう大学教育への「適性」を判断するために
存在すると思えば、それなりに納得できます。
もっとも「好き」「嫌い」は厳然としてあると思いますが。


2011/5/16 15:58 Comments (0)

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