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※順不同・敬称略で掲載しています。

アキヒロ君、確かあなたは日本生まれだったので
あえて日本風に呼ばせていただきますね。
先日は我が日本国竹島をご訪問くださったようで、
日本国民としては誠に慶賀の至りと存じ上げます。
しかし、それ以上に残念なことは何のお構いも出来なかったことです。
願うらくは当方から歓迎委員会を派遣して、
アキヒロ君を盛大にお迎えしたかったのですが、
何分かの地は蛮族に不法占拠されておりまして、
我が政府の実効支配が及んでおりません。
せっかくお越しいただいたのに、
花束はおろかお茶の一杯も差し上げられなかったことに、
日本国民の一人として強く遺憾の意を表明いたします。
あの島を不法占拠している蛮族というのは誠に困った連中です。
実はわが国もその昔、かの蛮地に近代の文明をもたらし、
そこに住む未開の蛮族どもに知の光明を与えるべく、
35年ほど教導の努力をいたしたのですが、
どうも覚えの悪い連中でございまして、
67年前に我々が引き上げると、また元の蛮性に立ち返っただけでなく、
今では以前にまして暴虐無尽に振舞うようになりました。
まあ何といいましょうか、「恩知らず」というだけなら
我ら日本国民の寛容さをもって対処することも出来るのですが・・・
端的に申せば「恥知らず」かつ「無知蒙昧」でございまして、
我々日本人のみならず世界中から顰蹙を買っておるのが現状。
例えば、世界の多くの国がかの蛮族にもつイメージは
男なら犯罪者、女は売春婦というのが一般的です。
まあ、主要輸出品のひとつといっていいでしょう。
その他には、生まれたばかりの赤ん坊。
驚くべきことに、これも彼らの主要な輸出品でございまして、
その野蛮性の深さをご理解いただけると思います。
そして困ったことに、わが国の刑務所にもかの蛮国を
故地とする人々が実にたくさん収容されております。
暴力団員に占める割合も、相当に高いそうです。
しかし・・・かえすがえすも残念なのは、あと2、30年も
わが国がかの蛮族を教え、導いてやれば少しは文明を身につけ
今よりかはマシになったのではないかということ。
わが国が50年ほど文明化を助けた台湾には、
「日本精神」が今でもいきずき、立派な文明国に成長していますから。
思えば百年前、わが国がかの蛮族を教導せんと誓っとき、
あの連中のひどい様といったら目も当てられませんでした。
産業といえば原始的な農業のみといっていい状態。
商業はどういうわけか忌み嫌われ、ほとんどないに等しき有様。
王は統治せず、百官は汚職にまみれ、党派に分かれて合い争うのみ。
民衆は塗炭の苦しみに何百年も耐えていました。
王の住む街ですら、道端には糞尿が撒き散らされて悪臭に満ち、
小屋とも呼べないような貧相な建屋が立ち並ぶだけ。
人々はうつろな目をして覇気がなく、それでいて頑迷固陋。
かの地を訪れた西洋人たちが、そのあまりの酷さや
人々の蒙昧さに驚いた記録がいくつも残っています。
それでいて、宗主国である支那の使者がやってくると、
王は街の外まで出向いて額を地面に何度も擦り付け出迎えるのです。
また、毎年のように国富を削るほどの多大な貢物を
支那の皇帝に献じなければなりません。
その貢物の中には、支那人たちの奴隷になる女性たちも含まれていました。
誠に野蛮としか言いようのない状態が、
わが国の大正時代まで続いていたのです。
しかし、わが国は「かの地を文明化せん」という強い意思の元に
巨額の資金を投じて様々な施策を行うと共に、
民衆に対して慈悲深い啓蒙の手を差し伸べたのです。
道路を造り、鉄道を敷き、上下水道を整備しました。
土地の登記制度を導入して、私有財産制を確立。
全土に学校を設け教師を派遣し、児童に対して初等教育を施しました。
それまで読み書きすら出来なかった蒙昧の民に対して、
まずは母国語の字を教えるため、連中が数百年蔵にしまっていた
「ハングル」なるみょうちくりんな文字さえ掘り起こし、
その使用を奨励したのも日本人だったのです。
しかし、日本がアメリカとの戦争に敗れ、
さらには卑劣なソ連の裏切りにあってかの地を去ると、
ようやく文明化の端緒にあったものが、逆戻り。
日本がサンフランシスコ条約において独立を回復する
ドサクサにまぎれて竹島を占領してしまいました。
竹島がもとより日本領であることは明白。
日本は度々国際司法裁判所での決着を持ちかけたのですが、
法的に精査すると日本領であることが明確になってしまうので、
かの蛮族どもはそれをかたくなに拒否。
そのまま吏員を駐在させ、ヘリポートを造り、現在に至っているのです。
そういうワケで李アキヒロ君、貴君が先日我が最果ての領土を
訪問してくれたにもかかわらず、さしたるお構いができなかったのですよ。
きっと貴君は、真夏の避暑のつもりだったのでしょうね。
聞けば、今貴君のまわりは相当に「熱い」そうじゃありませんか。
兄上は何か不都合がって、身柄が司直の手に委ねられているとか。
それ以外にも、一族郎党から不肖の輩が続出しそうな気配だそうで。
貴君自身にも、なにやら怪しの影が迫っているとも聞きますよ。
だいたい貴君の前任者たちでマトモな生涯を全うした人は何人いますか?
必ず身内から罰当たり者を出して、任期終盤はズタズタ。
離任後は逮捕されるか、自殺するか、よくても非難ゴウゴウ。
まあ、そういう「熱い」ところを抜け出して、最果ての島で
一時の涼を得たい気持ちは十分に同情に値しますね。
だからあんなに短い時間でなくて、
思い切って1週間くらい静養なさればよかったのですよ。
まあ、とはいえあんな辺鄙な日本の領土にでも来てくださったことは、
日本人の一人として、歓迎の意思をお伝えしたいと思いました。
ただ、次回はわが国から歓迎委員会が派遣できる
状態になってからお願いしたいものですね。
だって、ロクなおもてなしができませんから。
私は東京に住んで、ほぼ四半世紀になります。
その間、ずっとマンション業界の周辺をウロついておりました。
大半は広告制作プロダクションの経営者として、
広告代理店から依頼される仕事をこなしていました。
当然、そのまた向こうにいる広告のスポンサーである
マンションデベロッパーや販売代理の方々との打合せに出ます。
ただ頻繁に打合せに出席する、というだけでなく
時には接待の場に呼ばれて、太鼓持ちのようなことも致しておりました。
それ自体、私にとってさほど苦でありません。
むしろ楽しいくらいのものです。
ただ、時々すごく虚しくなったのは、
代理店やスポンサーから「あきらかにおかしな理屈」を押し付けられ、
それに唯々諾々と従わなければならなかった時。
(ワシはいったいこんなところに来て何をしてるんやろ?)
そう思わずにはいられなかったのです。
新築マンションの広告を作るという仕事は、
冷静に考えればかなり「アホくさい」ことばかりです。
だいたい、ロクでもないマンションを広告上では褒め称えて
それを見る人の判断力を鈍らそうとすることが目的ですから。
考え方によっては罪悪感さえ生まれてしまいます。
私は多分、20数年で1000物件以上の広告を作ってきたはずですが、
そのうち「これなら自分で買ってもいい」と思えたのは
10物件もなかったように記憶しています。
つまり、99%は「これを買ったら不幸になる」と思えるものばかり。
ある意味ではそういう不毛の作業を日々繰り返すのですが
それはそれなりに面白さも感じられるもの。
つまり「こんな表現をしたら客がくるのでは」と考えながら
様々な提案を繰り出す作業は、けっこう刺激的なのです。
それがうまくいってたくさんのお客さんに来てもらうと
「やったー」という嬉しい気分になったりします。
逆に、ワケの分からない理由で自分の提案が否定されたり、
どう考えても「アホらしい」ことをさせられると、げんなりします。
まあ、そういったことはどこの業界にもあるでしょう。
でも、不動産広告の世界には今でも独特の悪習がはびこっています。
最近、私は不動産以外の広告の仕事も
ちょくちょくさせてもらうのですが、歴然たる違いは次の3点。
1. 紳士的(常識的)である
2. 理屈が通る
3. 正常な納期が守られる
すこし解説すると、まず「不動産屋は滅茶苦茶なことを言っていい」
という不文律みたいなものがあの業界には厳然と存在するようです。
むしろ、滅茶苦茶であるほうが尊敬されるような蛮性が潜んでいます。
次に「不動産屋はバカな方がいい」というのも連中の共通認識。
あまり深くモノを考える人間には似合わない職種であると
業界中の人間が思っているフシが感じられるのです。
最後に、「業者は使い倒して、殺してもいい」くらいの認識が、
あの業界の隅々にまで行き渡っています。
だから、不動産広告に携わる人間には等しくM性が要求されます。
とある著名な制作会社の経営者は、自らを「ドM」と称しているそうです。
残念ながら、私にはMの性根もそれを装う演技力もありません。
では、どうやって四半世紀も過ごしていたかというと
「アホをまともに相手してもしゃーない」
自分は連中よりも賢いのだから許し、受け容れる寛容さが必要、
と自らを勝手に高みに立てて心をスルーさせてきたのです。
それでも、それなりにストレスは溜まります。
そんな私を救ったのは、やはり読書でした。
20代の終わり頃から40代にかけて、寸暇を惜しんで本を読んでいました。
それで知的な刺激を自分に与え続けて、自らを慰めていたのでしょう。
「知る喜び」と「知らないことへの恐れ」こそ
あの頃の自分を支えてきたエネルギーの源でしょうか。
読む分野は様々。
歴史や国際関係、政治、経済が多いのですが、自然科学もよく読みます。
小説も2,3割混じっているはず。
残念ながら、住宅関係は1割もありません。
この分野、なぜか良書が少ないのです。
ただ、建築の分野にはそれなりに読ませる本がありますね。
非常に残念なことは、読んだ本について
他人と語り合う機会が極端に少ないこと。
仕事上で接触が多かった広告代理店の営業さんは
だいたいが体育会系か同様の体質を持った方ばかり。
読書好きなんて、まずいません。
クライアントである不動産屋さんは前述の通りで、ほぼ話になりません。
雇っていた社員は、ほとんどがデザイナーさんたち。
つまり、仕事上でインテリに遭遇する機会は極めて稀。
たまに仕事以外で出会ったインテリや、学生時代の友人と会って
知的な会話が楽しめると宙に舞うような気分を味わいました。
そんな時、つくづくと「自分は道を間違えたか」と感じたもの。
私は今でこそ周りからインテリだと思われていますが
学生時代はただの貧乏なチャラ系男子。
ゼミ以外の勉強は単位を取れる程度にしかしておりません。
ですから、とても大学院に進学するタイプではなかったし、
当時はそういう気持ちもほとんどありませんでした。
でも、中年になってから「3流でもいいから学者になりゃよかった」
と思ったものです。
同じアホを相手にするのでも、そのポジションが
「客」と「生徒」では全然々ストレスが違うはずですから。
それで、一時期社会人を受け入れる大学院進学を考えたほど。
しかし、やはり仕事以外に多くの時間が取られ、お金もかかります。
家族を養わなければならないので、結局は実現しませんでした。
そんな日々を送ってきた30代も半ばの頃、ふと気づいたのです。
私には他人の意見をなぞったりしなくても、
多くの事象について自分の考えを打ち立てて、
それを表現することができる、という平凡にして驚愕すべき事実に。
つまり、自分の中に基礎教養の柱みたいなものが出来ていたワケです。
何度か同じことを書きましたが、
私がこのブログで「支那」という用語を使うと、
当初の頃は「人種差別」だと非難のコメントを寄せる方がいました。
正確にいえば「人種」ではなく「民族」に近いのですが・・・
まあ、そんな低レベルの話はどうでもよいとして。
中には「放送禁止用語だからいけない」と言ってくる方もいました。
ちゃんちゃらおかしな話です。
私は「自分の使う言葉を放送局に決めてもらおうとは思わない」そして
「自分で使う言葉を自分の基準で選べる程度の教養は持ち合わせている」
と、回答しました。
放送局がこういっているから、どこどこの学者がああいったから、
アメリカの誰々が唱えているから、朝日新聞に書いてあったから・・・
フェイスブックを見ていると、平気でそんなことを言っている方がいます。
あるいは、あたかもそういいたげなウォールが上がっています。
まあ、付帯資料として紹介するだけならいいのですが
誰々が・・・いっているから・・・しなければいけない、という主張は、
私に言わせれば「教養がない」人が「私はバカです」と
世間に宣伝しているようなものです。
不思議なことに、原発反対派はほとんどがこの類です。
私は、「自分のアタマで考えることができる」と確信した時、
ほぼ同時に「自分は知的自由を得た」という、
えも言えぬ喜びがひたひたと胸に湧いてきた記憶があります。
何というか、やっと一人前の文明人になれたような気分です。
それが30代だったように記憶していますから、まあ遅咲きですね。
英語にはリベラル・アーツ(Liberal Arts)という言葉があります。
Liberal Arts Collegeという大学もあって、
これは中々日本語に訳しにくいようですね。
日本の大学の学部で行っている一般教養とは全然違うもの、
と私の同志社の恩師である麻田貞雄先生は言っておられます。
これは、その麻田先生が2008年に出された本。
1950年代にグルー奨学金でアメリカに留学された麻田先生が、
カールトンというリベラル・アーツの大学で学んだ時の様子が
イキイキと描かれていて、当時ただ一人の日本人学生であった
麻田先生の八面六臂の活躍をワクワクしながら読めます。
淡々と描かれてはいるのですが、隅々に先生の情熱があふれています。
しかも、何とも読みやすい!
わが麻田先生は学者の割にはやけに文章がお上手なのです。
まあ、自分の恩師だからというのも多分にあるのですが、
ここ2,3年に読んだ本の中ではかなり秀逸。
先生は完璧主義者なので、自分の留学体験記であるにもかかわらず、
脚注や索引までいっさい手を抜くことなく、まさにパーフェクト。
ここまで細かに気を配ったメモワールを読んだのは初めてです。
先日、この本を読んだ感想をメールで先生にお送りしたのですが、
昨夜のメキシコ戦が始まる直前にご丁寧な返信をいただきました。
先生は、私が送った感想のメールで「リベラル・アーツ」とは
「知的自由を得るための教養」と考えたい、と申し上げたところ、
「それは非常に立派な定義」だとご賛同いただいた上に、
卒業生が何年も経ってから、突然リベラル・アーツに目覚め、それに則した人生を送るようになる。この知的開花の種を播いたのが、私のゼミであったとすれば、「教師冥利」に尽きると思います。
とまあ、このように私が飛び上がって喜びそうなお褒めの言葉を
何か所もメールの中に散りばめてくださいました。
おかげで、昨夜はメキシコ戦の前に興奮状態に陥り、
ウイスキーをがぶ飲みしないと寝られなくなったのです。
まあ、そんなことはどーでもいいのですが。
私の中でリベラル・アーツの芽が出始めたのは、
前述のとおり30過ぎだったように記憶していますが、
麻田先生は22歳でイエールの大学院に進まれる時に
すでに身に着けておいでだったと思います。
数年前、私によく敬意を払ってくれる若い方から
「榊さんのような教養って、どうすれば身に付くのですか?」
と聞かれたことがあります。私は答えました。
「そうですね、まず2000冊ほど本を読むことです」
でも、ただ読むだけではダメです。論語にもこうあります。
学んで思わざれば則ち罔く、思って学ばざれば則ち殆し。
読みながら、読んだ後で、よく考えることでしょうね。
でないと、あのつまらない原発反対派の人々みたいになってしまいます。
私は「考える」「学ぶ」ということの基礎を教えてくれた
麻田先生に、いつもながら深く感謝しています。
でも、私はまだまだリベラル・アーツの端っこに達しただけですが。
本日、東京は雷雨。
久しぶりに雷の音を聞いて、ドキっとしました。
しかし、たまにはいいものです。涼しくなりますし。
1年間に10時間もテレビを観ない、と公言している私が
ここのところ、毎日オリンピックを見ています。
なかなか「金」が出ませんね。
でも銅や銀はたくさん出ているので、それなりに楽しめます。
ただ、日の丸が一番上に上がって君が代が流れる場面は、
銀や銅とは全然違う感動があるものです。
支那の国歌が流れる表彰式は、見たくありません(笑)。
それでチャンネルを変えるとバラエティばかり。
まあしかし、くだらない番組の多いこと多いこと。
低予算でそこそこ面白いものを作ろうとするとああなるのでしょうが、
結局テレビ局は「緩慢な自殺」をしているようなもの。
テレビでしかできないことは何なのか、もっと真面目に考えるべきです。
でなければ、10年後はさらに衰退していると思います。
さて、政局もタラタラ動き出しましたね。
自民や他の野党が内閣不信任案を出すそうです。
民主党から15人ほど裏切り者が出ると可決されます。
もし、解散総選挙になると消費税増税法案はどうなるのか?
民主党は大幅に議席を減らすはず。
自民党は多少増えるでしょうが、過半数は無理。
もちろん、小沢党は滅亡の危機。
増えるのは維新とみんなの党です。
先日、当事務所へ取材にやってきた某大手新聞社の方に聞いた話だと、
維新の会の候補者名簿にはそうとう「ヤバイ」方が混じっているそうな。
今日発売の一部週刊誌でもすっぱ抜かれていますね。
民主党の小沢党も「なに、こいつ?」みたいなのが
ウジャウジャ混じっていますが、維新だって急ごしらえの所帯ですから・・・
それでも、かなりの議席は確保しそうです。
はてさて、どうなることやら。
私は案外、選挙後は自民+民主+公明の連立政権ではないかと思います。
つまり負け組既成政党の弱者連合みたいなもの。
首相は自民党から出すのでしょうが、誰になろうと低支持率間違いなし。
日本の政治はまた数年、タラタラと停滞。
その間、経済はあいかわらず下降を続けるでしょう。
かといって維新+みんな+他の連合政権になっても
またぞろ大混乱になるだけのような気がします。
どっちに転んでも、起死回生の政権ができる見通しはゼロ。
我ら国民は結局、「自分の面倒は自分で見る」ことを基本に
それぞれが力強く生きていかなければいけなさそうです。
まあ、余談は置いといて・・・・
今日のマンションの話題は、とあるデベロッパーの話。
あえて実名を出してしまうと、住友不動産です。
この会社、実に不思議です。
新築マンションの供給数は上位にランキングされています。
つまり、大手の中の大手といっていいでしょう。
それで、もし「完成在庫ランキング」というものがあれば
私は間違いなくダントツの金メダルだと推測します。
「シティタワー」とか「シティハウス」、「パークスクエア」の
ブランド名で全国的にマンションを開発分譲なさっています。
私は主に首都圏の物件を日常的にウォッチしていますが、
もう本当に「完成在庫の山」といっていいでしょう。
「よくあれだけの在庫を抱えていられるなあ」と
私の周りの業界通たちが不思議がっているほどです。
それでいて、決算では悠々と黒字を計上しているから
「いったいどういう仕組みになっているの?」と
常々から奇怪におもっているところ。
決算書を細かくチェックしても「よう分からん」という世界。
その住友不動産が最近広告会社のコンペを行った、
という、これまた奇怪な話を聞いてしまいました。
「ええ、またいったい何のコンペをするの?」と
私は思わず叫んでしまったほど。
通常、マンションデベロッパーが広告会社のコンペを行うのは
キャンペーンの企画や広告表現の内容を競わせるのもの。
しかし住友不動産のマンション広告は、言ってしまえば無味乾燥。
物件のパースや写真がメインビジュアルで、
キャッチコピーはマンションの規模や場所を語るだけ。
つまり、並みの技量をもったクリエイターなら誰でもできること。
広告屋が「夢のある」提案をしてもことごとく否定されます。
100%物件に由来した表現は、住友不動産の方針であったはず。
「もしや、あの方針を変えるつもり?」
なんてことは、まったくあり得ないのです。
しかも、広告会社への発注料金は業界の最低水準をも下回っています。
これは、日本経済社という日経新聞の子会社が
数年前に業界掟破りのダンピングを行ったことで成立したのですが、
誰がどう見ても「うまくいかないだろうな」という低額受注でした。
あんのじょう、あっちこっちで綻びが生じている模様。
それが、今回のコンペの内容をよく聞いてみると、
その最低レベル以下の料金をさらに下げようとする見積コンペだそうです。
まあ、他の業界の言葉で言えば、単なる「入札」。
「ホンマかいな?」と思いましたよ。
「あれはねえ、ダチョウ倶楽部コンペですよ」
といっていたのは、コンペに参加したある広告代理店幹部。
私は前述のようにテレビを観ないのでよう知りませんが、
ダチョウ倶楽部のギャグは「どうぞ、どうぞ」らしいのです。
つまり、みんな本音では「受注したくない」と思いながら参加。
とはいっても「辞退します」となると角が立つので
「がんばってます」というポーズだけ見せているだけ。
だってあんな低料金だと、それこそすべての作業を
支那やベトナムでやらないと広告会社は赤字になってしまいます。
しかも、住友不動産のたちがわるいところは、パンフレットに
誤植などのミスがあると全部刷り直しをさせること。
マンションの広告にはパンフレットやチラシその他ツール類など、
今でも膨大な印刷物が発生します。
文字や表現を間違えるミスは当然に起こり得ます。
それを防ぐために校正作業というものがあります。
しかし、量が膨大であるため、時には誤植も発生するもの。
そういった時、責任は誰が取るべきなのか?
本来、スポンサーである住友不動産側も校正しているはずなので、
責任の一定割合を分担してしかるべしでしょう。
また、誤植があった場合の民法的な解釈では
「請負人の瑕疵担保責任」(634条以下640条まで)が適用されるはず。
まあ、解釈にはいろいろありましょうが、一般には
「注文者は請負人に対し相当の期限を定めて、其瑕疵の修補を請求することを得」という634条が当てはまるでしょう。
つまり、パンフレットなら誤植部分にシールを張って対応、
ということでも十分なはずだと私は思います。
それを全部刷り直させるのは、下請法いうところの
「親事業者による下請事業者に対する優越的地位の濫用行為」
にあたると私は解釈したいのですが、いかがでしょう?
まあ、そのような法律問題は別にしたとしても、
各広告代理店として住友不動産の仕事は
「請けたくない」というのが本音だと思います。
それを知ってか知らずが、業界最低水準以下の料金を
さらに引き下げようとして見積もりコンペをする
住友不動産という会社は、相当に面の皮が厚いようです。
その皮の厚さが請負業者側にのみ向いていれば
これはただの業界内輪話で終わるのですが、
エンドユーザー側にも同じように対しているのであれば・・・・
この会社は、今では市場価格に比べて割高になったマンションを
平気で定価販売していることからして、相当に要注意です。
住友物件をご検討される場合は、「なぜ売れていないのか」
という基本的なことをよくお考えになるべきですね。
その住友不動産の完成在庫が無残な姿をさらしている
湾岸エリアの2つのレポートを更新しました。
パークタワー豊洲もまだ高い!
「豊洲」マンション市場
価格 4,490円
シティタワー有明、ブリリア有明の停滞
「有明」エリア
価格 2,980円
みずから「メジャーなんちゃら」と名乗っているある大手デベロッパー。
親会社はインサイダー取引がバレて経営者が辞任。
商売も左前で、近々三菱東京UFJグループへ身売りの噂。
まあ、そんなことはどーでもいいのですが・・・・
このデベの最近の広告路線の大方針は「人気物件化」だそうです。
なんでもかんでも「このマンションはすごい人気で売れています」
ということをアピールするわけです。
まあ、それ自体は昔からどこでもやってきたことですが、
最近はとみにそれが先鋭化しているようです。
「・・・・で一位」
というのを、やたらといいたがるのです。
あるいは「・・・・なのは当物件だけ」と
最後にテメーらのマンションがひとつだけ残るロジックを訴えます。
いずれも無理くりに作り上げた図式で、まあ取るに足らないモノばかり。
資産価値とは関係ないモノもかなりあります。
例えば、こんな感じ。
「年間3000戸以上のマンションを供給しているのは全国で6社」
「そのうち、年間300億円以上の広告費を掛けているのは3社」
「その中で、親会社が証券会社なのは、当社だけ」
これを、テメーらのマンションでやるのです。
持ってくる指標は、自分たちが「残りひとつ」になれれば何でもOK。
これって、とっても虚しい話です。
だって、その物件の非常に偏った一面しか見せていないからです。
「原発は危ない」→「それを管理する原子力ムラはインチキ」→「だから原発をやめよう」
みたいに、非常に単純な論理の軌道をまっすぐに走らせて、
最後は「契約」にストンと落とそうと狙っている思惑が見え見え。
しかし、原発問題同様、こういう子供だましのストーリーに
やすやすと騙される方が大勢いるのでしょうね。
だから、彼らは平然とああもインチキ臭いロジックを
何億円ものお金をかけてキャンペーンしているワケです。
いつかここでも解説した「登録申込即日完売」という珍妙な表現が、
この安手の人気化路線の有力な武器として使われています。
今、このデベが販売している物件で「登録申込即日完売」に
なっていないモノを探す方が難しいくらいです。
このブログを読んでくださっている方は、
せいぜい惑わされないようにしてください。
何千万円、あるいは億以上のモノを買わせようとするわけですから
連中もアノテコノテで様々な幻惑術を仕掛けていきます。
でも、そこは頭をクールにして判断しましょうね。
このクソ暑い日が続くというのに、新聞を読むとあっちこっちで
いじめを苦にした中高生の自殺が頻発しているようです。
子を育てている親のひとりとして、何とも胸の痛むことです。
いじめというのは、人間が社会を形成している限りなくなりません。
小学校だけではなく、あらゆる人間社会に存在します。
どんな優れたシステムを導入しても、
人間が人間である限り起こり得るでしょう。
人間とは弱いものです。
常に他人と自分を見比べて、不要な優越感や劣等感をいだきます。
他人に対して不必要な憎悪や蔑みの心を持ちます。
他人の善意ではなく、悪意ばかりを想像する人も多いもの。
人間社会がそういった劣情を克服した人格者ばかりになると
いじめなどという問題はなくなるはずです。
でも、そんな人格者は千人に一人もいやしません。
私自身は当然凡百のひとりですし、自分の人生の中でも
おそらく一人か二人いたかどうか・・・というところ。
つまり、いじめというのは起こらない方がおかしいのです。
おおよそ公立の小中学校において、何らかのいじめが
発生していないところなど、ほとんどないことを前提にすべきです。
「我が校にはいじめはありません」
などという校長がいれば、そいつは
「わが家の台所にはゴキブリなど一匹をいません」
とほざいているのと同じです。
まあ、そういう破廉恥な言動を臆面もなく言ってのけられるのが
公立小中学校の校長がもつ職業特性ではないかと思います。
自分の子どもを公立の小中学校に通わせている親ならば、
おおよそ学校側の職業的な誠意などというものに
これっぽっちも期待すべきではありません。
連中は、自分たちの立場を守るためなら平気で嘘をつきます。
担任として預かる子どもの精神的な安定よりも、
自分の公務員としての身分の保全を優先します。
この傾向は日教組の教師により強い傾向があるように思えますが、
たとえそうでなくても、十分に注意した方がいいでしょう。
こと公立学校の教師に対しては、親として性悪説で臨むのが正解です。
かといって、ハナから喧嘩腰で挑みかかるのもよくないですね。
というか、連中を相手に怒鳴りつけたりする必要はまったくありません。
実は、公立校の教師というものは、長年日教組がバカな闘争をしたせいで
官僚組織のどこからも保護を受けられない仕組みになっています。
つまり、学校で起こったことはすべて担当教師と
その管理者(校長など)に責任を押し付けるシステムが
ほぼ全国的に確立されています。
いじめが原因で怪我や自殺が発生した場合、その学校はほぼ孤立無援で
保護者やマスコミからの攻撃に対応しなければなりません。
上部組織は味方というよりも、むしろ敵です。
だから、彼らは本能的に「何も起こらない」ように、
あるいは「起こっていない」ように装おうとするのです。
そんな無責任極まりない連中を相手に、親はどうすればよいのか?
答はいつもの通り実にカンタン。
彼らの「事なかれ」本能を逆手にとって脅し上げるのです。
一番簡単なやり方をお教えしましょう。これは誰でもできます。
まず、自分の子どもが学校でいじめなど何らかの理不尽な境遇に
晒されていると気づいた時は、何よりも取り乱さないこと。
最初にやるべきことは「何が起こっているのか」を
可能な限り正確に知ることです。
そのためには、自分の子どもから聞き取るのが一番です。
これは、普段から親子間に自然なコミュニケーションがないと
中々難しいかもしれません。
しかし、こちらが一生懸命になれば、きっと子どもは心を開きます。
そして、子どもがあなたの眼を見て言ったことは100%信じましょう。
おおよその事態を把握したら、自分で解決策を用意します。
「相手の子を登校停止にする」
「担任の教師を変える」
「クラス替えをする」
といった学校への要求内容を決めたら、
電話や手紙で校長にコンタクトを取りましょう。
そして中一日くらいの時間を空けて面会日を決めます。
当日もちろん、ボイスレコーダー持参です。
校長室に入ったら、そこに誰がいても最初の5分は黙っていましょう。
「・・・さん、いかがでしょう?」
と聞かれたら、それまでの話題の如何に関わらず以下の様に答えます。
「私は本日、・・・(子どもの名)が・・・たちにいじめられているので、この問題を解決していただきたく、ここに参りました。私としては・・・君は学校に来てほしくありません。登校停止にしてください。それ以外に解決法はありませんので、・・君の登校停止を要求します」
そう言ったら、誰が何を言おうと5分から10分は黙ってください。
そのうち、司会役の教頭か学年主任がしびれを切らします
「・・・さん、いかがでしょうか?」
そこで、一拍おきます。
「で、・・・君はいつから登校停止にしていただけるのですか?」
そのあと、また5分間沈黙。
誰が何を言っても一言も口を開いてはいけません。
それで、また「・・・さん、いかがでしょう?」ときたら、
「私は、自分の子どもが理不尽なイジメから解放されるために・・・君の登校停止しかないと思ってここにまいりました。そして、ハッキリそう申し上げました。もし、・・君が登校停止にならずに、今後何かの問題が起こった場合は、すべて学校当局の責任です。今日、私がここで申し上げたことは、当方から関係監督庁の主要な担当部署すべきに何らかのカタチで知らせておきますので、ご承知おきください」
そこまでいったら、一同をねめつけてください。
そして、静かに立ち上がります。
「それでは、私ははっきり要求を申し上げましたので、これで失礼します」
そのまま、お部屋を出てまっすぐ家に帰りましょう。
引きとめられても、決して部屋に戻ってはなりません。
以上でOKです。
もちろん、このやり方では相手を「登校停止」にすることも
学期の途中で「クラス替え」や「担任の交代」を実現することはできません。
しかし、「あなたが要求した」という事実はのこります。
教育委員会や都道府県の教育課、文科省の担当部局に
事実を書き記した手紙やメールを書留などで送っておくとさらに確実。
でも、ボイスレコーダーだけでも十分です。
だいたい、学校側はあなたがそれを「送るかもしれない」と思い続けます。
そして、これ以上に状態が悪化すると、
あなたからさらに厳しく追及される恐れがあり、
怪我や自殺につながるとほぼ完全に職務怠慢の誹りを逃れられません。
連中は必死になって(ちんけな自分の公務員人生を賭けて)、
「事なかれ」に邁進するはずです。
つまりは、学校側から最悪事件防止への最大の配慮がなされるのです。
これでたいていの問題は「深刻化を抑制」(解決ではない)できます。
親として可能なことは、ここまで。
あとは子どもたちが自分で解決するしかありません。
こういったやり方を「やりすぎ」だと思われる方は多いかもしれません。
しかし、未だに日教組が何十%も交じっている集団を相手に戦う場合は、
性悪説の上にも性悪説を塗り重ね「教師を見たら日教組と思え」くらいの
警戒心で臨まないと、いいようにごまかされて何も解決しません。
一番いいのは、公立校には通わせないこと。
これは、私自身が高校まで公立であった体験と
自分の子どもを公立小学校、中学校に通わせた親としての経験から
申し上げていることです。
しかし、こればかりは様々な制約があり、
すべての方にとって可能な予防策ではありません。
だから、必要であればモンスターペアレント風の要求を
公立校に対して敢然と行うことに躊躇してはいけません
自分の子どもを守るのに、世間体や地域社会との軋轢などどうでもいいこと。
本当に子どもを守れるのは、親と本人しかいませんから。