世界の政治的な構図が、大きく変わろうとしています。
これから、アメリカと中国は本格的な「対決の構図」になります。
前にも書きましたが、新しい冷戦の始まりですね。
これって、ものすごーくエポックメーキングなことです。
でも、メディアではあまり報じられませんね。
国際情勢の大きな動きは、歴史を知らなければ理解が深まりません。
いつものように、ちょーカンタンに説明しますね。
アメリカという国はこの100年、外交で失敗に失敗を重ねてきました。
だーれもそんなことを指摘しませんが、歴史を見れば分かります。
アメリカという国は19世紀まで、新世界の新興国でした。
モンローという大統領が、ヨーロッパ世界を敵視。
「新大陸のことに干渉するなよ」という宣言をしました。
いわゆるモンロー宣言です。
その後、南北戦争を経て国力を蓄えました。
20世紀に入ると、もはやその実力は無視できないほどになります。
1905年、シオドア・ルーズベルト大統領は日露戦争の講和を仲介。
それより、アメリカは東アジアへの権益拡大を図ります。
それはひとえに「日本を抑えて支那の勢力を助ける」という方針。
その頃、日本は東アジアの新興勢力です。
それもかなり目を見張るばかりの新進気鋭な国でした。
明治維新(革命)からわずか40年足らずで、
巨大な軍事国家であるロシアを打ち破っています。
日露戦争後、アメリカは一貫して日本に敵対的な政策を取ります。
その逆として、支那大陸の勢力には宥和的です。
やがて清朝は辛亥革命によって滅びます。
その後は、ほぼ無政府状態と言っていいでしょう。
蒋介石の国民党政府が支那大陸を支配しかけた頃、
日本との紛争が激化します。
その頃、日本も軍部の出先機関が増長。
満州を軍の支配下に置こうとしました。満州事変。
歴史をたどれば分かりますが、日本政府は決して
戦争を望んでいません。満州事変も盧溝橋事件も、
政府が主導で行ったわけではないのです。
まあ、シベリア出兵は大いなる失敗ではありましたが。
1937年の盧溝橋事件以後、日本と国民党の中国は
ほぼ戦争状態となります。この時、アメリカはどうしたか?
完全に蒋介石の政府に肩入れします。
陸軍航空隊の正規部隊まで派遣して国民党を援助。
さて、その頃ヨーロッパではどうなっていたか?
ヒトラーがヨーロッパを席巻していました。
最近、チャーチルの映画が話題になっていますが、
イギリスもヒトラーの前に崩れかかっていました。
チャーチルは何とか踏ん張りました。
ヒトラーはイギリスを諦めてロシアに攻め込みました。
ロシアはスターリンという化け物が支配していた国。
ヨーロッパでは「ヒトラー対スターリン」の
戦いが1941年から始まったのです。
この時、アメリカはどうしたのか?
全力をもってスターリンを支援したのです。大間違い。
ヒトラーとスターリンを比べてみましょう。
どっちの悪人度が高いかというと、完全にスターリンです。
殺した人間の数が桁違いです。
ヒトラーは恣意的にユダヤ人を600万人殺しました。
しかし、私はその数に疑念を抱いています。
今の世の中、日本やアメリカやイギリスではかなりの
レベルで言論の自由があります。しかし、例外もあります。
その数少ない例外のひとつがナチスとヒトラーです。
この冬、私は若いドイツ人を自宅のゲストに迎えて
東京のあちらこちらを案内しました。
上野のアメ横に行った時、軍服を扱うお店で彼は
鉤十字マークの記章を見つけました。
「これはドイツなら完全に違法な商品だね」
ドイツではナチスやヒトラーに対する賞賛は違法です。
鉤十字マークの旗でも記章でも、人前に出しただけで逮捕。
それって、真の意味で言論の自由を侵害しているでしょう。
韓国で親日的な発言や著作が違法になるのと同じ状況。
私から見ると、何とも違和感がある状況です。
日本でも「ホロコーストはなかった」という特集を組んだ
文藝春秋社の「マルコポーロ」という雑誌が、即座に休刊。
あの不可解な事件は20年ほど前に発生しました。
ああいった主張には一定の論拠があったと私は思います。
つまり、ヒトラーはユダヤ人たちをただ殺す目的だけで
収容所に送り込んだわけではありません。
彼らに奴隷労働をさせることが目的だったのです。
ただ、それだけのことを主張しただけで雑誌は休刊。
まさに言論封殺ではないですか。
スターリンはヒトラー以上に残虐でしたね。
ソ連領内だけで少なくとも2000万人を殺したと推定されます。
1945年に中立条約を破って満州になだれ込んで、
日本人を数十万人も殺しました。
日本軍の兵士を60万人拉致して何年も奴隷労働させました。
平明に考えて、スターリンとヒトラーを比べれば、
歴史から早めに消去すべきはスターリンでした。
同様に、東アジアにおいて日本と支那大陸の蒋介石を
比べれば、アメリカにとってやりやすいのは日本でした。
文明国であったし、アメリカへの敵対心もほとんどなし。
ところが、アメリカは20世紀の半ばにおいてヨーロッパでは
ソ連のスターリンを、東アジアでは支那の蒋介石を
ほとんど「全力で」といっていいほど支援しました。
その諜報人はFDR。フランクリン・デラノ・ローズベルト。
結論的に言えば、20世紀の後半はFRDの失策の尻拭いに
終始したのがアメリカの外交政策といえます。
まず、ヨーロッパでは連合国が勝ったものの
東半分はスターリンのソ連に分捕られました。
その後、冷戦が終結する1990年までの半世紀近くの間、
東ヨーロッパの人々が塗炭の苦しみを味わったのは
ひとえにFDRの失策の責任です。
東アジアでは、日本帝国が完膚なきまでに叩かれて壊滅。
支那大陸では蒋介石の国民党政府が一時は精力を
回復しましたが、この腐敗政権がもつわけもなく。
アメリカにとって制御不能な共産党政権が成立。
その後、アメリカは30年ほど支那大陸とは絶縁状態。
その間、朝鮮やベトナムにおいて支那の共産党政権と
間接的な戦争状態に陥り、不本意な結果を受け容れました。
アホかいな、の世界ですね。
日本帝国と仲良くしておけば、そういうことはなかったはず。
やっと共産党政権と誼を通じたのは1970年代の終わり。
アメリカは日本を「タダで守る」という
公平に見て過剰な負担にあえいでいました。
日本帝国と西太平洋を二分していれば、
そういう負担を背負うこともなかったのに。
支那大陸の共産党政権に対して、アメリカは
「応援してやるよ」という関与政策を続けてきました。
特に歴代の民主党政権は中国に甘く日本に辛かったですね。
FDRも民主党であったことを忘れてはなりません。
その結果、どうなったか。
中国は経済的に肥え太って、今やアメリカに迫る経済規模。
アメリカ的な価値観をほとんど受け容れようとせず、
「中国の夢」と嘯いています。知的財産を盗みまくり。
南シナ海を自国領と主張するなど、やりたい放題。
チベットや東トルキスタンでは何百万人もの
無垢の市民を殺しています。
日本は明治維新以来、西欧的な価値観を受け容れました。
アメリカに戦争で負ける前から、日本は民主主義国でした。
知的財産を盗んで悪用するような振る舞いもほとんどなかった国。
しかし、支那大陸のあの政権ははなからそういう謙虚さがありません。
今、アメリカは軍備負担のない日本や知的財産をタダで盗む
中国の工業製品を輸入し、自国の農産物を輸出している国。
貿易は赤字なので単細胞のトランプは不快感を露わにしています。
「そんなん、お前らの失敗のせいやん」と私は思います。
今後、アメリカは中国を抑えにかかります。
中国がアメリカを超える経済大国になることを妨害するはず。
その第一歩が今やっている貿易戦争なのです。
それはあくまでも「始まりの始まり」
今後、アメリカはかつて日本をいじめたおしたように、
中国の国力をそぐ政策を次々に打ち出していくはず。
共産党政権が転覆するように様々な工作も積極化。
まさに、新たな米中冷戦が始まったと考えるべきですね。
しかし、それはアメリカがこの100年、
外交政策を失敗し続けてきた尻拭いの政策なのです。
結局、アメリカはいつもの通りに自分たちの失敗は認めません。
そして、目の前にある現実の変更を求めます。
「まあ、勝手にやったらええやん」
日本はそういう立ち位置に居るのがいちばんです。
を開催することにいたしました。
不動産の売却に関して、価格や時期でお悩みの方のご相談を
わたくしが無料で受けさせていただきます。
会場はいつものところです。
開催日時:4月21 日(土)13時~17時
開催場所:セトル 4階会議室
(東京都中央区日本橋横山町4−11 「馬喰横山」駅より徒歩1分)
4月21日土曜日の13時から17時まで、
私が相談会場におりますので、どうぞご自由にお越しください。
とくにご予約などは不要です。
ただし、順番におうかがいしますので、
ちょっと待っていただくかもしれません。
ちなみに、前回の参加者は2組様。
待ち時間はゼロでしたが
次回も同じようになるかどうかは分りません。
上の住戸、私の提携しているいつものセトルさんが専任で預かっています。
「榊さんに案内して欲しい」と言うことなら、
私が現地をご案内することも可能です。
どうぞ、ご遠慮なくお申し出ください。
さて、早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校での
私の講座が、5月に再び開講されます。
なんと90分を1日に2回。それが2日間の集中講義。
5月12日と19日。いずれも土曜日。13時から16時30分まで。
ビジター受講料13,413円。みなさーん、ぜひご参加を。
No comments yet.
RSS feed for comments on this post.