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※順不同・敬称略で掲載しています。

ここで何度か取り上げた「液状化の街・新浦安」のお隣に
「舞浜」というところがあります。
ディズニーランドに行くときに降りる駅なので、
首都圏では誰でもご存じだと思います。
あそこはアメリカネズミの街として知られているだけでなく、
実はちょっとした高級住宅街なのです。
当然、ここも液状化したようです。
全550世帯のうち、400世帯が何らかの液状化被害に遭ったといいます。
まあ、お気の毒という他ありません。
当然、不動産としての資産価値も低下しているようです。
現在発売中の「フライデー」に
「液状化の街」と化した浦安市舞浜 「資産価値は今」
という記事が掲載されています。
こういう記事には、よくお呼びがかかるようになりました。
今週初めに、関西から帰ってくるや否や取材を受けています。
この記事には詳しく載っていませんが、
舞浜3丁目には何人か鼻持ちならない方々が住んでおられるようで、
ひそかに分譲企業であった三井不動産レジデンシャルに働き掛け、
何らかの補償を引き出そうとなさっているようです。
はっきりいって、分譲した企業には法的責任が何もありません。
分譲後2年以内だったら、あるいは瑕疵担保責任を負ったかもしれませんが、
10年も20年もたってしまった今では何もなし。
法的な責任が無いにも関わらず三井が補償すれば、
株主代表訴訟の対象になるのは間違いありません。
三井不動産や京成電鉄の株主の方は、ぜひこの件の帰趨に注目してください。
そもそも、有象無象が年から年中たむろしていて
実に騒々しい駅を最寄りとする戸建て住宅が、
普通に1億も2億もしていたこと自体、私から見れば
「なんかおかしいんじゃないの、それは・・」。
分譲会社がブランディングし、買う人間が洗脳されたことで
ちょっと歪な市場価格が形成されていたのです。
でも、この震災液状化で一気にメッキが剥げました。
そういった意味で、健全な姿が現れたのだと思います。
さて、今日はもう一件、私がメディアに登場しています。
それはネット媒体の「ダイアモンドオンライン」。
この中の
派遣も年収200万円層も「夢のマイホーム」を持てる!?
“空き家大国”ニッポンで家を買う「可能性」と「危険性」
という記事に、私が顔写真入りで登場。
主に「年収200万円からのマイホーム戦略」という拙著をベースに、
先日の取材を加えた記事を掲載していただきました。
こちらは記事のボリュームもあるので、私の登場部分も多め。
もう一人の取材先である石川貴康さんのパートも中々読ませます。
私と幾分波長も合っていて、大いに共感。
今は昔みたいに「気合を入れて」家を買う時代ではなくなりました。
「買った方が負担の軽くなる人は買えばいい」
「買う、所有する、ということが目的にすべきでない」
これが私の考えです。
家を買わなければ一人前でない、というのは今は昔の価値観。
それも、高度成長期以後に広まったものではないでしょうか。
夏目漱石だって、一生借家住まいだったのです。
家を持たなくても、十分に幸せに暮らせます。
逆に、無理な住宅ローンは、放射能以上にガンの素です。
2泊3日で関西へ行っておりました。
といっても大阪は通っただけ。いたのは、京都と神戸です。
京都でヤボ用を2つほど片づけ、宴席をひとつ。
神戸は17年ぶりくらいでしょうか。
前に行ったのはあの震災前でした。
でも、私は22歳から24歳までの2年間、
神戸で住んでいました。
最初の1年は垂水、後の1年は三宮。
今回は三宮のホテルに泊まって、垂水で一杯。
垂水はかなり変わっていました。
三宮はどこがどう変わったのか、よく分かりません。
それだけ、震災の痕跡が払拭されているということですね。
何と言っても、あれからもう16年ですから。
それにしても、神戸というのはいい街です。
海があって、山もあって、感じのいい街並みがあります。
京都の様に、どこかツンとすましている敷居の高さがありません。
大阪みたいに、猥雑な賑やかさや街並みの無秩序さを感じません。
そして、空気の流れは1テンポゆっくりとしています。
それにしても、見事に復活していました。
今回の東日本大震災で被災した、気仙沼や釜石、陸前高田などの街が
何年か後には神戸の様に蘇るといいですね。
それも、以前に戻るのではなく、さらに魅力のある街に再生すべきです。
さて、昔の職場の先輩から別れ際に「これ、ワシの書いたんや」といって
本を一冊、超割引価格で押し売りされました。

阪神間モダニズム 近代建築さんぽ
藤村 郁雄 (著), 沢田 伸 (監修), 松尾 稔
ホテルに帰ってパラパラと読んでいると、これがなかなか。
東京の人はあまり知らないと思いますが
「阪神間モダニズム」という建築のムーブメントみたいなものが
明治後期から昭和初期の阪神エリアに起こっていたのです。
別にどうということはありません。
当時でいう「かっこいい」建物を、このエリアにいろんな人が建てました。
外国人建築家もいますが、洋行帰りのサラリーマンが
そのへんの町の大工に建てさせたものもあります。
この本は、そういう建物を40ほどカラー写真付きで紹介しています。
文章は「建築は素人」を自認する、例の先輩。
正直な感想は「藤村さん、ようこんなめんどくさい仕事したなー」。
でも、あの茫洋とした御仁がなさったにしては、隅々丁寧です。
「阪神モダニズム」を語る上には、なくてはない1冊でしょう。
『こんなええ本、もっと広めなアカンやん。
さっそくアマゾンで中古本にだして、300円くらいで売りとばそ』
と思っていたのですが、帰りの新幹線で本の端が少しへしゃげたようです。
ですので、書棚にしまっておいて、来る人来る人に見せましょう。
昨日、ホテルのベッドに寝っころがりながら、
この本を読んでツラツラ考えました。
『こんな古い建物、なんでアノ地震で潰れへんかってんやろ』
だって、1981年の新耐震基準から、軽く半世紀は前に建ったものばかり。
あれだけ多くの建物が倒壊したにもかかわらず、
こういった「名建築」はキチンと今に姿をとどめているのです。
当時、これらの「名作」を作った建築家たちが、
半世紀後に起こる阪神淡路大震災を予見していたワケがありません。
ところが、あの16年前の地震では、鉄筋コンクリートの建物が
いくつも崩落や倒壊しました。
いったい、どういうことなのでしょう?
我らが厄介な隣人たちが住む半島南部の国では、時々大きな橋が落ちたり、
鉄筋コンクリートの建物が、何もしないのに崩れたりします。
デパートの建物が営業中に崩壊して、多くの人が死んだ事件もありました。
ところが、彼らが「さんざん収奪された」とする「日帝36年時代」に
当時の総督府が作った橋や建物が、自然に倒壊したなどということは
未だに一度も聞いたことがありません。
もし、そんなことがあれば連中は大騒ぎするでしょう。
要は、建築設計の完成度、現場の施工技術、そしてディテールの精度が
建物の強度に大きく影響しているのではないでしょうか。
もちろん、地盤の質も大いに関係するでしょうが。
さて、建築関係でもう1冊ご紹介しておきましょう。
こちらは「建築の玄人」が3人ほど集まって、
世の中の「名建築」にあれやこれやの難癖を付けている本です。
カラー写真は付いていませんが、中身は秀逸です。

「建築」の「芸術性」というと、ほとんどの人は距離感を抱きます。
「そんなもの、何がいいのか分からない」みたいに。
実際、私もマンション関係の仕事を始めるまでは、
建築なんぞには何の興味もありませんでした。
その良し悪しもよく分かりませんでした。
今でも、うんちくを語れるほど知識があるわけではありません。
でも、ちいとばかり長くそういう目で建物ばかり見ていると、
自分なりの「審美眼」みたいなのが芽生えます。
も少しくだけた言い方だと「好き嫌い」です。
これはもう、人によって全然ベクトルが違うものですから、
かなり「取扱注意」の感覚です。
でも、自分の「眼」をもつと、建物をみる楽しみが膨らみます。
街を歩いていて、ちょっと変わった建物に出会うことが
自分の中では「大きな出来事」になるからです。
まだ、建築には何の興味もない方も「人生の楽しみ」を
ひとつ増やすために、ぜひこの世界を覗いてみてください。
そういった「眼」は、ご自身の住宅選びにもきっと役立つはずですから。
「東大の稲 恭宏」という博士は、
年間876ミリシーベルトまでOKと言われているそうです。
「ほんまかいな?」という疑問は残ります。
しかし、1年間で何回もCTスキャンを撮った方が、
白血病や癌になったという話は知りません。
また、年がら年中高い放射線を浴びている
国際線のスチュワーデスやパイロットの職業病が
ガンや白血病とも聞きません。
逆に稲博士のように放射線による様々な病気への治療は、
現実に行われており、まずまずの成果を上げているようです。
最近、放射能については「冷静派」と「大変派」に分かれた観があります。
つまり「どうってことないよ」という冷静派と
「大変だ、日本は滅ぶ」という大変派です。
すごーく分かりやすいのは週刊誌。
週刊ポストと週刊新潮は「何を騒いでいるの?」という冷静派。
これに対して、今にも日本がダメになると騒ぐのが「週刊現代」と「週刊文春」。
私は、時々不動産関連で「週刊現代」に取材協力しているので
「大変派」に組みしたいところですが、
本音で言えば完全に「冷静派」です。(「現代」さん、ゴメン)
ただ、科学的な根拠があっての冷静派ではありません。
ただの「直感」です。
だって、未だ誰も放射能で死んでいないじゃないですか。
そりゃあ、民主政権も東電も隠蔽体質ですから、
本当は何人か死んでいるにも関わらず、隠しているのかもしれません。
でもね、我々は基本的に自由主義の国に住んでいます。
「放射能には塩が効く」とか「放射能の雨に溶ける」といった
デマが公然とまかり通る近隣諸国ほど、お馬鹿で疎漏な国ではありません。
一人や二人が死んでいるのは隠せても、10人20人なら無理です。
つまり、まだ放射能が原因で二桁の死人は出ていない可能性が高い、ということ。
逆に、30km圏の避難エリアで、「避難指示」が出たことが原因で
適切な医療が受けられずに亡くなった方は何人かおられるようです。
お気の毒と言うほかありません。
この「冷静派」と「大変派」のどちらが正しかったのかは、
いつになったら決着がつくのでしょう?
このまま福島第一の「廃炉」が進んだ場合、
それは10年後くらいにおおよその方向が見えるのではないでしょうか。
というのは、今の感じではすぐに死ぬ人はいなさそうです。
長期的に見た健康への影響がどうなるのか、
綿密な調査データを統計するしかなさそうです。
チェルノブイリではどうだったかの?
IAEAは4000人、WHOは死者9000人というデータを上げています。
でも、原発反対派の学者には「100万人」といっている人もいます。
実際のところ、当時のソ連は社会主義で情報開示度ゼロ。
世界のどこにも信頼に足るデータがない、というのが現実ではないでしょうか。
一方、アメリカのスリーマイル島では、公式には死者は出ていないようです。
それが真実と言い切るつもりはありませんが、
インチキな社会主義国ソ連と一応は自由主義を標榜するアメリカを比べれば、
私はスリーマイル島の「死者なし」は現実に近いと想像します。
さて、非常に気になる現象があります。
今回、週刊誌は別として「大変派」には「サヨク系」の方が多そうに思えること。
「サヨク」というのは、20年前なら「社会主義者」と
ある程度ダブっていたのですが、今はそのあたりが曖昧。
菅直人君も、学生時代は完全な「社会主義者」であり、
警察庁にはしっかりとファイルが保管されているそうです。
別に、「社会主義者だった」というだけで断罪するつもりはありません。
団塊の世代で大学に行った方は、多かれ少なかれそうです。
社会主義というインチキに一度かぶれたのは麻疹みたいなものです。
精神的に「完治」していれば何ら問題はありません。
でも、未だにそれを引きずっている・・・というのは問題です。
アレは、わかりやすくいえばカルトみたいなものです。
自分で洗脳から脱した方はよいのですが、
未だにそれを引きずっている輩は、非常に始末が悪い状態です。
人生のところどころに、その灰汁が浮かび上がります。
今回の福島第一の事故は、まだ洗脳から脱し切れていない人々に、
かつてのマインドコントロールを一気に呼び覚ました観があります。
いっせいに原発の非を唱え始めました。
それは、今の多くの国民の想いとも付和雷同するので、
「多数派」としての陶酔感も彼らを励ましています。
「週刊金曜日」なんていう、ほぼ死に掛けていた
サヨク系の雑誌まで息吹を吹き返しています。
こういう現象を見ると、私はかなりキケンな匂いを感じます。
日本国民は敗戦以来、GHQの贖罪教育のおかげで
かなり歪な精神構造を持つに至りました。
国家公安委員長が、過去に隣国で反日ストに参加していた・・・
なんて他の国ではまず考えられないような珍奇な現状があります。
でも最近、徐々に普通の状態に回帰しつつあると感じていました。
昨年、暴慢な隣国の漁船が我が沿岸警備艇に「衝突」し、
その船長が逮捕された事件の処理を現総理が間違えたとき、
国民はいたって健全な反応を示しました。
ああいう時、旧サヨク系の人々はにわかに沈黙します。
しかし、原発事故が起こってからは、やけに元気です。
あの人々が復活して、日本にいいことは何もありません。
それが証拠に、菅君が首相になって、日本にいいことは何かありましたか?
旧サヨクの人々のマインドコントロールを解く事は容易ではありません。
私は、まず無理だと思います。
それについて、私は何らかの努力をするつもりは毛頭ありません。
それこそ「バカは死ななきゃ直らない」という気分です。
ただ、問題は子ども達。まだ、何も知らない人々。
「原発に絶対反対」というのもいいでしょう。
確かに、相当ヤバイことも事実ですから。
でも、冷静に眺めることも必要です。
「大変派」の話ばかり聞いていると、明日にも日本は壊れそうです。
でも、実際は全然大丈夫でしょ?
今でも多くの原発が安全に稼動し、我々に電気を送り続けています。
それに、だーれも死んでいません。
これから死ぬ人も、そんなに多くないでしょう。
津波は2万人以上を殺しましたが、放射能がそれ以上殺すとも思えません。
こういう時に「冷静になれ」といっても難しいかもしれません。
でも、後になってみれば「バカみたい」ということ
なる可能性がかなり高いと私は想像します
前にも書きましたが、武家の躾の第一は
「取り乱すでない」
つまり、少々のことで大騒ぎするな、狼狽するな、ということ。
つまらないことで取り乱すことは、それこそ「名に恥じる」こと。
土岐源氏の傍流、紀州和歌山藩の下級武士の我が家は、
私から数えて5代前から商人ですが、なぜかそういう
武張ったところだけは私まで受け継がれています。
ところで、「宝島」という雑誌が面白い特集をしています。
「震災で不動産『大激変』」
実は、私もかなり取材協力をさせていただきました。
コメントもいっぱい載っています。
はっきりいって「遠慮会釈なく」書いていただいています。
面白い、と断言いたしましょう。
価格も580円とお手ごろ。
どうぞ、読んでみてください。
先日、またしても不意にわが事務所に昔の仕事仲間が集まり、
おのずとダラダラ酒盛りが始まってしまいました。
私はもう、不動産広告の世界から半分足を洗っているので、
低ストレスな日々を送っておりますが、昔の仲間はまだまだドップリ。
まあ、何ともお気の毒です。
その席で「髪の毛、染めているの?」と聞かれてしまいました。
いんエ、髪の毛なんかテレビ出演の日以外は梳くこともございません。
ましてや染めようなどとは考えもしません。
そいでもって、散髪屋さんがあきれるほど「髪が多い」のです。
白髪はチラ・・・・くらいでしょうか。
ノーテンキでナルな性格がそのままアタマにでています。
実は、今年度は次女が通う小学校で「PTAお父さん会」に入っています。
この間から2回の会合、1回の飲み会に出てまいりました。
「私は最年長だろうな」と思いつつ参加したら、
4歳年上の先輩がおいででした。
ただ、中心は30代から40代前半まで。
それでも・・・頭髪が私の様にほぼ青年のママ、という方はかなりの少数派。
減少や変色などで、原形が想像できない方が多数派でした。
ほとんどがサラリーマンなので「ストレス多いんだろうな」と、やや同情。
まあ、それでもボランティアのPTAサポートをなさろう、
という方々だけあって大半の方が善人の顔相。
不動産屋や広告屋さんの平均よりも善人度は高いと感じました。
さっきも、取材に訪れたライターさんと話していたのですが、
広告屋や不動産屋というのは「誰かを騙す」のが仕事の一部ですから、
自然と人相も悪くなっていきます。
まあ、善人のままでいることもできますが、そういう人は出世しません。
不動産広告というのも、広告業界では「鬼っ子」のような存在。
それをやらずに食えるのなら、誰も手を出さないでしょう。
時々「不動産広告が大好き」と公言する人がいますが、
そういう方は得てして「それしかできない」部類の人々。
まあ、10年もやっていれば、他はできなくなりますけど(笑)。
例えば、広告の世界にはいろいろな「賞」があります。
それなりに権威のあるものから、くだらないものまで多種多様。
でも、不動産広告がメジャーな賞を取ることは、皆無とはいいませんが超レア。
つまり、広告マンにとって不動産広告をやる魅力は、
「数字づくり」以外にほとんどない、といっても過言ではありません。
それだけ嫌われている理由は、やはり特殊性でしょうね。
旅行や流通の広告は「面倒臭さ」で嫌われています。
でも、不動産広告が嫌われる最大の理由は、
その「面倒臭さ」プラス不動産業界ならではの特質。
無理難題は山のようにふっかけられるし、時間はタイト。
そして、ほとんど正論は通じません。というか「論」がない世界。
それでいて、横柄で傲慢な連中がウジャウジャしています。
「アタマのあったかい」方がやたらと多いのも、あの業界ならでは。
もちろん、全部が全部とはいいませんよ。
でも、どう見ても他の業界に比べれば、
かなりはっきりとそういう特質が認められます。
そこから生まれてくる広告ですから、
業界独特の空気を見事に体現しています。
1 話が大げさ
2 本質に関係ない内容が多い
3 誤解を招きやすい(故意的)
4 デメリットを悪質にごまかす
5 ほとんど絶叫
6 洒落っ気が皆無
例えば、こういうコピーを恥ずかしげもなく打ち出します。
RAINBOW village構想
今までにない●●●●の街、はじまる。
これを関西風に突っ込むと
「そんなもん、同じ街が二つもあったら困るわい。当たり前のことやないかえ。そもそもRAINBOW villageて何やねん。大阪のなんばに『虹のまち』ちゅーのがあるけど、何を勝手にパクっとんねん。だいたい「village」てゆうときながら『街』とはどーいうこっちゃ。国語も英語もおかしいで。もう1回、小学校から勉強し直してこいや」
とまあ、こうなります。
まさか、こんな幼稚な広告に騙される方が多いとは思えません。
でも、こういう広告をするマンションに人が集まると、
「こういう表現がいいのか。よし、では次もこの路線で」と
即物的にお考えになる方が多いのが、アノ業界。
場所が変わって、モノが変わって、ターゲットが変わっても
「ああいうのを作ってください」となります。
まあ、普通にモノを考える方には向いていません。
不動産広告の制作というお仕事は。
といいながら、20数年もやってきた私は、
このようにすっかり捻くれた性格になりました。
「それは、元からやろ!」と、自分で突っ込んでおきます。
実際、ああいう広告でも人が集まったりします。
広告に騙されるのではなく、価格的な魅力でやってくるのです。
それが証拠に、市場価格よりも低い価格設定のマンションは、
ロクに広告など打たなくても、短期間で完売しています。
折り込みチラシや、ポストへの投函を一度もやらなくても
完売してしまうマンションだってあるのです。
つまり、本当に「おいしい物件」は、ド派手な広告などしません。
こそっとネットに情報を流し、あっという間に完売しています。
鈍い人は、そういった存在に気付かないでしょう。
だから、新築マンションの購入を検討されている方は、
自宅に入ってくる広告を待っているだけでは
ロクでもない物件にしか出会えない可能性が高いのです。
そして、毎週毎週チラシが折り込まれたり、
ポストに投函されている物件は、紛れもなく「不人気物件」です。
つまり、価格とモノのバランスが悪い物件。
ハッキリ言ってしまえばモノの割には高くて売れない物件です。
しかし、だからといってそういうマンションのモデルルーム出かけると
営業マンが揉み手で迎え、低姿勢な態度で
「買ってください」と頼んでくるとは限りません。
さらに、売れ残ったからといって、必ず値引きをしてくれるとも限りません。
アノ業界の人々は、未だに「売ってやる」という
時代錯誤も甚だしい感覚を持っているケースが多いもの。
下手をすると「会社丸ごと」そういうゴーマン体質だったりします。
実に困ったものです。
でも、みなさんはまず「広告に騙されない」ようにしてください。
明らかに違和感のあるイメージビジュアルや、
さっと読んだだけでは何を言いたいのか分からないコピーは、
「見なかった」ことにして、情報だけを吸い取ってください。
あまりにもド派手なイメージや、タレントが出ている場合は、
売主側にとって「隠したい」デメリットがあるのでは、と勘繰ってください。
新築マンションは、広告だけ見るといかにも華やかなイメージを抱きます。
でも、何年か住んで中古で売りに出すときには、
誰もそんな広告なんて出してくれません。
いってみれば、裸の状態で流通市場に出ていかねばならないのです。
この「裸の状態」の時に見えるものが、その物件の「本当の姿」です。
新築マンションは派手派手しく着飾り、
厚化粧をした「よそ行き」の姿。
その衣装やメーキャップの役割を担っているのが「広告」です。
以上 公開講座16 「マンションの広告を信じるな」でした。
唐代に詩仙と呼ばれた李白は
「李白 酒一斗 詩百篇 長安市上 酒家に眠る」といわれたそうな。
このあたり、さすがに「白髪三千丈」のお国柄。
日本じゃ「一升酒」を嗜めば立派な酒豪ですが、
あちらの詩仙はその十倍お飲みになって、百篇の詩をもののすといいます。
はるかに及ばぬながら、私は深夜に一杯やりながらブログを更新しております。
どういうワケか、私は一人で酒を飲むと形而上のことを考える癖があります。
形而上、といってもそんなにコムヅカシイことではありません。
元が合理主義者ですから、いたって現実に近いことが多いのです。
最近、ツラツラと考えているのは「電気」のこと。
「おっと、また原発問題ですかい」と、ご期待の向きは少々お待ちを。
後ほどその話題にも触れます。
ちょっと大仰な言い方をさせていただくと
「電気というのは近代文明の根幹」
であることについて、改めて考えているのです。
人間は、この電気の存在を知り、その操り方を覚えたことで
現在のような文明社会を築き上げたといってよいかもしれません。
卑近な話を致しましょう。
最近、歳のせいか、不摂生のせいか、単に姿勢が悪いのか、
それとも働きすぎか(それはなさそうだけど)、腰痛に悩まされています。
ところが、よくしたもので「緊急避難」的にこれを軽減する方法があるのです。
実は、今もそのお世話になりながらこの原稿を書いています。
それは「低周波治療器」というモノ。
これを15分やれば、ともかく一時的には軽快します。
すでにお使いの方はご賛同くださると思いますが、
これはかなりのスグレモノです。
仕組みはよく分かりませんが、低周波の電流で患部が刺激されるのです。
この低周波が、まるでプロのマッサージ並の働きをしてくれます。
カラダがピクンピクンと動いて、何とも心地いい。
この低周波治療器を動かしている電気の素は、なんと単4電池2本。
使っている私自身、不思議でなりません。
単4電池2本分の電力で、70ウンkgの私のカラダがピクピク動くのです。
そして、何とも気持ちよく腰痛がほぐれていきます。
人間のカラダというものも、基本的には電気信号で動いている、
という話を何かで読んだ覚えがあります。
指一本動かすのも、脳から電気信号で指令を送るとか。
だいたい、我々の脳がいろいろと思索をめぐらすのも
すべて電気的な働きだそうです。
だから、その微弱な電気を捉える「脳波測定」なんてのがあるのです。
私は、幽霊とか霊魂とか言うものがもしあるのなら、
それは浮遊した電子の塊ではないかと考えています。
つまりは、幽霊も電気的な存在。
そういったことを真剣に研究している人もいるそうです。
まあ、その手の与太話は別の機会に別の場所で。
どういう効能かは説明できませんが、
この低周波が腰の辺りの「痛み」の原因を、
一時的に蹴散らしてくれるのは確かです。
人間は、この「電気」というものの存在を知り、
それをある程度操れることになったことで、
この功利的な文明を飛躍的に発展させました。
その結果、今の我々の快適な暮らしがあるワケです。
でも、ちょっと冷静に考えれば、人間が電気を操り始めたのは
たかだかここ百数十年くらいのことです。
日本に限れば、一般家庭に電気が引かれたのは
せいぜい1920年台くらいからではないでしょうか。
それでも、世界的に見ればかなり早いほうだと思います。
李白の子孫達が暮らす厄介な隣国では、
未だに電気のない生活をしている人が何億人もいるはずですから。
1945年8月、この厄介な隣国に派遣されていた旧帝国陸軍は、
戦闘では敗北していないものの、連中に降伏することになりました。
一切の武器を引き渡すことになったのです。
ほとんどの支那派遣部隊は、整然とそれを行いました。
小銃や大砲などは、あの連中も十分に使い方が分かっていました。
まるでブリキのおもちゃのような戦車も、引き渡されました。
連中は歓喜してそれを受け取ったそうです。
「操作方法を教えろ」という要求にも従いました。
でも、そこで非常な困難が生じました。
戦車砲の撃ち方は分かるのだけれど、バッテリーが理解できないのです。
というか、生まれてこの方「電気」というものに接したことない者に、
それが何かを説明するのは、ほぼ無理だったそうです。
そういう話を、戦車部隊の少尉だった司馬遼太郎さんが
何かのエッセイで書いておられたのを思い出しました。
日本人はここ3世代ほど、生まれたときから電気のある暮らしをしています。
一家庭で百点はくだらないだろうと思われる電気製品を
日々使いこなしながら生活しています。
もう、それがなければ生活が立ち行かないのは
この春に計画停電を体験なさった方は如実に感じておられると推察します。
「電気がなくなる」ということが、どれほど恐ろしい現実なのかは、
この震災によってまざまざと理解できたのではないでしょうか。
我々は、それが当たり前にあることに、なんの疑問も抱いていませんでした。
でも、現実は非常に危うい状態になっています。
今の日本社会は、電気が無条件に供給されることを前提に成立しています。
その電気の源の、電力を生産するために、地球上に存在する
あらゆるエネルギーを電力に変える仕組みが考え出されています。
実用化されているのは火力、水力、太陽光、風力、地熱、そして原子力。
この中で、最も効率がよいのが原子力です。
でも、この原子力発電には放射能という厄介極まりない副産物が生じます。
これさえうまく解決できれば、原子力は魔法みたいなものです。
しかし、東電は結局失敗しました。
今後、福島第一以外のどこかで、同じような失敗は必ず起こるでしょう。
人間はミスをするものです。
今、原発をすべて止めろ、と積極的な発言をなさっている方が多くいます。
まあ、それに越したことはないでしょう。
原子力発電をすべて止めて、安全に廃炉にすれば
福島第一のようなことは起こりません。
でも、我々は今のように電気を使えなくなります。
ソフトバンクの孫さんがいうように、休耕田にソーラーパネルを
設置して原子力の代わりにするのは確かに妙案です。
でも、その作業に何年かかるのでしょう?
電気代はいくらになるのでしょう?
現在、太陽光発電のコストは原子力の10倍と言われています。
でも、今後はその差がもっと縮まるでしょう。
かといって、今の状態だと原子力発電を縮小すれこそ、
積極的に増やすことは国民の理解が得られそうにありません。
私は個人的に原子力発電に賛成しますが、それは別にして。
でも、電気代が今の倍くらいなら何とか堪えられるかもしれませんが
5倍や10倍は無理ですね。
日本全体がそれによって貧しくなります。
では、どうすればいいのでしょう?
そこで最初の話。
今の文明社会は「電気」というのが
当たり前に供給されることを前提に構成されています。
マンションなら、エレベーターが動いて当たり前。
機械式駐車場が正常に作動して当たり前。
エアコンを使うことが当たり前。
だから、各住戸の気密性を高めています。
これを少し見直してみてもいいのではないでしょうか?
今、東京の街を歩けば、まるで「陰影礼賛」の世界ですね。
駅の構内も、電車の中も、ビルの中も、仄かに暗い。
好みの問題かもしれませんが、私は今が好きです。
そもそも、以前の東京は無意味に明るすぎました。
冷房が効きすぎていました。
こういった節電がひとつ。
あとは、「もし電気が来なかったら」を基本にしてはどうでしょう。
例えば、マンションだったら・・・・
今後は自家発電装置の設置を義務づけましょう。
基本的には水道ポンプ用です。
他にも1時間に1回くらいは非常用エレベーターを使いたいですね。
機械式駐車場は、手動でも動かせるようにもしておきましょう。
オール電化なんてのは、基本的にやめましょう。
エアコンの使用を前提とせず、風の通りを考えましょう。
屋上には、必ず太陽光発電パネルを設置しましょう。
既存のマンションは、管理組合で何台かのコンパクト発電機を保有しましょう。
システムキッチンのガスコンロは、
電気が来なくても作動するような製品を開発すべきです。
これは給湯器も同じ。
昔の瞬間湯沸かし器は、電池を入れるだけで動いていました。
今回の震災で、我々は図らずも「電気文明社会」の脆弱性を実感しました。
でも、だからといって絶望することはありません。
電気なんて、百年前は我々の生活になかったのです。
そして、これからだってゼロになることはありません。
でも、危険なのはタワーマンションのように
それが「当たり前にある」ということを前提に成立している
様々な文明の装置なのです。
まず、あるからといって不必要に浪費しない。
次に、なくても当面大丈夫な準備をする。
そして・・・・
できることなら、今のように一元的に電力が供給される
システム自体を変えるべきではないでしょうか。
10年ほど前に、東京ガスがガスだけで完結する
ビルを提案していた記憶があります。
つまり、供給されたガスでビルに設置された発電機を稼動させ、
必要な電力をすべて賄うのです。
今回は、東京電力がチョンボしたおかげで
東電管内のエリアで計画停電が実施されました。
これが東電独占ではなく、もっと細分化されていれば
「ウチは近所の○○発電所と契約しているから関係ない」
なんてことにもなるワケです。
電力事業や原子力発電というものには
多分に利権の臭いがプンプンと漂っています。
どこかの誰かがいい思いをするために
今のシステムを作ったようにも思えます。
確かに、電力が安定的に供給されることは必要ですが
現に「安定的な供給」は崩れたわけです。
そのあたりは、もっと柔軟に考えるべきと思います。
しかし、それにしても現実に今は電力が必要です。
原子力発電をすべて停止する、などということは非現実的です。
議論のための議論、になっている現状を非常に危うく感じます。
原子量発電が危険、といっても、まだ一人も死んでいないという現実を
もう少し冷静に眺めることがなぜできないのでしょう?
電気・・・というものは偉大です。
私の腰痛を和らげてくれるし、タワーマンションのEVを動かします。
そして、まだ証明されていませんが、霊魂をも作ります。
この、目には見えないモノを、本当に自在に操れた時、
人類は文明の次の段階に到達するのではないかと想像します。